きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.19(月)

 技術課勤務時代はいろいろなメーカーさんとつき合いがありました。品質保証課に異動になった現在は基本的には無いんですが、今でも当時のメーカーさんが売込みに来ます。そんな一社の訪問を受けて2時間ほど応対しました。相手もそんな現在の私の立場は承知していて、新しい担当者に仲介してもらえないだろうかというスタンスです。
 それはそれで仲介しますが、根が技術屋なんですね、ついつい話し込んでしまいました。デモを受けた5点ほどの装置は全てが必要ではなく、2点ほどに触手を動かされました。技術屋だったら、ああもやりたいこうもやりたいという思いがありましたけど、そこはグッと堪えて、仲介の労を取ることだけを約束しました。まあ、いずれ私の担当範囲でも役立つことですが、本当は思い切り新しい技術に挑戦したいですね。どうも管理は向いていないようです。もちろん仕事ですから管理もやります。でも技術は忘れないようにしておこう、というのがせめてもの慰めですかね。



  詩誌hotel第2章10号
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2004.2.25
千葉市稲毛区
hotelの会・根本 明氏 発行
500円
 

    腐食について    澤口信治

   極薄の金属板は、かすかな力でも
   折れが生じる。だが、これを元の
   平たい面に戻すには、素手の力で
   は不可能だ。
   木槌で叩いたり、ローラーで圧延
   したとしても、ましてや特殊なノ
   ズルからの風圧によっても、金属
   の結晶格子の歪みやずれは復元し
   えない。
   また、金属板には手の脂が付着し
   易いので、銀色に光る指紋の渦に
   見とれている間にも酸化が始まっ
   ているので、すぐに拭きとるべき
   だ。
   しかし、いくら拭いてもぬぐいき
   れない皮膜が、微かではあるが板
   面にくいこむように残る。だから
   むしろ、それらの脂はそのままに、
   嘆息や呼気などのかかるにまかせ
   腐食の変化のぐあいを、時間の経
   過とともに湿りと結露と色とを定
   点観測してゆくのも面白い。
   鏡面とみまごう金属板も、実は生
   みだされた瞬間から油膜に守られ
   ながらも、すでに腐食がはじまっ
   ているのだ。
                  
(連作「オブジェ抄」)

 「金属の結晶格子の歪みやずれ」、「腐食について」は、ここに書かれている通りだと思います。特に腐食はステンレス加工品の「鏡面とみまごう金属板」でさえ「生みだされた瞬間から」「はじまってい」ます。
 問題は、この作品は何の喩か、ということでしょうか。「生みだされた瞬間から」「腐食がはじま」るのは人間もそうですし、詩もそうだと言えるかもしれませんね。そんなことは考える必要がなくて、単純に金属の腐食ととればいいのかもしれません。でも「時間の経過とともに湿りと結露と色とを定点観測してゆくのも面白い」のです。これは人間の皮膚と考えても良いのかな、と思うのです。



  詩誌『濤』3号
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2004.4.27
千葉県山武郡成東町
濤の会 いちぢ・よしあき氏 発行
500円
 

    春    池田 剛

   あくびをかみ殺した、
   電車は
   停ろうとして
   駅を素通りしている。

   プラットホームに
   乗り遅れた人が数人。
   車内に
   降り遅れた人が数人。

   外套をぬいで
   準備体操を始めた奴もいる。

 お会いしたことはなかったのですが、作者はこの3月に72歳で亡くなったそうです。今号では追悼作品集が組まれていました。詩集『白いハンカチ』からの抜粋のようです。4編の作品が載せられていて、紹介したのはその冒頭の詩です。「春」の雰囲気が良く出ていると思います。特に最終連の「準備体操を始めた奴もいる。」というフレーズが新鮮に感じました。「外套をぬいで」というフレーズは常套句と云えましょうが「準備体操」はなかなか出ないと思います。
 こうやって改めて作品を拝見すると並々ならぬ才能を感じます。惜しい人を亡くしたなと感じます。ご冥福をお祈りしいたします。




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