きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.20(土)

 日本詩人クラブの現代詩研究会では、東京・神楽坂の研究会会場と沖縄国際大学とをインターネットで結んだ実験を2月に行い、成功させました。その時は個人のPHSを借用したのですけど、クラブとして器材を購入することが理事会で認められたようで、その購入指示が私に下されました。希望はプリペイドカード式のPHS。固定事務所を持たない任意団体ですから、通信費の支払いに便利なようなもの、通信費の安いもの、というコンセプトです。
 事前にネットで調査したのですが、実態がイマイチ判らない。しょうがないので今日は秋葉原まで出向いて調査しました。その結果、プリペイドカード式のPHSは犯罪で多用されたことから現在では販売していないことが判明しました。普通のPHSは売っていましたけど、年間の契約にしても大幅に予算を上回ります。また、クラブ名での購入は難しいようで、個人契約となってしまいますから掛かった費用の決済方法に問題が残ります。
 そこで私が考えたのは、自宅で使っていないプリペイドカード式の携帯電話があるので、それを使ってもらおうというもの。通信費は高くなりますけど初期投資は不要。通信費も節約すれば何とか予算内に収まりそうなので、モバイルケーブルだけを買って帰りました。

 帰りがけに渋谷に寄って晩メシを摂りまして、いい店を見つけました。LOFTの隣にある「真希」という地酒と蕎麦の店です。地酒のお試しセットが良かったなぁ。店にあるものなら好きな酒を四杯頼んで1280円。もっとも1種類につき2勺か3勺ですから、そんなにたくさん呑めるというわけではありません。でも、久保田の萬壽・酔鯨・出羽桜・浦霞を呑めました。もちろん量は足りませんから福岡出張で味をしめた焼酎「中々」、珍しいところでは高知の「亀泉」なんてのも楽しみました。やはり都内は違いますね。探せばいい店がゴロゴロある。店は静かですし店員の対応も良かったですよ。



  詩誌RIVIERE73号
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2004.3.15
大阪府堺市
横田英子氏 発行
500円
 

    欠ける事情    松本 映

   よく見て
   思いはたっぷりと
   いくさはおわらず
   涙があふれて

   人間をあきらめない叫び
   つらつら考える
   労働者は仕事を嫌がらない
   正直で誠実
   サービスは細やかで
   気配りが行き届いて

   「お若い」といわれて喜ぶ人間が増える
   良いこと悪いこと
   必要か必要でないか
   二通りのほかは考えられない人たちが多くなる
   「こういう作業は人間のやることじゃないね」
   笑いながらの会話
   自分たちだけが偉いと思っている集団
   人間のやる仕事ってなんだろう

   職業倫理はどこへ
   「良い医療」の言葉を聞かなくなって
   「患者さん」から「患者さま」になって
   経営効率をあおる
   今年四月からの独法化
   定員外の「賃金職員」と呼ぶ身分のもの
   看護職員は病棟勤務ができる場合は定員に
   その他の職員は委託かパートかを選ぶ
   十六年勤続の年収三百万が
   一日六時間のパートで百三十万
   年収半減で職員の切り捨てを図る
   生活していけないものは辞めるしかない
   これこそ組織が個人を陥れるときのぬけめのなさよ

   平成十五年度の契約は三月三十日まで
   三月三十一日は一日だけの首切り
   四月一日から新規の採用
   今までの有給休暇は繰越分もすべて取消し
   半年間は有給なし
   これがわが国の労働行政をになう
   厚生労働省のすること
   いまも不条理なクビがたしかに実在して

   年とともにすりへるのは当然
   五十を過ぎてはいくところもない
   欠けていくものでさえたまりつづけて
   相談ごとや
   やりのこした約束ごと
   追いかけている

 「人間のやる仕事ってなんだろう」と考えさせられる作品です。「十六年勤続の年収三百万が/一日六時間のパートで百三十万」というのはひどい話ですし「三月三十一日は一日だけの首切り」というのも信じ難いことです。確かに「『患者さん』から『患者さま』になっ」たとしても「今年四月からの独法化」は「経営効率をあおる」だけのものであるようです。「やりのこした約束ごと/追いかけている」のは、そういう視線を持ち続けるということなのかもしれません。考えさせられる作品です。



  詩誌『獣』59号
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2004.3
横浜市南区
獣の会・本野多喜男氏 発行
300円
 

    手の平の星
       −わが十歳    新井知次

   足をふんばれ
   ほんのちょっと前まで
   銃を握っていた手の平が
   少年達の頬を殴っていく
   一瞬 頭の中に光が走る
   その時ぼくは初めて
   目から落ちていく星を見た
   何のことはない
   卒業式で誰かが屁をこいた
   押し殺した笑いが波になる

   儀式をこわした責任をとれ
   海軍帰りの若い代用教員は
   精神棒を手の平にこめたのだ
   暫くして 彼は追放された
   ぼくの民主主義教育のスター
   トである

 特集「『星』について」の中の一作です。他の作者が「星空」「星」(火星)と、いわばオーソドックスな作品を書く中で「手の平の星」というユニークな視点がおもしろいと思いました。それも「ぼくの民主主義教育のスタート」という歴史的な背景のある作品ですから、重みも加わっていい作品になったと思います。「儀式」に対する当時の権力の姿勢も判る、時代を証言する作品と云えましょう。



  詩誌『吠』26号
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2004.3.10
千葉県香取郡東庄町
「吠」の会・山口惣司氏 発行
700円
 

    朝    桐谷久子

   朝 眠が覚める

    見 猿
    聞か 猿
    言わ 猿

   今年は猿歳
   布団の中でそんなことを考えてる

   生きてることは歯ぎしりすることだ
   泪をたらりと流すことだ

   どれも自分の三猿訓が守れないばかりの
   身から出たほころび

   馬鹿は死ななきゃなおらないと
   言うがそれと同じです

   死ななきゃなおらないものを
   きょうも背負って生きてゆく

   ヨッコラショ
   オハヨウ

 自分を「死ななきゃなおらないものを/きょうも背負って生きてゆく」と狂言回しに仕立て上げていますが、「ヨッコラショ/オハヨウ」と、したたかです。もちろんしたたか≠ニ採るのは誤りで、素直に自分を矮小化していると採る方法もありますが、そうではないように私は思います。カタカナにしていることも強さの証明ではないかと思うのです。「生きてることは歯ぎしりすること」なんだけど、どっこいガッチリ生きてやる、という裏を感じた作品です。




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