きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

    jeep.JPG    
 
 
 
 
小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.13(火)

 3年前の技術課時代に開発した装置を久しぶりに組み立ててみました。もう使うことはないだろうと思っていた装置なのですが、ある製品に使いたいという希望が出てきたものです。私がそのまま技術課にいれば、当然私の仕事ということになったのですけど、現在は品質保証課勤務ですから、後任に引継ぐことになります。後輩に組み立て方を教えて動かしてみましたけど、何の問題もありませんでした。構造が簡単ですから心配はしていなかったのですが、部品の散逸などがあって、内心はヒヤヒヤしていました。

 足りない部品の購入方法も教えて、引継ぎは終了しました。今度はその装置を使った製品の品質評価が担当になります。自分で造ったものを自分で評価するということですから、甘くならないように注意しようと思っています。何せ他人には厳しく自分には甘い人間ですからね(^^; 気をつけます。



  詩誌『木偶』57号
    deku 57.JPG    
 
 
 
 
2004.4.10
東京都小金井市
木偶の会・増田幸太郎氏 発行
400円
 

    この詩を書くことができた    荒船健次

   母は五人の子どもを残して、四〇代半ばに病死した。父は母の妹と
   再婚した。叔母さんと呼んでいた人を、われわれは「ハハ」と呼ぶ
   ことになった。まもなく弟と妹が「かあちゃん」と呼び始めた。し
   ばらくして、姉と兄が「おふくろ」、と呼び始めた。わたしだけが、
   「ハハ」と呼ぶことに取り残された。

   父が再婚したことを学校の担任の先生に伝えた。先生は「もうお母
   さんと呼んだ?」と聞く。むっとして、首を横に振る。すると先生
   は「素直に甘えれば」と逆撫でする。わたしは担任が嫌いだった。
   感傷と道徳臭をちらつかせる、ホームルームの時間は、特に。それ
   なのに、叔母さんのことを話してしまった。わたしが嫌っているに
   もかかわらず、先生は、詩を書くことを勧める。宿題で詩を書いた
   にすぎないのに。

   叔母さんはとても気が強い。妹がいじめられて帰ってきた。叔母さ
   んは憤り、今にも拳で撲りかからんばかりに、学校時代のことを話
   した。「クラスに威張っている男の子がいてね、喧嘩を売りにきた、
   わたしは小柄だったけど、その子を棒で追い回してやった。男なん
   かに負けていられない」

   叔母さんと事あるごとに衝突する。女性特有の日、叔母さんはブレ
   ーキの利かない感情で目を血走らせ、鬱屈を斧のようにわたしに投
   げつける。わたしも応戦する。二人の鍔迫り合いに口を挟まず、影
   のように押し黙っていた父が、頃合いを見て「もう、よせ」とタオ
   ルを投げ込む。

   父と叔母さんの間に子どもが生まれないことを切に願った。姉が嫁
   ぎ、やがて妹が嫁いで、無口の父は失語症のようになった。秋の長
   雨が続き、叔母さんといつになく打ち解けて話した。叔母さんは、
   「もし、子どもが生まれていたら、幾つになるかな」、としんみり。
   叔母さんに冷たく背を向ける心の中の少年に、ハッ、と胸を突かれ
   た。

   父は八〇代半ばに亡くなった。少し遅れて、叔母さんも父の後を追
   った。わたしの心には、少年の尻尾がついていて、叔母さんが亡く
   なるまで、「ハハ」と呼ばせなかった。叔母さん、そしてわたしが
   嫌っていたにもかかわらず、詩を書くことを勧めてくれた担任の先
   生。そうした、惨さを苦く噛み締め、わたしはこの詩を書くことが
   できた。

 淡々と書かれていますが、内容は大変なものだと思います。もちろん詩作品ですから全てを事実として採るべきでなく、あくまでも文芸として読んでいます。それでも滲み出してくるものを感じます。
 「叔母さん」「父」「担任の先生」の人間像は良く描けていると思います。「わたし」は「心の中の少年」「少年の尻尾がついてい」る存在として描かれて、この書き方はおもしろいですね。客観視する上で奏功していると云えるでしょう。「この詩を書くことができた」理由に無理がなく、読者はある程度屈折しながら読まなければいけないのですが、その助けになるように思いました。



  梅澤鳳舞氏著『梅澤鳳舞作品集11』
    umezawa hobu sakuhinsyu 11.JPG    
 
 
 
2004.4.5
大阪市中央区
星湖舎刊
1000円+税
 

    父

   職人は芸術家とは呼ばれない
   職人は毎日毎日の日常生活で
   普段使う実用品を造っている
   使われる物を造っている
   ただ飾っておくだけの物ならば
   すり減りも毀
(こわ)れもしないだろう
   職人たちは生活に欠くべからざる
   必需品を作っている
   丁稚小僧に入り七十余歳で引退し
   その後足も弱くなり寝たきりで
   下
(しも)の世話をして貰うようになる
   職人の名は残らない
   職人は後継者もなく
   その技術も夥
(おびただ)しい数の作品も
   消耗され時の流れに埋没してゆく

   ぼくはその職人を父にもった

 この作品は以前このHPで紹介したことがあります。『星窓』という文芸誌の4号に載っていたものです。久しぶりに拝見しましたけど、やはりこの詩はいいですね。「芸術家」と「職人」の本質的な違いを述べて、職人の誇りをきちんと捉えています。この視線が大事で、この視線が著者の持ち味ではないかと思います。私の父も床屋の職人でした。今はリタイアしていますが、父の仕事を今だに誇りに思っています。作者の心境に同感しています。




   back(4月の部屋へ戻る)

   
home