きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.1(日)

 午前中は毎年恒例の美化作業に出てきました。私の地域を流れる内川沿いをきれいにしようというもので、これも毎年楽しみな火付け(^^; で掃除します。公認の火付けですからね、みんな嬉々としてやっていますよ。

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 河原の草は意外に燃えないもので、火が出ているところを撮るのに苦労しました。煙があちこちに立っているのは分かると思います。消防自動車もちゃんと待機しています。奥に見えている山は箱根外輪山の一部で、一番左のこんもりした山が矢倉岳です。その向うに富士山が頭だけ出すのですが、今日は見えませんでした。
 煙を吸い込みながら、煙いな、煙いなと言っていましたが、別の煙は欲しくなるんですね。煙草を吸いながら(^^; 3時間はあっという間でした。



  二人誌『砕氷船』8号
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2004.1.25
滋賀県栗東市
苗村吉昭氏 発行
非売品
 

    The Last Supper    苗村吉昭

   午前十一時  僕と妻と父と母の四人  ひっそり揃って
   「坊や」の一周忌を執り行う かつて中学の国語教師で
   あった近所の真宗の僧が 快く法要を引き受けてくださ
   った

   新調した小振りの仏壇に坊やは納まり 和ロウソクの焔
   のゆらめきは 生前の坊やの命のゆらめきと同じように
   儚く思われた 仏前には決して食べることができなかっ
   た 菓子や果物が供えられていた

   法要が済み僧を見送ると 父が「飯でも食いにいくか」
   と言った 僕ら四人はファミリーレストランで食事した
   「健康五穀のとろろ膳」「彩和膳」・・・ 僕らは各々好
   きなメニューを注文した

   刺身 サラダ 天ぷら ブリの照り焼き 小食の僕は残
   したが父はすべてペロリと平らげた それから美味そう
   に生ビールを飲んだ ファミリーレストランのテーブル
   は幸せな家族を演出する たとえそれが家族四人での最
   後の食事であったとしても。

 詩集『バース』では亡くなった「坊や」をうたい、この作品では「一周忌」を描いています。最終連の「たとえそれが家族四人での最/後の食事であったとしても。」に違和感があったのですが、続く作品「鰯雲」で「父」の緊急手術があったことが判り、「トキの死」では手術後に発熱があり、作品「火葬 再び」で亡くなったことを知ります。
 「仏前には決して食べることができなかっ/た 菓子や果物が供えられていた」のに、「僕らは各々好/きなメニューを注文した」ことへの作者の拘りを知る思いです。詩作品上のこととしても続く肉親の死に、読者のひとりとして胸を痛めました。



  詩誌『スポリア』14号
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2004.1.30
愛知県知多郡武豊町
スポリアの会・坂口優子氏 発行
非売品
 

    花    坂口優子

   四季が巡るごとに
   花の咲くことを
   あたりまえのように眺めていた
   ―― 花が美しく
   咲きました ――
   と 手紙の挨拶に
   書いたりした

   だが 花は
   花となって咲くまでの
   殺伐とした時のなかを
   渾身の思いで
   耐えていたのだ
   光と 水が
   気紛れな振るまいを
   しないように願いながら

   雑草は
   抜かれても抜かれても
   新しい生命を繋ぐ
   鍛えられた
   孤独に支えられて

   だとしたら
   花はどんな幻想を道連れに
   見事 花開くというのか

    <咲ききること それがすべてです>

   はじめて花の
   張り詰めた心を知った

   あの荒れ果てた庭に
   もう一度 種を蒔こう
   一輪でもいい
   咲かせることができるなら……

 確かに「―― 花が美しく/咲きました ――/と 手紙の挨拶」にもらうことは多いのですが、私も「花となって咲くまでの/殺伐とした時のなかを/渾身の思いで/耐えていた」ことまでは思い至りませんでしたね。そこに着目したのは立派だと思います。花にとっては「<咲ききること それがすべてです>」なのかもしれませんが、同じことは人間にも云えるでしょう。「一輪でもいい/咲かせることができるなら……」という思いを私も強く感じた作品です。




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