きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.12(月)

 仕事を17時で切り上げて呑みに行きました。岐阜の「三千盛」が置いてある店で、当然それも呑みましたけど、前から気になっていた「獺祭(だっさい)」というお酒も頼んでみました。山口のお酒だったんですが、意外に良かったですね。軽くて呑み易い。何杯でもいっちゃいそうで、怖いほど呑み易かったんです。世の中には知らない酒が多いのだなとつくづく思いました。一生かかっても呑み切れそうもありませんけど、挑戦したいですね。至福の時間。いい酒に出合ったときは本当にうれしいです。



  詩誌『茜』20号
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2004.2.25
東京都渋谷区
茜の会・高橋晟子氏 発行
非売品
 

    平成十五年七月    藤井ヤヱ子

   生きることは
   日々新たなりという
   明日はごく近い未来

   くさるな
   こだわるな
   すべきことをなし
   一日一歩
   わき目もふりながら歩いていこう

   新しい明日へまず一歩

 初めていただいた詩誌です。どういう詩誌なのか添え文に書かれていた文章を紹介しましょう。

    渋谷区教育委員会主催の「生活の中に詩を」という学級に参加したとき、
   「生まれてはじめて詩を書いてみた」という私たちでした。
    その後グループ「茜の会」を作り、大石規子先生にご指導をお願いして
   月に一度の学習会を持ち、自分たちの生活を詩に書き留める作業を、続け
   てまいりました。一年間の作品を詩誌「茜」にまとめてまいりましたが、
   ここに「茜」二十号を出すことが出来ました。

 教育委員会の生涯学習支援から生れた詩誌だったんですね。「学級」が終わったその後も20年続いているのでしょう。すごいものです。年刊詩集とでも云うべき『茜』も20号という節目を迎えたわけで、皆様のお喜びのひとしおだろうと思います。
 紹介した作品は「わき目もふりながら歩いていこう」というフレーズに惹かれました。普通はわき目もふらずに≠ネんですが、この逆転の発想はおもしろいと思いました。働き過ぎる現代人へのアンチテーゼでもありますし、詩人の視線としては好ましいことだと思います。このユニークな発想も20年という年輪から生れたのではないかと考えた作品です。



  機関誌『雲雀』4号
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2004.3.13
広島市佐伯区
広島花幻忌の会・安藤欣賢氏 発行
500円
 

    五年後    原 民喜

   竜ノ彫刻モ
   高イ石段カラ割レテ
   墜チ
   石段ワキノ チョロチョロ水ヲ
   ニンゲンハ来テハノム
   炎天ノ溝ヤ樹ノ根ニ
   黒クナッタママシンデイル
   死骸ニトリマカレ
   シンデユク ハヤサ
   鳥居ノ下デ 火ノツイタヨウニ
   ナキワメク真紅ナ女

    これは五年前のノートに書きなぐつておいたもの
   である。
   五年前……。私はあの惨劇の翌日、東照宮の境内に
   たどりつき、そこで一昼夜をおくつた。
    石段わきの木陰に、沸いて流れる水があって、私
   はときどき咽喉を潤したものだ。あの水のところに
   は、絶えず誰かが来て、かがんでいたようだ。水を
   飲むためばかりでなく何となく、私の足はあの清水
   のところに向かうのだった。今でも……。満目惨た
   る記憶のなかで、あのささやかな水は何かを囁いて
   いてくれるようだ。
    東照宮の鳥居の下で、反転していた火傷の娘、
    兵隊サン 助ケテ
    あの声が真紅だったのか、あの口が真紅だったの
   か……くらくらと空間がくずれ墜ちるようだ。

 広島東照宮宮司・久保田訓章氏の寄稿「原民喜『五年後』に感じて」の中で、「参考資料」として載せられていたものです。民喜の詩と文章で被爆当時の状況を改めて知らされます。久保田宮司は当時中学1年生。民喜と同じ状況を目撃したとして寄稿なさったようです。
 作品は「五年前のノートに書きなぐつておいたもの」を「五年後」に書いたものですが、たった5年で傷は癒されないだろうと思います。「くらくらと空間がくずれ墜ちるようだ」という文にそれがよく現れています。「黒クナッタママシンデイル/死骸ニトリマカレ」た民喜の「五年前」と「五年後」を考えさせられた作品です。




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