きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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モンガラカワハギ
新井克彦画
 

2004.3.31(水)

 今年度も今日でオシマイ。かと言って特に変ったことはありませんでした。平穏無事に過ぎていきます。さて、去年の今日は何をやっていたか日記をひもといてみましたら、1ヵ月前の日記をふうふう言って書いていたんですね。それに比べると今年は正真正銘今日の日記を書いています。余裕が出てきたんだなと実感しています。仕事も私事も多少のゴタゴタはありますけど、基本的には思った通りに進んでいます。いただいた本もほとんどその日に読んでいますからね。こういう生活を続けたいなぁ…と言いながら段々保守的になっていくんだろうか(^^;



  季刊詩誌『竜骨』52号
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2004.3.25
東京都福生市
竜骨の会・村上泰三氏 発行
600円
 

    廻り舞台    村上泰三

   東から 一見実直なサラリーマン風の仮面を付けた男が登場。しゃ
   かりきに働いて 燃え尽きてしまう奴を横目に見ながら そこそこ
   に仕事をして 無事長らえて引退劇まであい勤める。正義感などと
   いうものは 胸の奥深くしまいこみ 口を尖らせてしゃしゃり出よ
   うとする 自分の背中を引き止めて 人間 まず食わにゃならんの
   だよ。

   南から 騒々しい真っ赤な仮面が ふらふらと流れてくる。赤提灯
   からスナック キャバレーと 明日の二日酔のつらさも何のその
   せめて一夜の大騒ぎ。訳知り顔で 天下国家を論じたり 上司の悪
   口 部下のだらしなさ。昔はこんなじゃなかったと。昔は 昔はと
   いうようになったらおしまいなんだが。オレほど判っている人間は
   いないんだ。まあ 誰も本気で賛成してくれないのが つらいけど
   ね。ああ また明日が来ちゃうよ。

   西では 善良な家庭人のマスクがぐったりしている。戦争で負けて
   から とりあえずは平和な国になり 他国の戦争に便乗して稼ぎま
   くり。良き父 良き夫 良き隣人の顔をして 本当にやりたいこと
   は抑え込んで。気が付けば みんな長生きになりすぎて。老々介護
   は当たりまえ。年寄りを敬えといったって 年寄りが年寄りを敬っ
   ても なんにもならない。若者は そっぽを向いている。今までの
   ツケが廻ってきて 借金だらけのこの国は崩壊寸前だ。ところで
   誰が車椅子を押してくれるのかな。

   北から 黒い仮面の男 しずしずと登場。一人だけの時間 自分ひ
   とりだけの。仕事のことは忘れて 家族も締め出して 友人とも
   しばらくさようなら。改めて 何物でもない自分に会いに行く。光
   には背を向けて しかし暗黒からも逃れて。限りなくグレーの薄闇
   の中を ふわふわと漂っている 踏ん切りの悪い奴。そのために
   きわめて身近な人間たちを不幸にしてきた きれいごとと建前だけ
   のつまらない奴に アルコールの力を借りて 今晩も会いに行く。
   ああ こんなこと いつまで続くんかいな。

 身につまされる作品です。「正義感などと/いうものは 胸の奥深くしまいこみ 口を尖らせてしゃしゃり出よ/うとする」「オレほど判っている人間は/いないんだ。」「本当にやりたいこと/は抑え込んで。」などの詩句には、思わず唸ってしまいました。
 最終連の「きれいごとと建前だけ/のつまらない奴に アルコールの力を借りて 今晩も会いに行く。」という詩句もツライですね。そんな生活を続けてきたなぁと改めて思います。
 「廻り舞台」とは巧いタイトルを付けたものだと思います。東西南北≠ナはなく「東南西北」ですから、麻雀も意識しているのかもしれませんね。キツイ詩ですが、遊び心も感じた作品です。



  詩誌『解纜』124号
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2004.3.1
鹿児島県日置郡伊集院町
解纜社・西田義篤氏 発行
非売品
 

    歯    西田義篤

   朝 日覚めると口の中に異物がある
   手にとってみると私の臼歯だ
   以前から少しぐらついて気にはしていた
   酷使され続けてきた歯が
   観念して自ら抜け落ちたのか
   私がよほど悪い夢をみて
   烈しく歯ぎしりでもしたのだろうか
   それにしても呑み込むこともなく
   口の中にとどまっていたとは……
   と妙に感心してしみじみと眺めてみる
   歪になった第三大臼歯
   智歯――親知らずといわれ
   痛みをともなって最後に生えてきた歯
   もう固い木の実や魚や鶏の骨を
   思いきり噛み砕く楽しみはなくなったが
   老いの証として受けいれざるを得ない

   早春を予感させる陽が病室に斜めに射し込み
   母は深く眠っている
   ふと 床をみると母の入れ歯が落ちている
   人工の歯はあくまで白く
   見事な歯並びで歯肉も新鮮な紅鮭色だ
   ひかりを当てられ
   微妙な陰影をおびると
   歯は奇妙な存在感で迫ってくる
   母の歯茎は痩せ細り
   入れ歯はもう合わなくなっている
   それでもはめているのは
   舌や顔が変形するからだ
   浮いた入れ歯はわずらわしいのだろう
   母は入れ歯をはずすと布団の中に隠したり
   放り投げたりするのだ

   恐竜や獣の歯は化石になったり
   磨かれて美しい装身具にもなったりするが
   抜け落ちた人の歯は
   子どもの玩具にもならない
   上の歯は地へ
   下の歯は天へ
   新生する歯への願いを託して
   抜け落ちた歯を
   床下や屋根に放り投げたのは
   遥かに遠い日のことだ

   抜け落ちた私の歯を
   残しておいた父の歯と共に
   庭の海紅豆の根元に埋める
   願い事はもうしない
   瘤だらけのこの異端の樹は
   幹のいたるところから芽を吹き出し
   夏から秋まで
   血よりも赤い花を咲かせ続ける

 「私の臼歯」から「母の入れ歯」へ、「恐竜や獣の歯」から「残しておいた父の歯」へと思考は展開していきますが、底にあるのは「老いの証として受けいれざるを得ない」というフレーズでしょうか。最終連の「夏から秋まで/血よりも赤い花を咲かせ続ける」というフレーズはそれへの反発と受け止めることができると思います。「歯」を喩とした人生の妙を語る詩と云えるかもしれませんね。
 経験はありませんが「母は入れ歯をはずすと布団の中に隠したり/放り投げたりするのだ」はちょっと微笑ましく、この作品を明るくしているフレーズだと思います。それにしても「歯」ひとつでここまで書き切るとは! 敬服した作品です。



  個人詩誌『犯』25号
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2004.4
埼玉県さいたま市
山岡 遊氏 発行
300円
 

    水辺の羽音    山岡 遊

   ――走るバッファローの背中で跳ねる男の精神保留地――
   このあやふやな感覚を足に変換する
   足は行く
   大和田公園通り
   遠くですすきの尾花が白い炎のように揺れている
   色付く田園は秋の顔をもたげ
   その実景は耳や鼻のようにかなしい
   なぜなら
   瞼や唇が持つ
   自ら閉じる力を喪失しているから

   芝川に架かる
   石橋の上を行き交う
   家男 家女
   その足たちの下にも人は住む
   誘われてせせらぎには
   小鷺が舞い降り
   真鴨が水面
(みなも)でからくりのように逆立ちをする
   砂地では鳩の群れが群れを戯れ
   ハシボソ烏が爆発物のように笑う
   午前九時の奇観
   鳥たちに囲まれ眠る男の寝息もまた
   冬の通路である

   ――なぜ、こんな言葉しかつかえない――
   たった一人の野垂れ死に
   空賊の影を写した私の出自は
   鳥を眺め
   鳥を食って生きた
   これはただの人生に過ぎない
   だが
   どんな人生にも耳を澄ませば
   あえぐ羽音が聴こえるはず
   その一拍 一拍を研ぐ
   刃にする
   おお、袈裟掛けに一太刀を
   わが言語活動
(ランガージュ)に斬り込めよ

   一枚、桜の枯れ葉が落ち
   両手で掬う
   赤と黄色の斑のなかに
   一点の穴があいている
   かざしてみれば
   円形の中をゆっくりと玉鴫
(タマシギ)が飛ぶ
   空、二三丁目あたりで消える
   (空にも番地がある)
   空の墓場
   まるで詩の亡国

   夥しい肉
(しし)でざわめく羽音
   インディアン流の名をつけるなら
   ――屍から飛ぶ鳥たち――

   もう誰も誘惑しなくなった空
   割れよ
   あわよくば
   人を言語で解かず
   鳥音で解け
   水辺のプロファイラーよ
   詩を書き終われば
   すべて
   さよならである

 山岡詩にしてはちょっとおとなしいのですが、その分深さがあるように思います。山岡遊さんは詩をいつも真剣に考えている詩人です。そこが巧く表現できている作品ではないでしょうか。「ハシボソ烏が爆発物のように笑う」「――なぜ、こんな言葉しかつかえない――」「おお、袈裟掛けに一太刀を/わが言語活動に斬り込めよ」「空の墓場/まるで詩の亡国」などのフレーズに魅了されています。最終連の「詩を書き終われば/すべて/さよならである」は格好良すぎるけど、しっかりと納まっていて、ヤラレタ!という思いをしました。私が見たら何でもない「水辺の羽音」が、この詩人に掛かるとこんなにも詩的になってしまうのかと、ちょっと妬ましささえ覚えた作品です。




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