きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.27(金)

 昨夜の酒がちょっと残っていて、午前中は苦しかったのですが何とかこなしました。あまり二日酔いをしない方なんですが、だいぶ呑んだようです。少し残っているな、と感じる程度ですから、まあ、たいしたことはありません。
 午後は会議が二つ。その頃にはすっかり体調も回復して、夜になってまた呑みに行きたくなりました。ホント、呑ん兵衛というのはしょうがないですね。明日は大事な呑み会がありますからグッとこらえました。



  秦健一郎氏著『地果つる処までも 油屋熊八物語
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2004.2.23
東京都杉並区
抒情文芸刊行会刊
2500円+税
 

 本著は後述の文芸誌『蠻』125号から135号に連載されたものの単行本化で、毎号楽しみに拝読していたものです。油屋熊八は先日NHKテレビの「知ってるつもり」(だったかな?)でも紹介されていましたが別府温泉・湯布院温泉開発の功労者で、観光バスに初めてバスガイドを導入した人としても知られています。その一大伝記で、私にとっては二度目の拝読になりましたが一気に読んでしまいました。文芸誌を季刊で読みながら、前に書かれたことを思い出しながら読むのもおもしろいですけど、やはり1冊になったものを読むというのも良いものです。
 油屋熊八、強いては紹介する著者の思想とも関連する箇所はたくさんありますけど、ここではその一部を紹介してみましょう。

    やがて、ひととおり凡平の話が終わった。が、しばらくは三人の間に沈黙が流れていた。そ
   の静寂をつき破るように茶室の外から、しきりに乾いた物音が聞こえてくる。高い梢を離れ落
   下した椎の実が勢いよく落ち葉の上を転がる物音らしい。その音に耳を澄ませていたかに見え
   た熊八がやおら口を切った。
    「凡平はん、よう錬られましたな。さすがや。儂も今までいろいろ考えがあっちゃこっちゃ
   しょりましたが、やっと吹っ切れましたわ。
    …と、そうは言うたかて何もせんちゅうのは、こらまたえらい難しいことですなあ」
                         ヽヽ ヽヽヽ          ヽヽヽヽ
    そのとおりである。凡平の言う何もしないということは放置することとはちがう。放置はた
   だ混沌を招くだけである。今ある良さをそのまま維持し守り続けることだが、相手が大自然の
   営みとそこに住む人々の暮らしであるだけに、それには町ぐるみのコンセンサスも伴って、緻
   密な計画と運営が要求されるのである。
    むしろ大がかりな資本を投入した環境整備や施設作りの方が、多様な選択肢と可能性があり
   よほどやり甲斐がある。手段としても容易でもあろう。だがそれは、由布院が由布院でなくな
   るということにほかならない。
    「そらそうです熊八さん。どんな馬力ある自動車でも、ブレーキに逆ろうて突っ走るエンジ
   ンなんぞありませんからな…はゝゝ。ブレーキの方が強い力がいる。そういうことですかな」
    中谷は熊八の好きな自動車を譬えて言う。自動車開発が、《もっと早く、もっと強く、もっ
   と遠くへ》を実現するごとに、一方でそれを上回るさらに強力な制御技術の同時開発が前提に
   なる。
    「昔からある自然の美しさ、温泉、農村の日常的な生活と食べ物、これらを一つにしたこの
   由布院の姿を一切変えないということが基本でして、その上に薫り高い文化で色づけをしよう
   というわけです」
    凡平はそう締めくくった。
    「それでええ。別府のように大きゅうならんでも、由布院は同じ姿で昔から生きてきよる。
   年中、客を増やしていかな成り立たんいうような観光地とは初めから違うちゅうことや」
    由布院の観光が、住む人々の暮らしとの融和というコンセプトは今でも変わらない。
    平成十二年、取材にここを
訪れた時のことである。泊まった旅荘で、女将(おかみ)が夕膳を整えなが
   ら「当宿
(うち)では、米だけは自給自足なんです」と言った。翌朝、表に出てあらためて見渡すと、
   宿のすぐ右手に字奈岐日女神社の小高い社
(もり)があり、その前面に学校の運動場ほどの稲田が横た
   わっている。「この田、全部がそうなんですよ」女将の声にはいくぶん誇らしげな響きがあっ
   た。そして豊かな秋の収穫を期待させる穂の緑が八月の日射しの下で眩しく輝いて見えた。

 湯布院開発のコンセプトを関係者が話し合った場面ですが、「由布院の観光が、住む人々の暮らしとの融和というコンセプトは今でも変わらない」理由を見た思いがします。「どんな馬力ある自動車でも、ブレーキに逆ろうて突っ走るエンジンなんぞありませんからな」は、おそらく著者の創作と思いますが説得力のある言葉です。そういう喩が随所に出てくるのも本著を読む楽しみです。油屋熊八という人間を描き切った、ご一読を薦める1冊です。



  文芸誌『蠻』136号
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2004.2.29
埼玉県所沢市
秦健一郎氏 発行
非売品
 

    カレンダー    井上勝子

   年の初めカレンダーをかざる
   休日の予定がしるされただけのカレンダー
   我が家の予定を書きこみ年が始まる

   国の予定も
   世界の動きも
   だれも予測出来ない
   私自身もあしたはわからない

   戦争が始まるのも終わるのも
   誰も知らない

   日にちが
   今年一年印刷されているだけ

 「年の初めカレンダーをかざる」というのは、その行為だけで新鮮・敬虔な気持になるものですが、裏を返せばこういう見方も出来るのだなと感心した作品です。確かに、今後1年のことは「だれも予測出来ない」し、カレンダーなんて「日にちが/今年一年印刷されているだけ」に過ぎません。作品の影響から、私もそういう即物的な見方をしてしまいますが、でも気をつけて見ると「我が家の予定を書きこみ年が始まる」というフレーズがあります。ここには家族の安泰を願う気持が根底にあるのでしょう。そんなことにも気付かされた作品です。




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