きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.8(木)

 製造課の設備に検出器を付けてもらうため、メーカーに来てもらいました。私の職務は品質保証で、本来なら関知しない業務なのですが、あえて顔を出しました。本来は生産技術部の仕事で、依頼主は製造課。私のやるべきことは、あるトラブルの解決を製造課に迫ることです。それを受けて製造課は生産技術部に開発依頼をし…。そこまでは順調だったんですがね。生産技術部は難しいと言ってナゲテしまったんです。

 彼らはデキナイと言えば終りでしょうけど、困るのは私です。また同じトラブルが起きたら、客先に謝りに行くのは私ですからね。心当たりがあったので、メーカーを製造課に紹介したという次第です。
 私の理想とはちょっと外れましたけど、原理的には出来ることが確認されました。あとはメーカーと製造課の仕事です。私も助言者として今後も顔を出すことにしましたけど、まあ、うまくいくでしょう。話をしてすぐに判ったのですが、メーカーの営業技術者も信頼のおける人です。技術の話というのは、話をすれば技量がすぐに判るというのが、怖いけどメリットです。



  個人詩誌『愚羊・詩通信』7号
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2004.5.1
東京都葛飾区
森 徳治氏 発行
非売品
 

    六、闇の記憶(2)

   八月十五日
   私は天皇の敗戦の放送を聞き
   八月二十一日には隊門から外へ出た
   私が私鉄の駅へ向かって歩いていた その時
   飛行場滑走路を一機の零戦が発進した
   零戦は飛行場上空を一周すると まっしぐらに
   東京湾の青い波を目指し 海中に突入自爆した

    改田義徳 20・8・21 殉職 東京湾方面 高等無線出身 神奈川県
                  (雲流るる果てに)−白鴎遺族会編より

   おれの旗の上に光るもの
   おれの詩に歌われるもの
   死よ
   北海のアッツ島で 太平洋のタラワとマキンで
   ペリリューからサイパン・テニアン・グァム島で

   ニューギニアとフィリッピン
   果ては硫黄島と沖縄で
   無数の兵士と住民が
   降伏を拒否して死んだのは
   大日本帝国には降伏はなかったからだ
   降伏してはならないと命令されていたからだ
   特攻隊が死を必然とする攻撃を実行したのは
   すべての者が後につづくのだ、という
   指導者の言葉を信じたからだ
   降伏が有り得るのであれば
   先に死んだ者はどうなる?
   騙されて死んだことにならないか
   降伏が有り得るのなら
   これからの日本はどうなる?
   騙されて死んだ者の上に築かれることにならないか
   戦争を指導した陸海軍上層の者は皆死ななければならない
   そうでなければ死んだ者の魂は鎮まるまい
   おれが死ぬのは
   先に死んだ者の魂と一緒になるためだ
   先に死んだ者に連帯するためだ
   恋人よ
   君のほほえみ 君の白い腕 君の脚 君の黒髪よ
   おれの夢は君をかたく抱きしめることだった
   友よ 腕相撲の相手だった戦友よ
   父よ 母よ
   おれは酒の上では誰にも負けなかった
   酒と 腕相撲の横綱で
   喧嘩には自信があったおれだったが
   さらば祖国!
   わが青春よ!

 今号は「長編詩 雲の記憶―厚木航空基地1945年―」と副題が付いており、7章に分かれた作品が載っています。それ以外に「詩集 飛騨山脈」として21編の詩も載せられていますが、圧巻はやはり「雲の記憶」だと思います。まさに「長編詩」ですが一気に拝読しました。
 紹介した詩はその一端です。改田機の「自爆」はよく知られていることですが、改めて「先に死んだ者に連帯するため」に死を選んだ彼の思想に敬服しています。「騙されて死んだ者の上に築かれ」た現在の日本を、もう一度問い直す時期かもしれません。イラクへの自衛隊派遣が現実となり、困難に直面しているのは「戦争を指導した陸海軍上層の者は皆死なな」かった結果ではないかとも思っています。重いテーマですが、現在の日本の出発点を考えさせる作品だと思いました。



  詩誌『よこはま野火』46号
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2004.4.1
横浜市旭区
よこはま野火の会・阪井弘子氏 発行
500円
 

    更け行く秋の夜    進藤いつ子

   ぼくはポリネシアの海だ と言い出したのはあなた
   *「南太平洋」 の舞台になったモオレア島の
   あの奇怪な山を背にした真っ青な海に限る と

   へえ− わたしはアフリカよ
   ケニアのマサイマラのサバンナの真ん中
   あの格好よく枝を広げたアカシアの木のあのあたり

   南の海はいいよ 沢山のきれいな魚が友達になってくれる

   そう わたしにはライオンがいるわ
   ゾウもキリンもシマウマもチーターもヒヒもね
   春ならばライオンのたてがみに桜のはなびらのように舞散るの
   冬ならばアカシアの枝に粉雪となって降り積もるもよし

   更け行く秋の夜
   思いがけず飛び出した散骨の話は
   観光先を選ぶが如く お互いに譲らない

   縁あって学生の頃から半世紀も付き合ってきたのだもの
   もう このあたりで南太平洋とアフリカ大陸に別れたってね
   そうだ! そうよ!
   いずれも南は南 赤道の上あたり
   赤い糸ならぬ赤い道に結ばれて
   あらぬ所で再びまみえる というのも面白い

   会話の途絶えた後の淋しさがわかりすぎて
   夜長の秋は更けていく
                  
* ミュージカル「南太平洋」

 「観光先を選ぶ」話かと思ったら「散骨の話」だったんですね。「南太平洋とアフリカ大陸に別れ」るかもしれないけど「赤い糸ならぬ赤い道に結ばれて/あらぬ所で再びまみえる」かもしれないというのですから、「半世紀も付き合ってきた」「縁」の深さが伝わってきます。でも「会話の途絶えた後の淋しさがわかりすぎ」るのは、人間の、生命の宿命とでも言うものでしょうか。「散骨」さえも明るい会話にしていく、その奥の「淋しさ」をよく表現していて、感銘を受けた作品です。




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