きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.21(水)

 今日も定時で帰って、日本ペンクラブ電子文藝館の校正をしました。細田民樹という作家の「
多忙な初年兵」という作品です。大正13年(1924)の作品ですから、まだ太平洋戦争が始まる前のことですけど、旧日本軍の初年兵の苦労が良く出ていると思います。
 校正は私を含めて3名に割当てられていますので、掲載されるのは早くてあと3、4日後でしょう。よろしかったら電子文藝館を訪れてみてください。良質の日本文学が楽しめます。URLは、
http://www.japanpen.or.jp から入ってください。



  詩誌COAL SACK48号
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2004.4.25
千葉県柏市
コールサック社・鈴木比佐雄氏 発行
500円
 

    或る喝采−二〇〇四年詩片−    崔龍源

   入院した先は大部屋だった
   そこに一風変わったおじいさんがいて
   いつも冗談を言ってはみんなを笑わせていた
   ある日 回珍に来た若い医師にたずねて言った

   「先生、ええっと『永久にこれを放棄する』の
   ええっと これって何だったっけ」
   医師の戸惑う表情が垣間見えた
   「さあ背中を向けてください」
   若い医師は耳に聴珍器をかけた
   おじいさんはシャツを上げながら
   「先生、『永久にこれを』のこれって 自分を
   指すんだったっけ それとも人間だったっけ」
   「いや それはちがいますよ。それは…」
   医師は少し首をかしげて 考えるふう
   「先生、見てくれよ、ここ」
   おじいさんは自分のわき腹の疵をさして言う
       
た ま
   「ここに弾丸が当たったんだよ、戦争でね」
   若い医師とぼくは眼が合った おじいさんは
   窓際にいるぼくの方を向いて それから
   窓のむこうの青い水のような空に向かって
   「人道支援の名のもとに 自衛隊派遣だなんて
   おらあ 日本人であることを放棄するべ
   憲法が泣いてらあ」
   ぼくは思わず手をたたいていた 若い医師も
   にやりと納得したように笑った 大部屋の
   患者みんなで大笑いした おじいさんに
   拍手喝采した

 「わき腹の疵」がある「一風変わったおじいさん」なら、自分の体験の重みで「おらあ 日本人であることを放棄するべ」と言えるでしょう。「人道支援の名のもとに 自衛隊派遣」が現実となった今、そんな体験のない私でも「日本人であることを放棄」したくなります。
 作品としては暗くならないのが良かったと思います。「ぼくは思わず手をたたいていた 若い医師も/にやりと納得したように笑った 大部屋の/患者みんなで大笑いした」というフレーズでホッとしたものを感じました。こういう書き方なら「憲法が泣いて」いることも訴える力を持っていると思います。



  松沢 桃氏詩集『鏡の屈折率』
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2004.5.5
東京都東村山市
書肆青樹社刊
2400円+税
 

    鏡の屈折率

   すがたかたち
   髪の色やくせ頭の大きさ
   指の形爪のいろ
   歯ならび
   からだつき
   性質このみ思考回路
   こどもは
   半分は父なる血筋から受け継ぎ
   半分は母なる血統から成る

   覚えのない父

   母似でないところは
   父似なのか

   いつの頃からか
   おとこは
   鏡が嫌いだ
   二枚目か三枚目か
   それはどうでもいい
   問うてくる
   おのれの眼が
   鼻につく

   義父に遠慮した
   わけではない
   一度きりだった
   訊ねる機会があった
   母は言葉なく
   かなしい瞳で泣いた
           
いま
   父も母も義父も現在はない

   一葉の写真もなく
   戸籍に記されただけの
   見知らぬ父の
   遺伝子が
   おとこを屈折させる

 詩集のタイトルポエムです。「おとこ」の心理が良く描けている作品だと思います。「問うてくる/おのれの眼が/鼻につく」というフレーズにそれで一番具体的に現れていると云えるでしょう。「覚えのない父」「一度きりだった/訊ねる機会があった/母」というフレーズは、「屈折」した「おとこ」の境遇を物語っています。しかし、生物としての人間が「戸籍に記されただけ」で「屈折させ」られることへのアンチテーゼという面も描いていると感じられて、それも見逃すわけにはいきません。静かな筆致の中に深い味わいを湛えた作品です。良質な詩集に出会いました。



  詩と批評誌POETICA38号
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2004.3.30
東京都豊島区
中島 登氏 発行
500円
 

    選 別    中島 登

   おれは選別されて檻のなかにいた
   おれは選別されてイエローのなかにいた
   腐りかけた林檎と一緒に転がっていた
   遠い道と遠い川が交差して流れている

   ときおり鼬がこちらを窺っている
   おれたちから何かを掠めとろうとしている
   角張った顔付きの鼬は鉄橋の側にビルを建てた
   息子の大詐欺師は妾と終日ベンツを乗り回していた

   腐った心臓が黒い血を噴き出していた
   裁判官は怒りの拳を振り上げて叫ぶ
   死霊たちの塔婆が揺れ動く

   おれは自らを選別してここにいる
   道は穢れている清めねばならぬ
   おれは禿鷹となって詐欺師の両眼をくりぬかねばならぬ

 「檻のなか」というのは日本のことを言っているように思えてなりません。もちろん「イエローのなか」もそうですね。私たちは自分の意志でこの国に生れてきたわけではありませんが、それを「選別されて」と書いていることにこの作品の特徴があると思います。いわゆる選民≠ニは違う意識なのでしょうが「選別されて檻のなかにい」る、「選別されてイエローのなかにい」るということを前向きに捉えていると読取れます。「おれは自らを選別してここにいる」というフレーズにそれは現れていると云えましょう。

 そういう意識でまわりを見ると、「角張った顔付きの鼬」がいたり「息子の大詐欺師」がいたりするので、「おれは禿鷹となって詐欺師の両眼をくりぬかねばならぬ」と決意するに至った、と考えられます。平素の作者はおだやかな紳士なのですが、その奥の熱い思いを感じさせてくれた作品です。




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