きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.2.28(土)

 新創刊の詩誌『サライ』の創刊祝賀会に誘われて宇都宮に行ってきました。正確には祝賀会ではなく詩の討論会≠ニいうことでしたけど、まあ、そこは大同小異。参加者は20名ちょっとという小じんまりとしたものでしたが、主宰者の金敷善由氏のお人柄でしょうか、お祝いムードに包まれたなごやかな会でした。おもしろいことに雑誌そのものはまだ出ていません。どうやら4月の発行のようです。現物は無いけど人は集まるというのですから、宇都宮という土地柄なのか、はたまた金敷さんの魅力なのか、そこもおもしろいと思いながら楽しんできました。

    040228.JPG   主宰

金敷善由氏

 今回、宇都宮に出向いたのはもうひとつの理由があります。同年代の詩人の仲間が当地に居て、彼らと呑むことも主目的でした。メールで遣り取りをして、私はホテルまで予約をして行くというのですから呑み助もここまでいくと冥利というものです(^^;
 懇親会の途中で彼らと抜け出して呑みまくりました。三次会が終わったのは0時を過ぎていたように思います。カラオケまでやって、ホテルに戻ったら着替えもせずにバタン。いい夜でした。
 宇都宮の友人たちにはお土産の地酒「吟醸酒 四季桜」までいただいて恐縮です。ありがとうございました!



  詩とエッセー誌『ATORI』54号
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2004.2.29
栃木県宇都宮市
ATORI詩社・高橋昭行氏 発行
非売品
 

    女武器商人    綾部健二

   葬列の日々
   背をかがめた兵士たち
   宙をさまよう
   きれぎれの会話
   呼びかけても兵士はふりむかない
   すべてがけぶっている

   底知れぬ中東の空のふかさ
   その遥かな一点にむかって
   女武器商人は
   自動拳銃の引き金をしぼる

     白い焔
     駅の雑踏の中でかき消される
     ただひとりの声を
     ぼくは
     聞き分けることができるだろうか

   銃の修理と改造は
   祖父の代からの家業という
   銃身の彫金や銃座の彫刻など
   若い女武器商人は
   工芸職人としての声価もたかい

   十六歳で独立して十二年
   右手の親指の付け根には
   爆発でえぐられた傷跡
   けれども家族六人と親族七人の
   生を支えてきた手さばきは確かだ

     ぼくの周辺では
     おそらく硝煙をみることはない
     放心した難民の群れをみることはない
     消えていった兵士たちを
     街角の交差点で思い起こすこともない

   チグリスとユーフラテス
   その間に横たわる肥沃な地帯
   古代オリエント揺藍の地はいま
   女武器商人の手のひらに似た
   戦禍の痕跡と
   生と死の十字路に対峠している

   はるかな砂のほとりに
   言葉がその錘をなくす
   かがやく花弁
   花々の密集
   ひかりを束ねる女武器商人の幻影

     ぼくの内部の戦場
     街路樹が歩き出す
     都会の夜
     燃えさかる鉄槌
     いずれぼくはこの藤椅子から立ちあがる
     六十二キログラムの憂鬱を振り払って

 おもしろい素材だと思います。作者の創作か伝聞か判りませんが「女武器商人」という人間には存在感があります。イラクを念頭に置いていると思いますけど、テレビの報道などでは一般市民も武器所持が認められているようで、こういう「家業」は実際にあるのでしょう。
 重要なのは2字下げの連だと思います。「ぼく」はそんなイラクから遠く離れた日本に居ると推定できます。「おそらく硝煙をみることはない」地での「六十二キログラムの憂鬱」がテーマになっていて、そこには作者の等身大の思いを見ることができます。声高に叫ぶのではなく「ぼくの内部の戦場」を思い描くこと、それが日本の詩人に残されている唯一の方法なのではないかと感じた作品です。




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