きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  mongara kawahagi.jpg  
 
 
モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.7(土)

 半年ぶりぐらいで日本詩人クラブの現代詩研究会に出席してきました。会場に来られない遠隔地の会員のため、インターネットを使って会場の雰囲気を伝えられないものか、作品の批評が出来ないものかという相談を受け、それに乗ったものです。
 仕組みは簡単で、パソコンに携帯電話かPHSを繋げばインターネットに入れるし、そこでHPの掲示板なりEメールのやり取りをすれば全国どこでも作品批評なんて出来てしまいます。で、やってみました。

    040207.JPG

 写真が会場の状態ですが、パソコンにPHSが繋がっています。さらにプロジェクターと繋いで、送信画面と受信画面を参加者に見てもらうようにしました。
 まあ、それだけの話なんですけど、実は結構大変でした。まず、私の携帯電話では送受信できませんでした。PCMCIAカードが古いことが原因だと思います。東大の川中子義勝教授がこの研究会をサポートしてくれていましたから、予め計画していたように彼からWindows2000で使っていたというカードとPHSを借りて、それで急場をしのぎました。プロジェクターは会場の神楽坂エミールから借りられたから良かったのですが、パソコンとうまく繋がってくれませんでした。取説を引っ張り出して、ようやく繋ぐことができた次第です。
 もうひとつの大きな問題点はオペレーターですね。私が会場の発言を入力して送信したのですけど、話を要約するのに手間取り、しばしば議論を止めて、入力が終わったらまた議論を再開してもらうという有様でした。専門のオペレーターが必要かもしれません。
 今回は試験的に沖縄の会員と交信しました。沖縄国際大学を出たばかりの会員が母校に戻って、そこの在校生と一緒に交信しました。沖縄から予め4人分の作品が寄せられていて、それを会場の参加者が批評し、それをEメールで発信する、受け取った沖国大にいるメンバーが返信を寄こす、という繰り返しで、予定の1時間半では足りず、さらに1時間延長してしまいました。
 沖国大に集まった人たちは喜んでくれたようですから、まあ、成功したと言って良いでしょうね。一般社会では当り前の光景なんですが、会長・理事長の言によると詩人の世界では初めてのことではないか、とのことです。そうかもしれないなぁ。疲れたけど、一応成功して肩の荷が降りました。



  季刊詩誌『裸人』19号
    rajin 19.JPG    
 
 
 
 
2004.2.1
千葉県佐原市
裸人の会・五喜田正巳氏 発行
500円
 

    パンジー    天彦五男

   すみれの紫に魅入られて一本また一本と植え
   わたしの庭はすみれ色に染まってしまった

   花の名もうろ覚えの若い時は
   パンジーの鮮明な色に魅惑されたが
   今は変化が画一平板に見えるのはなぜだろう

   わたしは何百という花の名を覚えたが
   記憶の林から忘却の霧の中に消えてしまった
   特にカタカナの欠落ははなはだしい

   若い時に読んだ <戦争と平和> なども
   人の名を覚え難くてメモを作ったりした
   ロシア語を噛じったが今はアルファベッドすら
   思い出せないまま無知の森に入る蟻だ

   すれ違った和装のおんなはにおいすみれ
   パンジーはへそ出しルックの若い女
   ぽかんと口を開けていた訳ではないが口が乾く

   塀の内はすみれ 塀の外はパンジーを飾る
   通り過ぎる人が奇麗ですねとほめていく
   へそにリングをつけた女になって
   生きている証をガーデニングに精を出す

   もう今年は止めたいと思うが
   老いを悟られないために化粧をする
   くたびれた男がくたびれた花を摘む
   花柄摘みをやっていると香りと色が
   指に染まって青春が戻ってくる

   疲れて一服するとテレビが戦争の悲惨を写している
   戦争と勲章 勲章は花のかたち
   すみれとパンジーほどの違いだ
    <死と生> 永遠はないのになぜ争うのか

   アフリカ生まれの一粒の種が
   黒や黄や白になって各地にちらばって
   縄張り争いをしているのは人間だけでなく
   植物も同じだから <生> は尚更尊い

   パンジーを三色董とか胡蝶草とも呼ぶ
   花が地味で小ぶりのビオラが庭に迷いこんだ
   花の命 種子が飛んできて根付いたのだ
   今年は白やピンクのすみれも咲いたし
   良い年であったと言いたいがそうはいかない
   世界の人種を交配して原産地不明にしない限り
   戦争は絶えないのかもしれないが
   バイオ人間 パンジー人間はぞっとしない

 私は花にはまったく疎いのですが、作品から生き生きとした生態を知ることができました。その「パンジー」に作者の近況が重なって、見事な詩的世界を創り上げていると思います。「今は変化が画一平板に見えるのはなぜだろう」「ぽかんと口を開けていた訳ではないが口が乾く」などに作者の現在の様子が良く表現されていると思います。
 そんな個人的な世界に留まらず、目をきちんと社会に向けている点はさすがです。「世界の人種を交配して原産地不明にしない限り/戦争は絶えないのかもしれない」という指摘は、私も常々思っていることですから我が意を得たりという気分です。「パンジー」に向ける眼、「人間」に向ける眼が同質で、深く優しさを包んでいると感じた作品です。




   back(2月の部屋へ戻る)

   
home