きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.6(土)

 夕方から組内の総会があって、料理屋で呑んできました。組内と云っても全部で9軒。総勢15人ほどの集まりです。会計報告と事業報告が10分ほどで終わって、あとは呑み会。
 私の日本酒好きは知られていますので、さっそく運ばれてきましたけど、マズイ。銘柄は判りませんでしたが大手メーカーの混ぜ物だらけの酒です。お銚子で5本、それが全部私の前に運ばれてきて、他に呑む人はいませんでした。参ったなぁ。しょうがないから呑みましたけど、2本でやめました。そんな酒を5本も呑んだら二日酔いになってしまいます。組内の人たちとは毎年いま頃、年に一度呑むだけですから無理もないけど、酒なら何でもいいというわけじゃない! 安くて旨い酒が日本にはたくさんあります。どうやってそれを伝えていくか、来年までの課題かなぁ。



  隔月刊詩誌『サロン・デ・ポエート』248号
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2003.2.25
名古屋市名東区
中部詩人サロン・滝澤和枝氏 発行
300円
 

    親子    阿部堅磐

   夕食をとりに
   私と妻と母の三人は
   いつもの居酒屋に入った
   店には親子連れの一組みが
   カウンターの隈で肩寄せ合っていて
   他には誰もいなかった
   私達は奥のテーブル席に腰かけた
   妻と母は小さなグラスのビール
   私はウイスキーの水割り
   肴を食しながら
   私達が静かに談笑していると
   カウンター席の元気な女の子の声が響く
   娘は小学四、五年
   父親の方は五十ちょっとといったところ
   ――お父さんお酒これくらいにしよう
   ――もう少し
   父親はタバコを一服すうと
   大ジョッキをあける
   ――タバコの量も多いよ
   ――そんなことないよ
   とても仲の良い父と娘
   いつしか
   私達三人とその親子とは
   三年来の知己のように
   おしゃべりを始めていた
   ――この娘が二歳のとき、母親が死にまして
    ね これまで男手一人で育てました
   父親は苦労の程を話す
   そんな話を聞いているうちに
   私は幼い頃を思い出した

   母は私が五歳
   兄が十歳の時死んだ
   母に死なれた父は
   以来私達兄弟を
   男手一人で育ててきた
   私が小学生で兄が中学生の頃
   夕食を終えると
   兄はきまって学習塾へ行った
   夜はいつも父と二人だった
   父と共に宿題を済ませ
   父と共に銭湯へ通った
   縁日へ行くのも父と二人だった
   縁日の夜店で父は木琴を買ってくれた
   音楽好きな私にとって
   それは恰好のオモチャとなった
   毎夕 父の植木に水を遣るのは
   私の日課の一つだった
   父が客間で客の応待をしている時も
   私はいつも父の側で話を聞いていた
   勿論 八海山への参拝登山は
   父に手を引かれて登った
   父はいつも優しく
   払を見守っていてくれた

   おにぎりを食べ終えた娘は
   父親に明るく話す
   ――お父さん 家へ帰ってお風呂へ入ろう
   ――そうだな
   父親はおあいそすると
   娘の肩を抱いて私達に軽く会釈し
   ご機嫌な様子で店外へ出ていった

   親子の姿が見えなくなると妻が私に話す
   ――もし 私があの娘の母なら、仲の良い二
    人に嫉妬するわ きっと

 いい話ですね。「夕食をとりに/私と妻と母の三人は/いつもの居酒屋に入った」というのもうらやましいですし、「とても仲の良い父と娘」というのもほのぼのとします。しかも母親を亡くしているというのですから、そっと見守りたくなる親子です。そこからご自分のことへ持っていくのも無理はなく、作者と親子が共通の痛みを持っていることが判り、読者も素直に内面に入っていけます。
 最終連も効果的だと思います。「嫉妬」というキツイ言葉もここではあたたかく聞こえます。人生の機微を見せてくれた作品だと思いました。




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