きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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モンガラカワハギ |
新井克彦画 |
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2004.2.11(水)
休日ですが会社に行って働いてきました。9:30〜18:30まで。ここのところ連日取り組んでいる化学物質の構造式解明です。完璧とはいかなかったけど、何とか終わりにして報告書を提出しておきました。フーッ、疲れた。
あと2〜3時間がんばれたんですけどね、やめておきました。やったところでこれ以上の結論は出ないなという判断です。うちに帰って、無性に本が読みたいと思いましたね。化学式、構造式の羅列ではなく、英文の解説書ではなく、日本語を読みたいと思いました。で、思った通り本が届いていました(^^; 感謝、感謝です。
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2004.2.1 |
広島市安佐南区 |
火皿詩話会・福谷昭二氏
発行 |
500円 |
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老骨に鞭打って 松本賀久子
いざ就職だ
縁談だ
葬式だ
という事になると
マッテクレ と
老骨に鞭打って
ズリズリ 這い出して来るのだ
古臭い偏見
差別とういやつが
曰く
ブラクミンではないか
チョウセンジンではないか
片親ではないのか
親の職業は何か
障害者ではないか
精神病の病歴はないか 等等
幾つでもチェックポイントはあって
ヒバクシャである か
ヒバクシャを親に持っていることが
立派な「理由」になることすらある
古臭い老骨に
水を 浴びせかけろ
ここはお前の来るところではない
いつまでも
世間の隅にいて小さくなっていろ
消えてしまえ と言え
かような老骨が
ズリズリ
這い出して来るのを許すようでは
この日本という国には
自由な人など
一人も いない
老骨に注意せよ
ズリズリ 這い出して来るのを許すな つら
皺ばくれた頑固な まるで知恵袋みたいな面をした老骨は
誰の心にも住んでいて
じっと黙ったまま
常に機会をうかがっている
のだから
この「差別」には私も覚えがあります。1959年に生母が死んで、父親はずいぶんと「片親」ということを気にしていました。それによる直接の被害≠ヘなく、2年ほどして再婚しましたから「片親」という境遇も解消したのですけど、子供心にそういう「差別」があるのかと思ったものです。
今ではそんな「老骨」も影を潜めているんでしょうが、やはり「誰の心にも住んでい」ることを自覚しなければいけないんでしょうね。形を変えた「差別」、例えば学歴とか地域差のようなものは厳然と残っていますからね。そのことを教えてくれた作品だと思います。
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2003.12.25 |
広島県安芸郡府中町 |
蟲の会・大久保玲子氏
発行 |
500円 |
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西岸寺縁起 長津功三良
ねきのこつの さいがんじ
よる もちゅう つぅきゃぁる
なべで もちゅう つぅきゃぁる
ひぃとが きたら かくしゃぁる
うしろの しょぉめん だぁれ
悪口混じりの俚謡(うた)がある
口さがない村童(わらべ)の替え歌であろうが
夜中にこっそり 餅を搗く という
餅臼がないので 鍋で 餅を搗く という
いや 別の古老のはなしでは
あまりにも回りの百姓が貧乏で 可哀相で
知られないように 餅を 搗きゃぁった んだとか
このあたり
それほど 惨めで貧乏な地帯 ということであろう
か
広島と山口の県境 羅漢の山腹に
西岸寺がある
この寺より奥 遥か分水嶺を越えないと 人家はな
い
開基は 玄海 俗称藤原朝臣友定 と称した
京都の人で 罪咎があり 脱出逃走
出家に身を窶し 流れ流れて
安芸の国佐伯郡中道から
周防の国秋中村根木の骨に辿り着く
このあたり 古くから杉の産地で
当時の国主の命で 材木の採集のため
樵人たちが多く入込んでいた という
托鉢中 足痛に悩まされ
眩暈に襲われ(空腹のためであったろうか)
遂に 倒れ 静養中
中空に声あり 曰く
「仏閣を建て仏経を読誦し衆生を助くべし」と
ここに大いに喜び 禅門一宇建立す とか
記録では 享禄元年三月のことという
京都にいた とすれば 多少の文字はあったろう
樵人や里人の寄進を求めて
多分 小さな方丈を 編んだのだろう
こんな奥深い山峡に よくぞ という場所である
五世重玄の代に 浄土真宗に帰依改宗
以後 三度火災に見舞われ
寺宝古記録焼失 寺記詳細不明という
藤原氏をはばかり 以後 富士原氏を 称する
十五世徹照老師は 美男美声で 中国九州を布教
お顔を拝むために お説教には
善女が多く集まった という
祖母など 渓谷(たに)あいの村の老人達の話である
私が 結婚した頃
徹照老師は九十を超え 朝夕のお勤めのお経は
甲高く張りがあり
十六世景樹の低音と ハモって
聴き蝕きなかった
私の 亡くなった同伴者は
この 雪深い過疎村の山寺 西岸寺
十六世景樹の 次女である
今は十七世英樹が 継いでいる
私のような 学も無い水呑み百姓の小倅のところに
嫁にやるについては
色々 ゆくたてが あったようである
ねきのこつの さいがんじ
よる もちゅう つぅきゃぁる
なべで もちゅう つぅきゃぁる
ひとが きたら かくしゃぁる
うしろの しょうめん だぁれ
(この作品は既に発表しているものを、俚謡の部分など加筆修
正したものです)
「俚謡」にまで唄われる「西岸寺」の「十六世景樹の 次女」を「同伴者」とした「私」の、一大叙事詩と言えましょうか、時代の奥深さを感じます。私の家も江戸中期までは遡れるようですが、それ以上ですからね、すごいものです。そうやって祖先の血を受け継いで今があるのかと改めて感じます。
童歌の中で「ねきのこつ」がよく判らなかったのですが、「根木の骨」のようです。この地名もおもしろく、調べていけばいわくがありそうです。そんな日本の日本らしいところを感じさせてくれた作品です。
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