きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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小田原・御幸が浜にて |
1979年 |
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2004.4.17(土)
『文藝春秋』5月号を読んでいたら村上龍の「22歳のフリーター諸君へ」というエッセイに出合いました。その中に『13歳のハローワーク』という本のことが出ていました。話題の本なんだそうですね。娘が高校の図書室から借りて来ているのを知っていましたから、さっそく横取りして読んでみました(^^;
200ほどの職業が紹介されていて、その中には作家や詩人のことも書かれていました。詩人の項目は儲からないけど必要な職業(村山意訳)とありました。一国の進化の過程での詩人の立場が解説されていて、なかなかいい視点だなと思いました。安定期に入った日本では、例えば10代の女性だけに受ける詩は発生するが、それは底が浅く文学ではない、などなど。じゃあ、年をとった我々オジサン世代はどうするか? そこまでは書いてませんでしたけど、自分で考えろということなんでしょうね。結局、道は自分で切り拓くしかない、ということが判った本で、13歳にはちょっと難しいかもしれません。でも、こういう本は無かったと思いますから、その面では刺激になると思います。
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2004.7.1 |
東京都中野区 |
潮流詩派の会・村田正夫氏
発行 |
525円 |
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危篤 戸台耕二
具合が悪いとは聞いていたが
それほどまでとは思っていなかったので
言葉にならないほど悲しい
あなたがいたから
これまで生きてこられた
そう思う人はいっぱいいるのに
中には
あなたの生まれについて
陰でこそこそ言う人もいた
近年
そのひそひそ話は公然と語られるようになり
やれ押しつけだとか
やれ日本語としてなっていないとか
うるさいことこの上ない
そんな声高な非難の前では
あなたのことを悪く言わないと
肩身が狭いほどである
犯罪者は最初から犯罪者の顔をしているわけではない
独裁者も我こそ改革者と叫んで出てくるのが
歴史の教えるところだ
あなたを病に追いやった人の顔をよく覚えておこう
一方で
あなたを守ると言いながら
自分で自分の首を絞めた人もいた
しかし
嘆くのはよそう
臨終ではないのだから
まだまだ間に合う
いまこそ
あなたのために何ができるか
真剣に考えるときだ
瀕死の憲法の前で
誰が「危篤」なのかと思ったら、日本国「憲法」だったんですね。でも本当に「まだまだ間に合う」状態なのでしょうか? 私には「臨終」が明日にでも来るような気がしてなりません。せめて「あなたを病に追いやった人の顔をよく覚えて」おきたい、「あなたを守ると言いながら/自分で自分の首を絞めた人も」覚えておきたいと思います。少なくとも「あなたのことを悪く言」うことはやりたくないですね。
詩の手法としてはおもしろいと思いました。最後の行で全てが判って、それから何度も前に戻りました。戻って1行1行を「憲法」と照し合せながら考えました。説得力のある作品だと思います。
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2004.3.31 |
東京都新宿区 |
NHK学園 発行 |
非売品 |
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啓蟄の日に 中田紀子
冬眠から
虫たちが目覚める日
幹も杖も 土も
昨夜の雨を飲みこみ
黒ぐろとしてつややか
端ばしまで水をしたたらせて
春の準備をしているのだろう
あちこちから聞こえてくる
息を吸い始める
クッ クッという声
巻かれていた新しい芽が
螺旋をほどき やわらかな色を加える
ほぐれた土の重さから
読みかけの本のページから
まな板の黒ずみから
網戸の埃から
もそもそと動きだすものたち
わたしのスネも もぞもぞして
寝こけている冬の服は
もうすぐまるく食べられる
わたしが持っていない
精巧な時計の針がまわっている
ぐずぐず毛布にくるまっていないで
きょうから彼らと ヨーイ ドン
*啓蟄‥二十四節気の一つ
「春の準備をしている」「啓蟄」がうまく表現できていると思います。「ほぐれた土の重さ」から「読みかけの本のページ」へと転調するところがおもしろいですね。「まな板の黒ずみ」「網戸の埃」と日常へ近づいて、そして最後は「きょうから彼らと ヨーイ ドン」になるのですから、春への期待がよく判ります。
タイトルの最初の「e」はフランス語ですからダッシュが付いているのですが、標準のフォントでは表現できません。やむなく英文字にしてあります。ご了承ください。
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2004.4.15 |
高知県高知市 |
インディゴ同人
発行 |
500円 |
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キリン 木野ふみ
首をよいしょとひねり
こっそり眼鏡をかけたことがある
マスクをしたこともある
これとて
サバンナでは
ありふれたできごと
人は
いつも駆け抜け
なにも見ない
いろいろと想像力を刺激する作品です。第1連は「キリン」のこととも採れますし、作中人物のこととも考えられます。第2連との関連では素直に「キリン」と採らなければいけないのでしょうが、第3連を見ると作中人物と採っても良いはずです。それに「キリン」と言えばすぐにダリの燃えるきりん≠思い出しますね。第1連では、ダリの作品には無かったと思いますが、「眼鏡をかけた」キリン、「マスクをした」キリンを連想しました。
作品としてはもちろん最終連に力点が置かれています。結局「なにも見ない」己を考えさせられました。
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