きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】
小田原・御幸が浜にて | ||||
1979年 | ||||
2004.4.1(木)
今日から新年度。いかがお過ごしでしょうか。私はヘトヘトになっています。お得意さまが来社されて2時間ほどの会議を持ったのですが、疲れました。私が担当している商品を買っていただいているんですけど、品質監査システムを構築したいとのことで、その内容を詰めていました。いつもは逆で、関連会社に監査に行く立場です。監査される側の心理が良く判りました。両方の立場が判ったので、納得してもらえるものを構築しようと思っています。でも、会議が終ったら急にフラリとしましたね。自分が思っている以上に神経を使っていたようです。
早めに帰宅して、気分転換に日記の頁の絵を換えてみました。1979年当時持っていたジープとトレーラーです。ジープは往年の名車・三菱J54で、トレーラーは自衛隊払い下げのロケットランチャー用トレーラーの改造車です。ほとんど陸上自衛隊員に間違えられそうですが、偽者です(^^; でも、この格好で自衛隊駐屯地に近づいたら衛兵が敬礼しながら出てきたなぁ(^^;
こんな写真を載せようと思ったのには理由があります。職場の後輩が4駆にボート用のトレーラーを曳いていると聞いたので、おぢさんも昔やってたよ、HPで見せてやると息巻いてしまったのです。この写真の頃の私は29歳。彼は今31歳だそうですから、この年代というのは時代に関係なく似たようなことをやるものだなとつくづく思います。
それにしても昔はスリムだったなぁ。今は顔より前に腹が出ています(^^;;;
○詩・小説・エッセー誌『青い花』47号 |
2004.3.20 | ||||
東京都東村山市 | ||||
青い花社・丸地 守氏 発行 | ||||
500円 | ||||
源五郎 神山暁美
ひとがもつどんな大きな地球儀にも
針の穴ほどの点にすら記されない水たまり
これがおいらの宇宙
標高一〇九九m 周囲二三〇m 水深八m
おいらの仲間が生きているのは
この世でたった一ケ所 夜叉ケ池しかない
流れこむ谷も 流れおちる滝もない
水が絶えたことなく溢れた過去もない
龍が棲むという謎の池とかさねて
ひとびとはおいらたちを不思議がる
そして名前もつけかえた
池の名を冠して「ヤシャゲンゴロウ」
こがね色にかがやく羽根
肉食のエネルギーで飛翔移動する知恵
その術も技も失くしたわけではない
だが ここよりほかの地へ
おいらの祖先が飛んだ記録は
いまだかつて ない
食物連鎖の頂点にたっているとは
思ったこともないが
ひもじさを感じた記憶がないのは確かだ
危険をはらんだまぶしさは苦手で
山の頂きが夕陽を呑みこむころ
おいらたちは動きはじめる
水面が適当に夜空をきりとって
月も星も雲もうかべる
ひとがロケットにのって月をめざした日
おいらも池のなかの月まで泳いでいった
体長一六ミリ いのちの重さ二グラム
身の丈にあった欲と夢をおいかける
ミクロコスモスの住人 おいら源五郎
*夜叉ケ池…岐阜県と福井県の県境にある池
「針の穴ほどの点にすら記されない水たまり」とは、おもしろい設定だなと思ったらゲンゴロウの話なんですね。「夜叉ケ池」という「謎の池」にも興味をそそられますが、「身の丈にあった欲と夢をおいかける」「ヤシャゲンゴロウ」は、「ミクロコスモスの住人」でしかない人間の喩のようにも思えて想像をたくましくさせてくれます。人間と違って「食物連鎖の頂点にたっているとは/思ったこともない」のは殊勝と言うべきでしょう。
詩の表現として「山の頂きが夕陽を呑みこむ」という詩句は良い視線だと思います。単に沈む≠ナはなく「呑みこむ」とあることから、その前の「肉食」「食物連鎖」という言葉と連動して、言葉が立体化されていると云えましょう。「源五郎」という昆虫の眼から見た世界は、対する人間の世界も考えさせてくれた作品です。
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