きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.22(月)

 異動者がひとりやって来ました。驚いたことに私の呑み仲間でした。呑み仲間とは言っても、まだ若い女性で、以前の職場で懇親会幹事を一緒にやった仲間です。1年間の幹事が終わっても、幹事だけの呑み会は続いています。先ごろの呑み会で、冗談でオレのところに来ないか?と言っていたのが本当になってしまいました。画策したわけではありません(^^;
 直接の部下ではありませんが、彼女の上司が私の下位者になりますから、間接的な部下ということになりますね。仕事は100%私の分野ですので、私としては仕事がやりやすくなるなぁと思っています。いや、待て! 呑み会が増えるだけかもしれないゾ(^^;;;



  詩誌『回転木馬』114号
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2004.3.18
千葉県花見川区
鈴木 俊氏 発行
非売品
 

    間違い電話    川嶋昭子

   夜の九時すぎ電話が鳴った
   てっきり息子からだと思い
   名前も告げずに受話器をとった
   「あき子さん あき子ちゃん」
   女の人の声だった。
   「えーあき子ですけど」
   すかさず
   「おばあちゃんだよ おばあちゃん」
   親し気に連呼する 私におばあさんなどいないし
   「おばあさんて」いぶかし気に聞き返すようにつぶやくと
   「あんたこの頃声が変わったね。室戸のバアちゃんだよ
   分からんのかい」
   執幼にくり返す。
   「あの失礼ですけど」私は含めるように
   「どちらへおかけなのでしょうか。
   私は船橋に住んでいます川嶋昭子と申しますけど」
   そこまで云うと
   「川端昭子ぢゃないのかい。これはこれは
   どうやら私が電話を間違ったらしくほんまに
   済まんことでした」

   帰って釆た息子に半分も話さないうち
   「間違い電話だったのだろう」
   醒めた声の一蹴!
   だから男の子ってつまらない。

 最後の1行が効いていますね。私も男だから判るんですけど、男ってこういう場面では本当に「つまらない」ものだと思います。筋書きがすぐに判った気になって、結論が決まっていることまで判ってしまうから、聞いてもしょうがないと思うんですね。
 そこを翻して考えてみると、女性は基本的にはやさしいのかもしれません。判りきったことでも辛抱強く聞く。そういう訓練を男どもは受けていないことで彼我の差が出るのかもしれませんが、どうもそうではないなと拝読して感じました。「バアちゃん」への応対も「失礼ですけど」と丁寧です。男はやはり女性に負けているなと感じた作品です。



  詩誌『潮流詩派』197号
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2004.4.1
東京都中野区
潮流詩派の会・村田正夫氏 発行
525円
 

    午前二時    中田紀子

   おいかけてくる
   嫌な言葉
   ぴたっとはりついている
   はがれない顔
   膨脹した
   お腹 腿
   胸さわぎ 緊迫 泥まみれの魚
   すべて 消え去る時刻

   ゆっくり ゆっくり
   岸を離れ
   もやにおおわれていく

   親しそうに のびて 閉じる
   二つの目蓋

 特集「夜」の中の作品です。眠りに入る直前の「午前二時」の雰囲気が良く出ていると思います。寝るまでにあった「嫌な言葉」も「はがれない顔」も「胸さわぎ」も、「すべて 消え去る時刻」というのは本当にいいものですね。「ゆっくり ゆっくり/岸を離れ」て行くというのが良く判ります。「親しそうに のびて 閉じる」感じも判りますね。何気なく書かれていますが、無駄を省いて書きすぎないことを作者は心がけているようにも思えます。小品ながら佳品と云えましょう。



  詩誌『流』20号
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2004.3.3
川崎市宮前区
宮前詩の会・西村啓子氏 編集
非売品
 

    ワーズ
    言葉    シルヴィア・プラス
           中田紀子    訳

   斧
   その一撃のあと 森は鳴り響く
   そしてその木精たち!
   木精たちは 走り去る
   その中心から馬のように

   樹液が
   涙のように湧き
   まるで岩の上に
   鏡を作り直そうと
   努力している水のよう

   岩はころがり落ちて廻る
   白い頭蓋
   はびこる草の緑に食べられた
   何年も経ったあと わたしは
   木精たちに 路上で出会う

   干からびて 乗り手をもたない言葉たち
   その疲れを知らない蹄の音
   一方で
   淵の底から 動かない星ぼしが
   人生を支配しているというのに

 「言葉」に対するシルヴィア・プラスの鋭敏な感覚を良く伝えている作品だと思います。「斧」の「一撃のあと」「鳴り響く」「木精たち」を言葉ととらえて良いでしょう。「何年も経ったあと」に「わたし」と「路上で出会う」言葉たち。この感覚は判りますね。
 シルヴィア・プラスの詩ももちろん良いのですが、それを適切に訳した訳者の力量も奏功しているのだと思います。作者にとっても訳者にとっても「人生を支配している」のは「乗り手をもたない言葉たち」なのかもしれません。言語の違いを超えた言葉の力を感じた作品です。




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