きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.15(日)

 休日ですけど、今日は会社に行こうかなと思っていて、結局行きませんでした。12時から18時半まで延々と昼寝してしまいました(^^; いやぁ、よく寝たなぁ。正しい休日の過し方なのかもしれませんね。これで夜眠れないかと云うと、そんなことはありません。1日20時間ぐらい眠るなんて平気で出来ちゃうんですね、これが。一種の特技かもしれません。



  季刊詩誌『詩と創造』46号
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2004.2.10
東京都東村山市
書肆青樹社・丸地 守氏 発行
750円
 

    腐爛の書    吉田章子

   とおに地図から剥落してしまっている軍都
   空白の痕跡さえない 師団 兵営 練兵場 演習場
   駅の引込線は軍馬の集散で草原の匂が漂っていた
   風立ちぬ
   そんな翳りのような言葉を思った
   もはや物が運び込まれることはなく空箱と化した一日一日
   醤油がないから潮を汲みにいく
   珈琲の代りに山野の漆の実を採って煎った
   摘草は文字通りその一日の命を摘むことだった
   貨車の糞尿にまみれたワラは貴重な肥料であった

   それでも髪は伸びた
   三つ編にお下げ髪は 素手で 素足で糞尿のワラを
   もっこで運んだ
   校庭の 若い人らがふみしめた香ばしい思慮や思念はすでにはぎ取られていた
   高々と積みあげて堆肥は円柱形に 立方形に
   空虚も形さえ与えればさまざまの姿に立ちあがった
   時間も溶けていく夏
   あのときたしかに瑞々しい芽立ちは馬の群れに蹂躙されたのだ

   糞尿の日々を積み重ねて
   夜寝るときはその日一日に手を差し入れて裏返しておく
   真夏の陽の底から
   腐熟の層の高さだけが 在ることの確かさなのかもしれない
   焼土となって抜け落ちていく輪郭だけの白地図
   萌えでたばかりの生新な季節を罪のように少女は毎夜
   自分の胸底深くに下りていき
   その思春の渕に立ちつくしていた

   なぜか 笹舟など持って
   陽炎がもえ
   まっ青の空に
   音も無く
   線香花火
   遠花火
   砲弾が散り
   やがて
   深く沈む静寂

   この国の
   戦史という
   腐爛の書がそっと
   開かれる
                   (詩集『腐爛の書』書肆青樹社刊より)

 戦争を体験した人の貴重な証言ですが、重要なのは最終連だと思います。今まさに「戦史という/腐爛の書が」「開かれる」、あるいは開かれようとしている、という指摘と受け止めました。しかも、誰にでも分かるな荒々しく≠ナはなく「そっと」。この「そっと」を云うためにその前に多くの言葉を費やしているのではないでしょうか。
 言われてみれば当り前なのですが「戦史」は「腐爛の書」なんですね。奇麗事でも何でもなくて、死体が腐っていくその上に「戦史」があるのだと気付かされます。国際貢献という言葉の裏の「腐爛」を改めて考えさせられた作品です。




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