きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.24(水)

 私の担当する製品の中では、赤字にはならないものの収益性の悪い品種があります。昨年から営業と工場の担当者が集まってコストダウンのプロジェクトチームが結成されています。昨年、一応の結論が出て、担当者会議は中断していましたが、今日は久しぶりに顔を揃えました。今までの成果と今後の活動方針を検討しようというものです。
 成果が上がっていることは確認できましたけど、先行きは厳しいですね。市場規模も小さいし、同業他社も多い分野です。会社全体としては1兆円を越す売り上げがありますが、その分野は数十億の売り上げにとどまっています。その比較を持ち出すとどうしょうもないんで、私はいつも次のように言っています。数十億の売り上げって、中小企業だったら大変なものだよ。
 ちょっと不遜に聞こえるかもしれませんけど、本当にそう思っているんです。売れる分野にだけどうしても目を奪われ勝ちですが、会社の収益に寄与していることは確かですから、そこは自信を持たないといけません。自分たちの給料分は確実に稼いでいるんですからね。それにしてももう少し売り上げを伸ばしたいものですが…。



  詩と評論誌『橋』111号
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2004.3.20
栃木県宇都宮市
橋の会・野澤俊雄氏 発行
700円
 

    ひな人形    都留さちこ

   戸口は開いていた

   小屋の中に
   闇が
   少しだけ残っていた

   「わたしたちを
    だれか よんでいる」

   「この家に 昔
    住んでいた人々です」

   月光が闇をぼんやり
   照らしていた

   板壁と
   棚の柱が
   おぼろに浮かび
   茶箱が棚に乗っていた

   ふたを開けると

   「月の光をあびると
    きっと わたしたちは」

   「こなごなに崩れ
    散っていくでしょうね」

   中に木箱が入っていた
   木箱を開けると

   白いかげが
   ふわりと消えた

   戸口でコトリと音がし
   何か去っていった

 「小屋の中」とありますから物置小屋を想像すれば良いのでしょうか。「茶箱」の中には「木箱」。その中の「ひな人形」たちの会話は、一見不気味ですけど、人間に危害を加えるようには思えません。「何か去っていった」存在でしかないものたちは「この家に 昔/住んでいた人々」なのでしょう。旧家の古い「ひな人形」は末裔たちの守り神と受け止めるべきだと思います。祖先から延々と続く日本人の血を感じさせる作品と云えましょう。



  季刊詩誌『象』112号
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2004.3.25
横浜市港南区
「象」詩人クラブ・篠原あや氏 発行
500円
 

    横浜公園    篠原あや

   毎朝
   私の手を引いて
   父は 公園のベンチに寝ている人たちの間を廻る
   そして いくばくかの小銭を
   ひとり ひとりに配る

   どうしていつもそうなのか幼かった私にはその行為の
    意味が理解出来なかった
   ただ 父と一緒に散歩することが嬉しく
   小さな会話を交しながら歩いていた

   そんな ある日
   突然 父は
   誰も好きであゝしているのではないのだよ と言った
   私への誡めの言葉だったのかもしれないが
   幼かった私には
   その意味は判らなかったのだろう

   いまも
   あの時と同じような風景が
   繰り拡げられている

   でも 違う
   どこかが
   少し違う

   そんな独り言を呟きながら
   私は公園を歩く

   外は 明るい

 ホームレスという横文字の言葉でつい錯覚してしまうのですが、「公園のベンチに寝ている人たち」は昔からいたのだと改めて思います。そういう意味では「いまも/あの時と同じような風景が/繰り拡げられている」わけなのですけど「でも 違う」。「どこかが/少し違う」。どこが、何が違うかというのは「外は 明るい」という最終連に隠されているのかもしれません。あるいは、現在は「私への誡めの言葉」が無くなったということなのか、あるいは「誰も好きであゝしているのではないのだ」という認識が現在では薄れたことを言っているのか、あるいはそれをまとめた言葉なのかもしれません。ホームレス襲撃などの報道に接すると、やはり昔と違うのだろうなと思います。「父」と「私」の「横浜公園」は、ずっと広がりを持っているのだと感じた作品です。



  詩誌『すてむ』28号
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2004.3.25
東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会 発行
500円
 

    たばこ    長嶋南子

   二階から三階の非常口
   休憩時間にたばこを吸った
   青空にひとはけすじ雲
   雲がこんなにきれいだったとは
   知らずにずっとすごしてきた

   三谷さんの口からけむり
   風間さんも綿島さんも可部さんも
   けむりが空に登っていく
   それぞれが階段にすわって
   みんな黙って
   空を見上げている

   あと数ケ月で定年
   非常口の表示は緑で
   禁煙は赤で
   約束事はきまっている

   綿島さんはひとりで
   来年度計画なんかはなしている
   計画のなかにわたしはもういない
   それよりも
   綿島さん空をみてよ
   雲はいつだって同じかたちではない

 「わたし」は「あと数ケ月で定年」。もちろん「計画のなかにわたしはもういない」。「約束事はきまっている」からしょうがないけど、それって人間の世界だけのことで「雲はいつだって同じかたちではない」じゃないか… 見事な展開の作品だと思います。「それぞれが階段にすわって」「たばこを吸っ」ているという庶民的な、何でもない光景から普遍性を導き出していると言ったら言い過ぎでしょうか。いや、それがこの詩人の持ち味で、すごいところだと思います。感銘を受けた作品です。




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