きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】
モンガラカワハギ | ||
新井克彦画 | ||
2004.2.8(日)
昨日の疲れからか、午前中は何もせずベッドで新聞を読んで過しました。たぶん呑み疲れでしょうが(^^;
午後から気を取り直して、昨日の研究会のEメール交信記録をまとめました。40字で350行くらいの分量ですから、ある程度の読み物となったと思います。いずれ日本詩人クラブの『詩界』あたりで公表されるのかな? 理事会に報告してオシマイになるのかな? 判りません。
担当理事と電話で話したら、4月もやるとのこと。一応、私も出席することにしましたけど、あまり乗り気ではありません。詩人の世界としては面白い企画かもしれませんが、一般的にはどうということのないものですからね。食指が動きません。ま、そうは言ってもやらないといけない義務ですからやります。システムを構築しないといけないでしょう。そこは考えてみます。
○川中實人氏詩集『ダオ・クロニクル』 |
2004.1.15 | ||||
大阪市北区 | ||||
竹林館刊 | ||||
2000円+税 | ||||
零歳の知覚
イノチが始まった午後
時空のゆらぎに
祭囃子(まつりばやし)を絡ませる
白い太陽を見た。
三十二歳の方丈
テーブルのうえの
広大無辺。
収縮する空間が
スプーンからこぼれ落ちた。
四十一歳の反応
鋭い言葉に
射抜かれながら
黄昏(たそがれ)に狂い
夜は酒精(ウィスキー)を抱く。
九十九歳の白熱
クリアライトの時空は
超高速に白光し
終局のビッグバンが
誕生に向かって疾走する。
詩集のタイトルから説明しないといけないでしょう。あとがきにあたる「*ダオのつぶやき*」には次のように書かれていました。
<ダオ> とは何か。それは <度阿呆>
のことである。幼さいころ、いたずらをした私に、
口数の少ない左官職人の祖父が「ドアホ」と叱った。ドとアを重ねて発する不透明でくぐ
もった声を、私はいつも「ダオ」と聞いていた。
ドアホ→ドァオ→ダオの音韻変化である。
それなら『ダオ・クロニクル』は私の年代記なのか。そんな筈はない。私は度阿呆には
違いないけれど、九十九歳まで生きることはない。
これで意味が通じました。翻訳すれば度阿呆年代記≠ニいうことになりますが、やはり『ダオ・クロニクル』の方が恰好いいですね。
内容は紹介したように「零歳」から「九十九歳」までの年代の4行詩です。「九十九歳」まで書かれていますから、では著者の年齢はと略歴を見ると1935年生まれとなっていました。現在、69歳というところでしょうか。従ってこの後30年の年代記も描かれているということになり、その視点は面白いなと思います。紹介した「九十九歳」の作品では「誕生に向かって疾走する」となっていますから、結局「零歳」へ戻ることになります。「時空」を自在に行き来している詩集と云えましょう。
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