きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.3(水)

 午後からずっと現場に張り付いていました。製品に時たま問題が起きることが判って、それを目視で確認しようと提案したのですが、現場からは反発を受けていました。専門の人も配置しなければいけないですからね。でも、ようやくやる気になったようで、立会いを求められたのです。
 行ってみると案の定、現場の責任者も作業者も嫌そうな顔をしていました。オレもずっと立ち会うからとなだめすかして、ようやく作業が始まりました。1時間ほど見ていると、何と現象が再現したのです。一同、おお!という声が挙がりましたね。
 実は私もまったく自信が無かったのです。自信は無いけど、今一番大事なことは現物を見ること。現象が起きる確率は数千分の一か、一万分の一。現象が起きなくても、現物を見たという実績を作れば現場は動くと思って提案したことですから、驚きましたね。もちろん現場の人たちは納得して、今後も人を配置して観察を続けることを約束してくれました。

 自分で言うのもおかしいのですが、私は運が良い方だといつも思っています。仕事をやっていて、最後は運としか言いようのない場面があります。そんなときは必ず良い方へ転んでくれます。今回もそんな思いをしました。ギャンブルは嫌いで、まったくやらないから、その運が仕事の方へ向いてくれるのかな? でも、これって科学の徒とは思えない発言だなぁ(^^;



  詩マガジン『PO』112号
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2004.2.20
大阪市北区
竹林館・水口洋治氏 発行
800円+税
 

    この道を歩く    水口洋治

   この道を歩く
   平衡を取りながら
   細いこの道を歩く
   本を読み
   考え
   文を書き
   人々に説くこと
   それが僕の道
   人々を見
   自分を見
   社会を見て
   心におののくものを歌うこと
   それが僕の道

   電線にヒヨドリを見た
   駅の上空を飛ぶカラスを見た
   芝生にセキレイを見た
   そして今年も
   武庫川にユリカモメ

   鳥たちよ
   僕に翼をおくれ
   空を飛べるくらい
   小さな体にしておくれ
   僕はこの道を歩むことをやめはしない
   時には空にはばたいて
   はるかな道をながめたい
   空の高みから
   美しいさえずりをかなでたい

   それからこの道におりたって
   ハトのような歩みを
   自分に強いるのだ

 今号は「三十周年記念特集号」で、天野忠を特集していました。高階杞一、涸沢純平、水口洋治など錚々たる執筆陣ですがここでの紹介は割愛します。おもしろいですから買って読んでみてください。天野忠の詩もいいし、執筆陣の文章も詩作の参考になります。
 ここでは発行人の水口洋治氏の作品を紹介してみました。このHPでは発行者の作品はできるだけ避けるようにしています。発行者におもねていると取られたくないこと、発行者の作品というのは返礼の中で多く採り上げられていて、まともな感覚の発行者なら自分の作品より仲間の作品に触れてほしいと思っているはず、等々の理由によります。

 その禁を犯して紹介するのは、作品が30周年を迎えた決意と受け止められ、その決意の崇高さに打たれたからです。「平衡を取りながら/細いこの道を歩く」というのは『PO』の平坦でなかった道程を言っていると思います。平坦ではなかった、おそらくこれからもそうでしょう。でも「心におののくものを歌うこと」さえ出来れば、やってこれたことだしこれからもやっていけるのだ、と受け止めました。「空を飛べるくらい/小さな体にしておくれ」というフレーズにも感激しています。「僕に翼をおくれ」とは誰でも言います。しかしその前提は自分の身体に合った大きな翼なのではないでしょうか。少なくとも私は実際にハンググライダーやパラグライダーというスカイスポーツをやっていましたから、自分の身体に翼を合せるのは当然だと思っていました。それを作者は自分の身体を「小さな体にしておくれ」と望みます。この謙虚な態度には敬服してしまいました。

 最終連もすごい決意だと思います。仮に「時には空にはばたい」たとしても、最後には「この道におりたって/ハトのような歩みを/自分に強いるのだ」、いつまでも「空の高み」にだけ居るのではないのだ、と言っています。地に足が着いた、と言うのでしょうか、視線をあくまでも低く抑えていこうという意志を感じます。
 己を小さく、視線を低くという、こういう発行人だからこそ30年も続いたのかもしれません。これからも続くでしょう。益々のご発展を祈念しています。



  詩と評論・隔月刊誌『漉林』118号
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2004.4.1
東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏 発行
800円+税
 

    最後の王    池山吉彬

   古代エジプトのサクス朝最後の王プサメニトゥスは
   ペルシア王に敗れ 捕虜になったとき
   娘が奴隷にされ
   息子が処刑のため連行されるのをみても
   眼を地面に注いだまま立ちつくして
   すこしも表情を崩さなかった
   悲しみの感情がなかったわけではない
   あまりに強すぎたのだ と「エセー」の中で
   人間の悲しみを蒐集した男は書いている
   それが証拠に
   臣下のひとりが曳かれていくときは
   あたまを叩いて悲しんだ と

   暴君として聞こえた最後のバビロニア王は
   「ネズミのように」捕らえられたとき*
   髯はのびほうだいにのび
   眼は焦点を結ばず
   木の洞のように開けた口にペンシルライトをつっこまれて
   敵兵の健康診断を受けた
   彼の顔にも悲しみの色は見えなかったが
   照明に浮かんだ口腔壁が異様に赤かった
   この人はどうしたのだろう
   ふたりの息子の死の報せを聞いたとき
   ひそんでいた暗い穴蔵の天井を
   黙って見つめていただろうか 身じろぎもせず

   時代は変わったが
   さむざむとした風景はすこしも変わらない
   確かに文明は月のあばたを歩けるほどに進歩した
   だが もしかしたらそれは
   松明がペンシルライトに変わった
   その程度の違いかもしれないのだ

   たいていの人間の生涯は
   未完成な挿話のつづきにすぎない
   と書いたのは
   二十二歳のトルーマン・カポーティで
   そして彼はそのとおりの人生を送ったが
   もしかしたら 人類そのものが
   永遠に未完成な種ではないのか
   (いまも ぶざまな挿話を紡ぎつつある?)
   そうではないのか

   悲しみという感情を好まないし 尊敬もしない
   私は生まれつき血のめぐりが鈍い
   そしてそれを毎日理性によって硬くしている
   と 言ったのも「エセー」の著者であるその男だが
   われわれはいま
   どのくらい硬くしたら耐えられるのか
   毎日それを試されている
   そうではないのか
         * 王の威厳を減じるために、敵の報道官が強調した言葉。

 「暴君として聞こえた最後のバビロニア王」とはイラクの元大統領のことだったのですね。確かにその通りです。「ネズミのように」というのが「
敵の報道官が強調した言葉」だったとは気付きませんでした。そういうプロパガンダに乗せられていたのかと改めて思います。「そしてそれを毎日理性によって硬くしている」というフレーズは名言だと思います。「毎日それを試されている」のかと思うと、少し身の引き締まる思いもしています。
 誤植と思われる箇所がありましたので、原書から訂正しています。
 第1連6行目 そこしも → すこしも
 第2連8行目 赤かつた → 赤かった
 ご了承ください。




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