きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
小田原・御幸が浜にて | ||||
1979年 | ||||
2004.4.18(日)
3ヵ月ぶりで実家に帰って、元プロの父親に髪を刈ってもらいました。床屋の合間に「お前、いくつになった?」と聞かれて、この7月で55歳になると返事しましたけど、ずいぶん驚いていましたね。本人も55になるなんて信じられないので、父親とはいえ驚いて当り前かな(^^;
で、お返しに「親父はいくつになった?」と聞いたら、83歳という応えが返ってきました。これには私も驚きました。そろそろ80にはなるだろうと思っていましたけど、とっくに過ぎていたんだ! じゃあ、私が55になるのは当り前だと納得しましたが、鋏も剃刀もちゃんと持てるし、たいしたものです。私の80なんて想像できませんね。ヨレヨレだろうなぁ。
なんでいまだに元気で生きていられるか、髪を刈られながら考えました。一人身であることや一病が幸いしていることなどが挙げられますけど、最大の要因の子供の親不孝でしょうかね(^^; 長男の私が帰省するのが年に4、5回。弟は年に1回かな? 妹でも月1ぐらい。下の妹に至っては10年は帰っていないと思います。そういう子供ばっかりだから、父親としては気を張るしかないのでしょう。そんなところに原因を見つけていますが、もちろん自己弁護です。まあ、いつまで剃刀が持てるか、そろそろまともな床屋を探しておくようです。
○北村愛子氏詩集『なぜ?繰り返す』 |
2004.4.30 | ||||
東京都品川区 | ||||
十二舎刊 | ||||
1200円 | ||||
なぜ?繰り返す
缶コーヒーのような
二百の子爆弾を抱えた
クラスター爆弾が
空から飛び散った
バクダッド南部の村
アル・マーモーディアに住む農夫
サード・シャラシュ・アダイさんは
足の骨折 榴弾による脾臓破裂
十歳の双子の兄弟アーメッドちゃんと
ダーハ・アッサンちゃんが死亡
家八軒 車四台が破壊され
牛 羊 犬が死んだ
太平洋戦争の時
わたしは八歳だった
横浜大空襲で
アメリカのB29爆撃機に
焼夷弾を投下され
家は全焼 焼け野原となった
油脂焼夷弾がくるくる
回転して飛び散り くっついて離れず
火だるまになって 死んだ人を見た
あの時のことを思うと 寒気がする
五月の未だというのに
わたしは上着を着ていた
まわりは火の海だというのに
寒かった
隊商の一団がクラスター爆弾を受けた
胸に榴弾が刺さった小さな男の子は
チューブで血を抜いている
意識のない男の子は
母親が即死したことを知らない
姉妹兄弟七人が
行方不明になったことを知らない
焼け出されて横浜から千葉へ
舟で逃げ延びる時
海の上でP51の機銃掃射を受けた
毛布を頭からかぶり
歯をガチガチふるわせた
やせ細った十歳の女の子ルソルちゃん
目を見開き息をすると痛みで身をよじる
ガラスと榴弾の破片で無数の傷を負い
手を骨折
すさまじい爆風で
家の中にいてドアを閉めようとしたが
窓が吹き飛ばされ
ガラスと榴弾の破片が
あたり一面に飛び散った
イラクのテレビ局とラジオ局が爆撃され
水も電気も止まった すべてが廃墟となった
紹介した作品は詩集のタイトルポエムです。この詩集の特色を良く物語っていると思います。「太平洋戦争の時/わたしは八歳だった」著者が見ている「バクダッド南部の村」が「横浜大空襲」と重なっていて、強い説得力を持った作品だと云えましょう。
作品の上では第5連がよく効いていると思います。「五月の未だというのに/わたしは上着を着ていた/まわりは火の海だというのに/寒かった」というのは、体験者でなければ書けないフレーズだと思います。「なぜ?繰り返す」のかと改めて考えさせる作品・詩集です。
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