きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  mongara kawahagi.jpg  
 
 
モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.8(月)

 どこの企業でも役所でもそうだと思うのですが、年度末になると余った予算をどうするかで四苦八苦すると思います。あまり大きな声では言えないのですが、私の職場も同じです(^^;
 私の担当分の予算はとっくに使い切って赤字になっているんですが、全体としては多少の余裕がでています。それ!というので各グループ長がぶんどりを始めました。当然私も加わって数10万円をせしめました。ただし制限があって、今日明日に発注しないと今期納入になりません。本日の最重点項目と位置づけ、あっちこっちの代理店に電話しまくりましたね。幸い全社とも納入可能の返事でしたから、さっそく庶務の女性に購入伝票を発行してもらいました。中には半値近くまで下げてくれた代理店もあって、感謝感激です。
 こうやって小物がどんどん増えていくんだなぁ。少し使ってみて、飽きたら後輩に引継ごう(^^;



  詩と詩論誌『新・現代詩』12号
    shin gendaishi 12.JPG    
 
 
 
 
2004.3.1
横浜市港南区
知加書房・出海渓也氏 発行
850円
 

    罠    平岡けいこ

   「ゴミ処理場はパンク寸前!!」
   市報の見出しは
   増えつづけるゴミを処理する
   場所と経費に悲鳴をあげていた

   仕方ないので生ゴミ処理のために庭の隅に穴を掘る
   プラスチックの小さなスコップで根気よく
   穴を掘っているうちに日が傾いて影が落ちてきた
   無心にただ冷えた土を掘っていると日々の悩みも忘れ
   食事の心配もうすれただ無心に単調な動作をくりかえす
   ロボットみたいだと思うと嬉しくなった
   そのうち体は疲労を覚え嬉しいなどと
   感じることすらなくなるまでひたすら無心に
   ひとつの穴を掘りつづけた
   穴はどこまでも穴でしかなく穴はどこまでも穴だった
   耳の穴や鼻の穴や尻の穴なにかに繋がっていたり
   底のしれてる穴は安全だった
   底のしれない穴にはなにがあるのか、あればよいが
   なにもないことを確認するのは難しい
   後戻りはできないゆえに
   掘りすすむしかなかった、時を忘れてただ無心に
   暗く果てしない穴はいつのまにか私を飲み込み
   当然のようにその底へ
                      落ちていた
   自分で掘った穴に落ちたなんて認めるのは癪なので
   落ちたことに気づかないふりをして
   さらに掘りつづける、どこまでも掘りすすむことで
   なんとかやってゆけるそんな気がした
   そんな気になるための穴だった

 特集「環境」の中の作品です。「増えつづけるゴミ」に対処するため「庭の隅に穴を掘」った作中人物が、結局は「自分で掘った穴に落ちた」という寓意と読取れますが、肝要なのは「そんな気になるための穴だった」というフレーズだと思います。墓穴を掘っても、その墓穴で「なんとかやってゆけるそんな気がした」私たちの現在。そこを痛烈に皮肉っていると謂えるのではないでしょうか。環境問題の詩作品や評論が多い中で、なかなか出てこない視点だと思いました。



  隔月刊詩誌『石の森』120号
    ishi no mori 120.JPG    
 
 
 
2004.3.1
大阪府交野市
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏 発行
非売品
 

    捨て子ごっこ    美濃千鶴

   親の厄年に生まれた子は鬼の子だから
   捨て子にする と聞いて
   そんなあほな と思っていたら

   あんたも一度捨ててきたのよ
   あっさりと母は言った

   打ち合わせの場所に子供を置いたら
   あらかじめ頼まれた誰かが
   すぐさま抱き上げる
   ままごと遊びのような厄除けに
   鬼は本当に欺かれて
   わたしを見失ったのだろうか

   形式ではない捨て子も
   比喩ではない鬼の所業も
   わたしの肩越しに機会をうかがうあの醜悪な
    津波と
   別物でないと誰に言えよう
   捨てた子に込めた祈りだけが
   鬼の子を人にする

   放たれるために

   あの日わたしを拾い上げた
   祖母は眠ったまま今も
   この手首を握る

 「鬼の子」を「捨て子にする」という風習があるとは知りませんでした。おもしろいけど、ちょっと怖い風習ですね。作品の中では「捨てた子に込めた祈りだけが/鬼の子を人にする」というフレーズが重要だと思います。「形式ではない捨て子も/比喩ではない鬼の所業も」現実にはあるわけですから、「祈り」の意味を改めて感じます。
 最終連もいいですね。「あの日わたしを拾い上げた/祖母は眠ったまま今も」祈りの続きをしているんでしょう。家族の愛を超えた、人間のあたたかみを感じされる作品です。



  詩と批評誌POETICA37号
    poetica 37.JPG    
 
 
 
 
2004.2.20
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    日常の問題    中島 登

   ぼくの日常は「物」囲まれている
   大小さまざまな物 物質 固体 塊り 動産
   画鋲や安全ピン ワインや焼酎の空き壜
   サングラスや帽子 鞄 デジタルカメラ 携帯電話

   漱石全集 田村隆一詩集 車の鍵 腕時計 古い楽器
   仁清写しの抹茶碗 ラジコン救急車 感熱紙 仏頭
   シャガールのポスター それから彼女に嫌われ者の
   ラビスやトビアスの版画 ゴヤの油彩の模写などなど

   みんな黙って不平も言わず共棲してくれている
   ぼくの事を一番よく知り理解している「物」たち
   ぼくは彼らに礼を言わねばならない

   しかし一つ問題がある 彼らは耳をもたないことだ
   補聴器は街に行けば手にはいる
   だがよく聞こえる耳は何処で売っているのか誰か教えてくれないか

 これは判りますね。本当に様々な「物」に囲まれた生活をしています。昔、キャンプをやっていた頃を思い出すのですが、「日常の問題」から離れた場所でも、結局はランタンやテーブル・椅子、調理道具に囲まれていました。人間が生きていく上で「物」は避けられないのだと改めて思います。
 作品からは「ワインや焼酎の空き壜」「ラジコン救急車」など、作者の生活の一部が知れて、それはそれで楽しい思いをしました。でも「よく聞こえる耳は何処で売っているのか」というご質問には答えられそうもありません。「物」たちに聞くしかないのかもしれませんね。




   back(3月の部屋へ戻る)

   
home