きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.21(土)

 日本詩人クラブ理事長から「5月の総会で顕彰する永年会員該当者を知らせよ」というメールが入って調査しましたけど、生年月日も入会年月日も判らない会員というのがいるんですね。1997年にОA(古い言葉!)専門委員に任命されてから名簿の電子化をやっていますが、50年以上の歴史がある組織ですから古い人の記録が残っていないんです。それから7年、こつこつと情報を集めてきたのですけど、4人ほどどうしても判らない人が残ってしまいました。そのうちのお一人はインターネットで検索してみると、どうも死亡しているようです。どうにかして完璧なものにしたいものです。
 永年会員該当者はお三人。80歳以上で入会20年以上の方が該当です。理事長に報告しておきました。でも本当にその人たちだけなんだろうか? 毎年不安が残ります。



  山本純子氏詩集『あまのがわ』
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2004.3.4
東京都千代田区
花神社刊
1600円+税
 

    あまのがわ

   おんせんの
   あらいばの
   カランのまえに
   ずらりとならんだ
   おんなのせなか
   はだかのせなか
   おんなのせなかは
   まるみをおびる

   にちじょうの
   あれやこれやを
   かかえこみ
   かつにこやかに
   はたらけば
   うちからおもいも
   ふくらんで
   ふくらんだ
   おもいをせなかは
   せきとめて
   としつきにおうじた
   まるみをおびる

   にちじょうを
   とおくはなれきて
   ぬめりのある
   ゆをふんだんに
   あびるうち
   せなかはしだいに
   ほぐれだし
   きもちもしだいに
   おおらかに
   みぎのせなかへ
   はなしかけ
   ひだりのせなかへ
   うなずいて
   おけ、てぬぐいは
   はずみあい
   おんなとおんなの
   わらいごえ
   てんじょうの
   ゆげのあわいに
   こだまして

   おりしも
   たなばた
   おんせんは
   あまのがわの
   かわしもに
   わくという

   そのおんせんの
   ゆぶねにつかり
   ひらいたまどから
   よぞらもみずに
   カランのまえに
   ずらりとならんだ
   おんなのせなかに
   はだかのまるみに

   えんりょもなく
   みとれる
   おんな

 著者の第二詩集です。紹介した作品はタイトルポエムですが、ひらがなと「おんなのせなか」がうまくマッチしていて、健康なエロスまで感じる、と言ったら言い過ぎでしょうか。いやいや、著者自身が「えんりょもなく/みとれる」のですから、その通りなのでしょう。それにしても「きもちもしだいに/おおらかに/みぎのせなかへ/はなしかけ/ひだりのせなかへ/うなずいて」というのは判りますね。残念ながら女湯のこんな情景を見たことはありませんけど、男湯も同じです。男・女に関係なく、人間同士の裸のつき合いというのは、服という遮蔽物がない分「おおらかに」なれるものなのかもしれません。著者の人間を観るあたたかい面が出た秀作だと思います。
 本詩集ではあとがきの「メイキング・オブ・あまのがわ」にも注目しました。1冊の詩集を創る上で作品の順番をどうするか。それは息遣いだと言うのです。日常を引き摺ってコンサート会場に来る観客にはいきなり核心に入ってはいけない、日常を取り入れた作品から徐々に芸術性の高い作品へ移行する。1冊の詩集は子ギツネの頭からしっぽまでをイメージできる。鼻のツンととんがったところにあたる詩、胴と首をつなぐ詩、中心となる腹の詩、そしてしっぽへ流れる詩を考える必要がある。そういう息の流れを考えた詩集は読み終えたあとの印象が重くならないというのですから、傾聴に値します。それを著者自身が述べると嫌味になりますけど、そんなことを敬愛する師に教えてもらったと書かれていますので、素直に読者の胸に入ってきます。
 読みやすく、記憶に残る作品が多い詩集でした。それでいて重くならない。まさに息遣いに配慮された詩集と云えましょう。



  月刊詩誌『柵』207号
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2004.2.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    銭    山崎 森

   ぼくは小学生の頃から
   祖母の財布から小銭を貰い
   明治のキャラメル、チョコレート
   一粒三百米のグリコも買っておまけを集めていた
   高学年になると立川文庫 冒険小説 探偵小説を
   勉強部屋の押入れに積んでいた
   兄は岩波の受験雑誌などを買っていたか
   たまに友人に借りた本で祖母から銭を貰っていた

   聖胤という難しい名の同級生がいた
   この子も銭に不自由していなかった
   いつも方々の神社 お寺の賽銭函から
   ありがたく戴き
   ぼくのように神仏の罰や崇りを畏れていなかった
   戦争に負け 田舎に帰って間もなく
   裏山の不動明王堂で山法師姿の彼と偶然出合ったが
   いまも青い坊主頭の謎は解けないままだ

   東京へ行けたら
   仕事は何だっていいと「あさかぜ」に飛び乗った
   渡される給料や出張旅費も
   その頃は貯めるゆとりもその気もなく
   とことん困ると兄へ太宰流の便りを書いた
   嘘は銭 権力に化け 堕落への途を辿る
   ぼくは浅草 洲崎 新宿 池袋 銀座をふらつき
   道案内はいつも好奇心と出来心だった

 子供時代の「銭」というのは不思議なものでしたね。誰かの「財布」にあるもので、「小銭を貰」って何かを買うものでした。その感じがよく出ている作品だと思います。
 最終連もよく描けていると思います。特に「道案内はいつも好奇心と出来心だった」というフレーズは納得できます。「出来心」には思わず笑ってしまいましたけど、振り返ってみれば私もそうだったなと思い至ります。そんな子供の頃、青春時代を蘇らせてくれた作品です。



  季刊文芸誌『南方手帖』76号
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2004.2.20
高知県吾川郡伊野町
南方荘・坂本 稔氏 発行
800円
 

     サトゥルヌス・・・・・・・・玉井哲夫

   人間が住めない所で結晶した炭素は
   人間よりも純粋です
   人間よりも純粋なものは
   人間には危険です

   女の指に貢がれたダイヤモンドは
   一日一食の報酬で子供を働かせ
   殺した人間の肉を売りさばき
   少女を誘拐して
   輪姦し続けた者たちが触れた石です
   人間の寿命が
   世界で最も短命な国では
   死は病ではありません
   生きることが病なのです
   少なくともシエラレオネでは

   富の味を知ったからには
   その病から逃れるのは難しいのです
   富むということは
   その病の症状です
   貧しい国が
   石を売って武器を買うのも
   豊かな国が
   武器を売って石を買うのも
   死斑の現れです
   富むということは
   自らをも殺すことです
   少なくともスイスでは

   永世中立国であれば
   どの戦争にも武器を輸出できるのです
   どの独裁者の財産も
   匿名で預金できるのです
   独裁者が失脚するのを待って
   すべてわが物にする仕組みです
   ユダヤ人から金品を奪ったナチスも
   ありがたい顧客でした
   平和ボケの団などありはしません
   ずっと戦争ボケなのですから
   戦争を放棄した憲法を厭
(いと)
   普通の国になることを説くのは
   戦争犠牲者の願いに背くことです
   少なくとも日本では

   世界で最も多く武器輸出をしている国は
   どこですか
   世界で最も多く軍事支出をしている国は
   どこですか
   自国人が
   イラクで何人死んだかを気にはしても
   自国人が
   イラク人を何人殺したかを問わないのは
   なぜですか
   自国で売買されている銃器によって
   年間三万人もの自国人が死ぬのはなぜですか
   大人は子供に
   教えなければなりません
   少なくともアメリカでは

   原爆の資料館に入ると
   駱駝の壁画があるのです
   市民が描いた原爆の絵は
   地下にあります
   丸木夫妻の図は
   どこにあるのでしょう
   国連の壁画も
   「ゲルニカ」では物足りません
   「わが子を喰らうサトゥルヌス」こそ
   ふさわしい        

   これが我らの姿です
                 
注 ゴヤの絵

 「人間よりも純粋なものは/人間には危険」だから、この世には危険なものが溢れているのだなと思います。もっと言えば人間以外は純粋なんでしょうね。その危険な具体例が「シエラレオネ」「スイス」「日本」「アメリカ」と述べられていますけど、その通りだなと思います。決して嫌味な見方ではなく、起きている事実を述べているだけなのですが暗澹とした気持になります。まさに「わが子を喰らうサトゥルヌス」が「我らの姿」なのでしょう。その認識にちゃんと立て、そこから始めよ、と諭されている作品だと思いました。



  沼津の文化を語る会会報『沼声』275号
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2004.2.22
静岡県沼津市
望月良夫氏 発行
年間購読料2500円
 

    雪修行    谷川 俊

    金沢勤務の三年間は私にとって「雪
   修業」の期間だったのかもしれない。
   「美しくロマンチックな雪国に住むこ
   とが出来る」という私の夢は、たちま
   ち打ち砕かれた。
    長屋に住んだので、冬の期間、雪下
   ろしと前の道路の雪かきが義務づけら
   れる。屋根の雪下ろしは危険そのもの。
   屋根からの転落事故が絶えない。死者
   も出る。屋根の雪に祈りつつ雪が降る
   たびに雪下ろしに汗をかいた。
    次に雪道の歩き方。最初は滑って何
   回か転んだ。歩幅を小さくして足の裏
   全体に平均的に体重を掛けて歩けば転
   ばない事を学んだ。スケートの「歩行
   練習」の要領だった。雪道での運転。
   決してわだちに逆らってはならない。
   ハンドルを大きく切ったり、急発進、
   急停車する事は厳禁。これを守って、
   やっと三年間無事故で通した。
    雪はわが女房殿に似ている。見かけ
   は優しいが、そんな甘いものではない。
   要は決して逆らわないことである。

 今号のエッセイは雪≠フ特集のようで、その中の一文です。最後の部分では思わず笑ってしまいました。確かに「決して逆らわないこと」が肝要ですね。わが家では「見かけは優しい」はともかくとして「そんな甘いものではない」のは事実です。
 雪の生活については私も経験がありますので、まあ、こんなもんかなと思いますけど、最後の3行で見事に転化しているエッセイです。いい文章に出合いました。




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