きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.23(月)

 15時から日本ペンクラブの電子文藝館委員会が開催され、出掛けてきました。今回のトピックスは新たに1名のメンバーが加わったことです。40代後半から50代前半の男性で、推理小説作家です。TVの原作も書いているそうですからご存知の方も多いかもしれませんね。矢島誠さんという方です。
 次のトピックスは皆さんにはあまり関係ありませんけど、ゆるやかなグループ制をとろうということが話し合われたことですかね。現在、3人の方が出版編集グループとして主に出版人の作品を集めています。先日私も校正した佐藤義亮は新潮社の創業者です。そういう方の作品を専門に扱っています。花森安治、野間清治なんて著名人もすでに掲載されています。
 そんな感じで反戦・反核の作家を集めたり、私は詩人を集めろと指示され、さっそく大木惇夫の作品が見たいという希望も出されました。その他に加藤弘一さんと技術担当をやれとも指示されましたけど、技術的な問題は開館時にクリアーしていますから、まあ、あまりやることはないでしょう。
 基本的には、あと1年は現体制、現方針でやることになりましたから、委員会も毎月集まるのをやめるそうです。1.5ヶ月か2ヶ月に1回のペースになります。さっそく3月は無くて、次は4月。メーリングリストが機能していますから大丈夫でしょう。そんな感じの委員会でした。



  秦恒平氏著『湖の本』エッセイ31 古典愛読・古典独歩
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2004.2.20
東京都西東京市
「湖(うみ)の本」版元 刊
1900円
 

    私は先立つ三つの章で、主として作者の詮議など多くは必要のない古典を語ってきた、わざとしたこ
   とではないが。 日記や家集には著者のおのずからな人物像が敷き写しになっている、 たとえ『土佐日
   記』のように紀貫之が女の筆に仮託して執筆していようとも。近代の場合でも純然私小説の作家の伝記
   にかえってあまりメリットはない。むしろ例えば泉鏡花、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫のような
   作家の伝記的研究が、彼らの文学の奥底の拡がりをさらに面白くさらに有効に開拓するであろう予感は
   濃い。そして私の信ずるところ、作家の伝記的な研究や追求にはおのずからな節度がある。あくまでそ
   
れがその作家の作品を、より豊かに面白く読めるよう貢献するかどうかが截然(せつぜん)たる一線を画する。作品
   がより豊かに面白く奥底を拡げるということは作家にとってのやはり本懐であって、そのための追求に
   読者や研究者が貪欲であり意欲的であることを咎めない。伝記面の追求を奇妙な論法で潔癖そうに拒否
   し、ひたすら書かれた作品の表現にのみ執着するのは分からぬではないが、じつは噴飯物の奇妙にこね
   まわした観念論が仕立てられている例も多いわけで、その種の自己満足に塗り立てられた教条的な作品
   論には誰より作者自身が当惑し迷惑する場合も多い。

 「エッセイ30
古典愛読・古典独歩」に続く「下」「二」です。古典の素養の無い私には、正直なところ難しいのですが、勉強になります。新制中学2年で『源氏物語』、3年では『平家物語』や『徒然草』を読んだというのですから、とても足元には及びませんが…。
 紹介した文は中公新書の『古典愛読』にある「一知半解」の中の部分ですが「伝記面の追求を奇妙な論法で潔癖そうに拒否し、ひたすら書かれた作品の表現にのみ執着するのは分からぬではないが、じつは噴飯物の奇妙にこねまわした観念論が仕立てられている例も多い」というところに注目しています。「書かれた作品の表現にのみ執着」して批評するという人は意外に多いように思うのですけど、これは違うなと私も考えています。作品は作者の全人格が現れるもので、そこも掴まえないと作品の奥には行けないのではないでしょうか。だから「伝記面の追求」も必要だと思うのです。
 そんな自分と同じ思いの部分もあれば、まったく追い着けない部分もあります。勉強不足を感じています。



  詩誌『餐』25号
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2004.2.25
埼玉県所沢市
山根研一氏 発行
450円
 

    春だから    上野菊江

   ふらり 春だからなんとなく
   ドアを押したカフェ・テラス
   ワンコーヒー! 奥に向かって
   おうむ返しに叫んだのはロボ・パペロ
   彼の後には 白いあざらしをだいて
   幼児ロボもしたがう

   お待ちどうさま どうぞ
   座るとスタッフロボが運んできた
   背後では車椅子のお爺さんが
   茶色のアイボに体をあずけて嬉しそう
   老人も幼児もみなロボ・アシモだけれど
   ほんと異国ではない
   わたしにも 充電の時間が迫っている

 山根研一氏との二人詩誌です。今回の課題はロボット=B「アイボ」「アシモ」はお馴染みですが「パペロ」は創作なのかな、と思います。ロボットというと悪感情を抱く人もいるようですが、作者は「春だから」というタイトルからもそんな感じは無いようです。工場勤務の私は、人間のような形ではありませんけど工業用のロボットに接していて、まったく悪感情は持っていません。人間が嫌がることを黙々とやってくれますからね。
 最終連の「わたしにも 充電の時間が迫っている」というフレーズが良く効いていると思います。ロボットにも人間にも「充電」は必要です。さり気なく書かれていますが本質に迫る詩句と云えましょう。




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