きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.4(木)

 午後から3人で静岡県・菊川に出張してきました。新幹線は掛川で降りて、あとはタクシー。打合せは1時間ほどで終わって、掛川に戻ってきてもまだ16時半。これから会社に戻っても19時頃になりますから、戻るのはやめて、呑もう!ということになりました(^^;
 でも、16時半ですからね、思った通り店は準備中ばっかり。やっと開いている店を見つけました。これがいい店でした。「さんぱち屋」という掛川駅の近くの店です。名前の通り、なんでも一品380円。地酒もすべて380円なのが嬉しい。地元の「磯自慢」が旨かったですね。「酔鯨」も「浦霞」も全部一合380円。こんな店があるのかとびっくりしましたよ。
 人気のある店らしく、18時頃からは予約の客で満席になりました。飛び込みの客だった私たちは18時半までの約束だったのですが、18:15には予約の客が来て追い出されてしまいました。カンウンターだったのに! でも、嫌な気持にはなりませんでしたね。マスターの応対も従業員の対応も好感が持てて、素直に席を立ちました。掛川に行ったら絶対に寄りたい店です。



  季刊詩誌GAIA7号
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2004.3.1
大阪府豊中市
ガイア発行所・上杉輝子氏 発行
500円
 

    換算  横田英子

   バケツに水を入れる
   ホースから注がれて
   満たされていく水
   溜まっていく分
   刻々と減っていくのは
   私の時間

   私の取り分が
   こうして待っているだけで
   費やされる
   コーヒー一杯分の湯が沸騰するまでの
   あるいは電車に乗った駅から下りるまで
   レールの上に刻まれる時間も
   差し引かれていくことになる

   たっぷり抱え込んでいたはずが
   もう両手にものらないのだろうか
   生まれた瞬間からはや滑り落ちていくように
   決められたその範囲内での
   私の領域

   宇宙の中のただ一つの星にすぎない
   その中の世界の小さな国のその都市の
   またその街の小さな小さな一点
   限られた空間を
   ベルトコンベィアーで運ばれていくような
   私の時間だけど

   バケツの水の重さが
   腕や肩に食い込んで しかと知らされる
   そこに行く途上の道こそ
   私のアリバイ
   私はバケツが満たされるまで
   青い空を見上げていよう

 「溜まっていく分/刻々と減っていくのは/私の時間」、「レールの上に刻まれる時間も/差し引かれていくことになる」と、ずいぶん面白い「換算」をするなぁと思いました。でも最終連では「そこに行く途上の道こそ/私のアリバイ」と肯定しているんですね。無駄ということを言っているのではなくて、「そこに行く途上の道こそ」に意義があるのだ、と解釈しても良さそうです。それにしても「限られた空間を/ベルトコンベィアーで運ばれていくような/私の時間」という認識は同感です。人生なんてそんなものかもしれませんけど、でもやっぱり「バケツが満たされるまで/青い空を見上げてい」たいですね。効率って何だろうと考えさせられた作品です。



  二人詩誌『夢ゝ』17号
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2004.4
埼玉県所沢市
書肆夢ゝ・山本 萠氏 発行
200円
 

    ろばの牽く荷車が    赤木三郎

   ひと
   他人を裁くことはできない
   わたしを裁くひとを みとめることなど
   ありえようか

   ろばの牽く荷車が
   ゆくんだよ おどき

   (世界を 吊るくびのベルのおとが つつむ)

 本当は上のような形で紹介するのはフェアではないかもしれません。実際には「他人を裁くことはできない」があとがきとして書かれていて、署名は(あ)となっていました。タイトルにあたると思われる詩句が表紙の写真の右下に書かれています。上の写真の右下の部分です。それらを総合して上の形にしてみました。

 第1連はすぐに判りますね。問題は2連、3連です。第1連と呼応して、おもしろい世界を構築していると思います。哲学的と言ってもいいでしょう。「裁く」という行為と関係のない「ろばの牽く荷車が」主体になっていて、しかも「吊るくびのベルのおとが」「世界を」「つつ」んでいる。「ひと」が「裁く」というものは、その前では何と無力・無意味なことか。さあ「おどき」。そんな光景が浮かんできました。おもしろい作品だと思います。



  二人詩誌『夢ゝ』別冊7号
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2004.4
埼玉県所沢市
書肆夢ゝ・山本 萠氏 発行
500円
 

    旅    山本 萠&赤木三郎

   わたしには
   心が
   なかった
   探しに
   旅に出た

   どうしたらいいのでしょうか どこに心はあるのですか

   砂と 太陽と 鳥とが
   旅の一ねんめに
   はなしかけた

   ――心を持っていないのか
   ――そうです わたしには
    ありません

   ――では 探してもむだだろうよ
    心というものは
    落ちても 実ってもいず
    どこかに埋まってもいないのだから
    おまえに 心は ないままだ

   旅の十ねんめに わたしは沼のそばでねむり ゆめを みた

   ――おまえは なぜ泣く?
    ゆめのなかで
   ――それは
    わたしには 心がなく
    手にもはいらないだろうと
    わかるからです

   ――そうか わたしが
    役にたてるかも
    しれない これから
    わたしを みせよう

   ――あなたは だれですか

           わたしは
         目にみえず
         落ちても
         実ってもいない

   どこかに
   埋まっていることもない

     さわらせることも
     ない ものだ

   ――心 ですね よくみえます わたしに

         よかったな

   おまえは みることが できる
      わたしを ――心を たぶん さわることも

   話は これだけです

 こちらも無粋な紹介になって申し訳ありません。原作は1頁毎に山本さんのクレヨン画があって、それに1行なり1連なりの詩句が書かれています。作者も連名で紹介しましたが、たぶん合っているでしょう。
 作品としては、第1連の心を探しに行く旅から始まって、「一ねん」「十ねん」と探して「ゆめ」の中で「心」と出会うということですが、青い鳥≠連想させます。それに、やはり「十ねん」も掛けないと出会えないものなんだろうな、とも思いました。大人の童話と言っていいのかもしれません。最終の「話は これだけです」というのもおもしろいですね。




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