きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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1990.5.6
長野・五竜とおみ上空

2004.1.30(金)

 昨日の約束通り、TDKからCD-ROMが送られてきました。丁寧な書面とともに。駄目なCD-ROMは破棄せよとのことですから、送り返すことはやめにしました。新しいCD-ROMに問題があったら、それも知らせよとまで書いてあります。いい対応ですね。
 さっそく読み込んでみましたが、問題なし。これで携帯電話を使った交信が可能になりました。TDKさん、ありがとう!

 別の話題ですが、昨日Niftyからメールが来て、私が入会してから満12年経ったそうです。当時のニフティ・サーブでパソコン通信を始めて、もう12年なんですね。1992年、当り前ですけど私は42歳でした。ふーん。
 でも、パソコン通信からインターネットに切り替えたのが1997年頃? HPを開設したのが1999年ですから、歩みとしては遅い方です。1997年にはすでにHPを開設した詩人は何人もいましたから…。ま、早い遅いは質とは関係ありませんが。

 この12年間、もっと言えばパソコンを使い始めた1985年頃からの20年近くというものは、生活が一変した気がしています。情報の処理量が桁違いに増えましたからね。インターネットの検索エンジンが充実してからは更に怖いもの無しという感じです。社内の図書館に行って調べるという時間が、以前はかなりあったんですけど、今は自分の机で間に合います。もちろん本当に大事なことは図書館にも無く、インターネットでも調べられません。でも、一般的なことならそれで充分。あとは自分で実験して理論を組み立てればいいのですから。それで空いた時間をこうやって自分のHPに使える(^^;



  詩と詩論誌『新・現代詩』11号
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2003.12.1
横浜市港南区
知加書房・出海渓也氏 発行
850円
 

    さわる    ゆきなかすみお

   電車が揺れたはずみにちょっとお尻にあたっただけやな
   いか。オニガワラみたいな顔していつまでにらんでんね。
   ほんまに おもろない世の中になってしもたなあ。 ばあ
   ちゃんに聞いたはなし教えたろか。昔はな、娘が年頃に
   なってるのに誰も夜這いにこなんだらジジもババもおと
   んもおかんも心配したんや。二人三人くるようになった
   らヤレヤレ!家中が安心や。子供?できるがな。そした
   らな身に覚えのある若い衆が娘の前へ並ぶんや。その中
   から一番気にいった男を娘が名指しする。男は従う。夫
   婦になる。おおらかなええはなしやろ。もう一つゆうた
   ろか。村のばあちゃんたちが山こえて紡績工場へ働きに
   行ってたころのはなしや。「女工さん」たちが雑魚寝して
   ると工場や村の若いもんがしのんできよる。障子あけて
   すぐのとこに寝てる娘は「今晩ОK」や。離れて寝てる
   娘は「NО」。その娘らには絶対に手をださん。無理矢理
   なんて、とんでもない。どうや、平等互恵や。節度あり、
   礼儀あり、男と女の上品な物語やろ。
   まだ、怒ってるんかいな、かなんなあ。あんた小泉知っ
   てるか?知ってるやろ。日本が戦争する法律つくりよっ
   たんやで。戦争になったらお尻さわるぐらいでは済まへ
   んで。いつ死ぬかわからん男共がやけくそになって襲て
   きよる。親や夫、子供の目のまえや。鬼や!獣や!やら
   れる、まわされる、おもちゃにされてへたすると殺され
   るんやぞ!
   そんな大きな問題をほったらかしにしといてちょっとお
   尻にさわった、つっついた、なにをたいそうなことゆう
   てんね、しょうもな!

 「電車が揺れたはずみにちょっとお尻にあたっただけ」のところから「夜這い」「女工さん」に話が及んで、「男と女の上品な物語」に落ち着くのは見事な展開ですね。そして「小泉」の「日本が戦争する法律つくりよった」ところへ持って行ったのは素晴らしい。今、一番この国が考えなければいけない「大きな問題」を、このような形で表現するのは詩の持つ役割で、まさに詩人の面目躍如といったところでしょう。関西弁の言い回しも奏功している佳作だと思います。



  季刊詩と批評誌キジムナー通信21号
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2004.1.28
沖縄県那覇市
孤松庵・宮城松隆氏 発行
100円
 

    協定    宮城隆尋

   寝室で音楽を聞いていて気付かなかった
   玄関に鍵はかけていたはずだが
   いつのまにか侵入して
   台所に陣取っている
   見知らぬ男

   身元を尋ねても
   警告を発しても
   全く意に介さない
   こちらに一瞥もくれないまま
   板間にあぐらをかいている

   男は葉巻を吹かす
   台所を舐めるように眺めまわす
   おもむろに立ち上がる
   背負っていたザックから黄色い粘着テープを取り出す
   台所の壁 床 柱 窓 そこら中にべたべた貼り始める
   慌てて男の腕をつかむとこめかみに激痛
   へたり込んで見上げると
   硬そうな木の棒を握りこちらを見下ろす男
   黄色いテープには 「KEEP OUT」の文字

   一一〇番して暴漢がいる旨を伝達する
   駆けつけた警官は
   男の顔を見るなり「何だよ驚かしやがって」か何か
   不満を垂れて帰っていった
   もう一度一一〇番すると
   「いい加減にしろよな」か何か怒鳴り散らされ
   一方的に切られる
   男は冷蔵庫の中身をひとつひとつ取り出し
   一通りチェックしたのちゴミ箱に捨てている

   殴られたこめかみが痛む
   冷蔵庫に入れていたレタスや卵やビールはゴミ箱の中
   一一九番しても取り合ってくれず
   親に電話しても話し中
   大家に電話すると「もう決まったことですんで」の一点張り
   わたしの許しもなくいつだれがどこでどのように決めたのか訊くと
   いかにもうざったそうな声で「はいはい、いくら? 二万? 三万?」
   わたしが戸惑っていると「二万でいいね。文句言わないでね」
   切られる

   トイレも風呂場も玄関も台所の向こう
   「KEEP OUT」の中に入っていいか交渉すると
   ファイブミニッツなんたらとか言っている
   傷を洗い、用を足して、数十秒過ぎたと思いつつ出ると
   殴打 殴打 殴打
   以来寝室の窓から外出し
   公衆便所や銭湯を利用している
   口座には毎月二万
   大家から振り込まれている

   バイトが終わり
   窓から寝室に帰宅すると
   ガスマスクに防毒スーツを装着した人間が一人
   マスクのガラス部分を覗き込むとそれは大家
   「玄関部分が返却されます」
   台所に目を移すと男も同じような格好をしていて
   玄関から数人の防毒スーツの男
   運び込まれるバケツ
   中にはうっすらと発光する透明な液体
   「あれは何だ」と訊くと大家は
   「何でもありません。とにかく明日から玄関部分は自由に立ち入って結構です」
   ケッコウも何も飛び地になっていて意味がない
   ふと、ベッドの脇の引出しがあいている
   中には通帳
   五万円引き出されている
   大家は既にいない
   男は液体をかき混ぜている

   警察は例の如く一方的に怒鳴り散らすので
   大家を問いただすが埒があかない
   しかし翌月からの振込みは三万に値上げされていた

   男が居ついてから二年
   抜け毛はずいぶん激しくなったが
   今では毎月の振り込み額は七万に達し
   玄関からトイレと風呂場にかけては返却された
   外から回れば多少不便だがどちらも使える
   仕事も辞め
   だんだんこの生活にもなれてきた
   困ることといえば
   鼻血がよく出るようになったことぐらい
   日々悩みもなく暮らしている

 作者は大学を卒業したばかりの、まだ若い詩人です。昨年、沖縄県からは4人目の会員として日本詩人クラブに入会してきました。
 紹介した作品は沖縄の現状をうたっていると思います。「わたしの許しもなくいつだれがどこでどのように決めたのか」判らない「KEEP OUT」、その後の恩着せがましい「返却」、「大家」による口封じのような「振込み」、「一方的に怒鳴り散らす」だけの「警察」と、こうやって個人の立場で書かれると置かれている現状が良く判ります。怖いのは「うっすらと発光する透明な液体」で、これは核と考えて良いでしょう。
 作者の視線はそれだけに止まらず「抜け毛はずいぶん激しくなっ」て「鼻血がよく出るようになった」が「日々悩みもなく暮らしている」「わたし」にも向けられています。「だんだんこの生活にもなれてきた」沖縄県民への痛烈な批判と受け止めて良いでしょう。そんな沖縄に何もしてこなかった「大家」の立場の、私たちへの批判でもあると受け止めています。



  國井世津子氏詩集『染』
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2004.2.2
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2400円+税
 

    

   氾濫した川の橋が流れ
   向う岸から
   ボートを漕ぎ握り飯を運んでくれた
   少年の赤銅の肌の匂い
   その腕に抱かれて
   水浸しの凍えた少女の乳房は瞬時恥じらった

   迂回路から仮橋に
   さわやかな物語は続くように
   補修された橋はコンクリートになり
   大型自動車も行き交うが
   いまも胸底には
   優しい水音が絶えることがない

   遠い日光からくる田川は
   あのときの思慕を募らせるばかり
   乙女からやがて妻へと
   約束されていたように進んできた
   二人の構図に何の染
(しみ)もない

   長い歳月を抱き込んで
   豊かに流れる水の光と影は
   ありのままの自分を呼び覚ましてくれる

 著者の第二詩集で、紹介した作品はタイトルポエムです。著者の原風景と云っても良い作品でしょう。「氾濫した川」さえ「いまも胸底には/優しい水音が絶えることがない」と感じるまでになった経緯が読み取れますね。最終連を読むと、著者の素直な感覚を知ることができ、「あのときの思慕を募らせるばかり」というフレーズでは強い意志を感じることができます。現代の日本人が持っている良い部分が結晶した詩集だと思いました。




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