きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.10(土)

 義母に頼まれて、裏の畑を耕しました。裏の畑は嫁さんが贈与してもらったものですが、野菜を作るのは義母の役目です。根っからの百姓の義母は、惚け防止に野菜を作りたいと言ってきたのです。出来た野菜はほとんどがわが家で消費することになりますから、もちろんOK! そんな関係が10年ほど続いています。
 ただひとつ困ったのが、耕すということです。老齢の義母が鍬を持つことは困難で、私も挑戦してみましたけど1mもやらないうちに根を上げてしまいました。そこで義母が小さな耕運機を買ってくれて、それで耕すことになりました。耕すと云っても年に2、3回ですけどね。その2、3回のうちの一日が今日でした。
 作業は1時間ほど。百姓気分を味わうにはちょっと足りないかもしれませんけど、満足です。使い終わった耕運機の掃除に1時間ほど掛かりますから、本当は何をやっているのか判りませんけど、まあ、これで大威張りで野菜が食べられるというものです(^^;



  詩誌EOS3号
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2004.3.31
札幌市東区
EOS編集室・安英 晶氏 発行
500円
 

    昆虫の書    高橋渉二

    ヒラタ

   みつからない
   めだたないすがたをすること
   影はみせないこと
   影をださないために
   からだをひらたくすること

    攻めるとき 逃げるとき
     枯葉になり土砂になる と
    戦場から還った人間の父は言った
     国破れて 山河骨折 刃こぼれの月
    大東亜のあなたに流れ錆びつく血糊の川

    ペタッ ペタッ ペタッ ペタッ
    くりかえし貼ったりはがしたりできる
    透明テープと化して ひらたくひらたく
    身をひそめて生きのびること
    (立ったら 首がとぶぞ)

   葉っぱにぴったりくっついて
   葉っぱのふりをする
   おれは南島の虫 ヒラタ
   人間は不幸にも影をつくってしまうが
   おれは影をみせない

   人間の爪ほどの大きさで
   人間の鼻毛ほどの翅があって
   ときには避難をすることもあるが
   うまれつき葉っぱがふるさとのヒラタ
   葉っぱは天に所属している

   ホー ホホ ケキョケキョケキョ
   おっと 敵だ

 「昆虫の書」として「ヒラタ」「ハラグロウマオイ」の2篇が載っていました。紹介したのはそのうちの1編です。昆虫については門外漢で、「ヒラタ」という虫がどういう虫なのか判りませんが、そんな私にも作品として判るように表現していて、こういう作品のあり方としては申し分ないと思います。「南島の虫」であること、「人間の爪ほどの大きさで/人間の鼻毛ほどの翅があ」ること、何より「からだをひらたく」していて「葉っぱのふりを」していることでこの虫の特徴が充分に出ていると思います。それに「戦場から還った人間の父」を重ねたことで作品に深みを与えたと思います。技巧に流れない、視点のしっかりした作品と云えましょう。



  児童文芸誌『こだま』24号
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2004.3.30
千葉県流山市
東葛文化社・保坂登志子氏 発行
非売品
 

    拔河

   一早
   媽媽叫我起床
   枕頭要我睡覺
   媽媽

   一早
   老師叫我上課
   操場要我玩球
   老師

   晩上
   叫我唸書
   電視要我看
   

   晩上
   作業叫我加油
   我開始作夢
   
   我



    つな引き    麦 莉(台湾)
             保坂登志子訳

   朝早く
   ママがぼくに起きろと言い
   枕
(まくら)がぼくに眠っていろと言う
   結果はママが勝ちました

   朝早く
   先生がぼくに授業を始るように言い
   運動場がぼくにボール遊びをしようと言う
   結果は先生が勝ちました

   夜
   パパがぼくに本を読めと言い
   テレビがぼくにアニメを見ろと言う
   けれど結果はパパが勝ちました

   夜
   宿題がぼくにがんばれと言うけれど
   ぼくは夢を見始めている
   イエイ!イエイ!
   結果はぼくが勝ちました

 台湾の子供の作品です。ちょっと苦しかったけど原文も載せてみました。パソコンで文字コードが割当てられていない難しい字は画像で貼付けました。見難いけど雰囲気は味わってもらえると思います。
 「結果はママが勝」って、「先生」も「パパ」が勝つけど、最後は「ぼくが勝ちました」。それって「ぼくは夢を見始めて」しまったことなんだけど、許せますね。台湾も日本も勉強ばっかり(最近の日本は違うようですけど…)。子供らしい反骨精神が出ていて、思わず頬を緩めてしまった作品です。



  松越文雄氏詩集『ひと休みの空』
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2004.3.1
東京都新宿区
思潮社刊
2400円+税
 

    一人の家で

   息子は高校を終えたあと
   一年間家でぶらぶらし
   そのあと東京でフリーターをしている。
   時々家賃が払えなかったりしている。
   娘は高枚で不登校になり
   やはり一年間家でぶらぶらし
   よその土地で高校をやり直しした。
   今年の春家政大学に入ったが
   4年間続けられるか自信がないと言う。

   私一人きりの生活が始まっていた。
   ずっと前からだが 家のどこかで
   人の気配がすることがある。
   息子が灰皿を引き寄せたり
   娘が引き出しをいじったり
   はっきりとした物音がする。
   まさかこっそりと帰ってきたのかと
   二階に行ってみたこともある。
   もちろん誰もいなかった。
   ついでに家中の照明をつけてみたが
   本当に誰もいなくなっていた。

   そんなときは
   子供がよほど困った目に遭って
   家に帰りたがっているのではないかと
   考えたりしてしまう。
   あとから分かったことだが
   そういうふしも一、二度あったようだ。

   すっかり心配性になってしまったが
   あちこちから呼び出しがかかるようなことを
   二人して8年にわたってさんざんやられたから
   いまだにその続きがありそうで
   夜の町に出ることもできない。

   「そろそろ再婚したら?」と
   近所の人は最後には言う。
   「妻が一人っ子だったものですから……」と濁しながら
   妻の帰るところ
   子供の帰るところに
   そのままに待っている私を想像してしまう。

 詩集には「ひと休みの空」という作品はありません。定年退職を前に、あるいはそれを前にしてフッと「ひと休み」したいという思いがあるのかもしれません。著者は私より2年先輩の方のようです。私もあと5年ほどで定年を迎えますので、その気持には共感しています。
 紹介した作品はそんな作者の心境が良く出でいる詩だと思います。「ひと休み」したいという思いがあっても、現実には子供たちの「いまだにその続きがありそう」な気配。でも、結局は「妻の帰るところ/子供の帰るところに/そのままに待っている私」でしかあり得ない。そんな達観したものを感じてしまいます。
 詩集には掌編小説2編も収められていました。その中で特に、白痴の少年がサケを捕らえる「川をのぼってくるもの」という小説は、少年と彼に悪ふざけをする別の少年たちの姿が見事に描かれていました。散文詩と言っても良いような作品です。人を見る眼の確かさを感じた詩集・小説集です。




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