きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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小田原・御幸が浜にて |
1979年 |
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2004.4.22(木)
午後から東京に出張しました。昼休みを縮めたところ、予定の新幹線より1本早い電車に乗れて、東京に着いてから1時間も余裕が出てしまいました。予定の新幹線ですと30分の余裕、予定より1本遅れると会議に遅刻。まあ、1時間早くても会議に遅れるよりはマシなんですけど、新幹線の時間調整って難しいです。こだまは以前の1時間に2本から3本になってずいぶんと便利になりましたが、まだまだ不便です。でも、仮に1時間に4本になったら、今度は5本・6本と望むんでしょうね。欲望は際限が無い(^^;
15時に始まった会議は18時に無事に終り、そのまま帰ろうとしたら懇親会の誘いを受けてしまいました。会社同士のつき合いですから無下に断るわけにもいかず、もちろん同行させてもらいました。両社合せて5名。顔見世で新しい人がいたせいか、両社ともに大人しい懇親会となりました。次は賑やかになるんだろうなぁ。
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○詩誌『』17号 |
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2004.4.10 |
東京都板橋区 |
書肆芳芬舎・中原道夫氏
発行 |
700円 |
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花のように 中原道夫
ふたつ
まだ二歳にはなっていないだろう
歩きはじめたばかりの小さな子が
ぼくに手を振っている
それは風に揺れ動く花のように
かたわらに寄り添う父親の顔も
どこか向日葵のほころびにも似ていて
ぼくも手を振る
瞬時の
花とのふれあい
そのとき
ぼくはとある国の大統領のことを
ふと思った
この国の総理のことも
かつてはこのおさな子と
同じであったはずのその人たちを
その日
イラクへ軍用機が旅立った
友好国アメリカの大義を支援するために
銃を手にした復興支援
その中には
歩きはじめたばかりの子を持つ
父もいるだろう
戦火の癒えぬ彼方には
手を振ることのできない子もいるだろう
それなのに
あの小さな子はぼくに手を振る
ぼくも手を振る
花から生まれた人類の
花に戻るその道程の長さを考えながら
最終連が素晴らしい作品だと思いました。「とある国の大統領」も「この国の総理」も「かつてはこのおさな子と/同じ」に、「花のように」「手を振」り合っていたはずなのに、いつの間にか「戦火の癒えぬ」世界を作っていることへの、作者の憤りが伝わってきます。そして大事なのは、そんな現在に絶望するだけでなく「花に戻るその道程の長さを考え」ているということなのだと思います。現実は現実として見る、しかし絶望だけでは何もならない。「道程の長さ」は計り知れないけど、「花に戻る」ことを信じているという作者の思想が良く伝わってくる作品です。
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2004.4.20 |
札幌市南区 |
ねぐんど詩社・佐藤
孝氏 発行 |
500円 |
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ゆきまつり 本庄英雄
二月の雪山を 掘り続けた
何日も
何日も
降り積もった雪を
掘って
掘り続けているうちに
かすかな
雪の精の
ささやきが聞こえる
日本海を越えて来た
ハルビン育ちの雪
石狩の
波しぶきを巻いてきた雪
シベリヤ上空からまっさかさまに
降りてきた雪
幾層もの雪の精に囲まれて
不思議な世界に
温まっていく
あってない
なくてある
雪の世界
わだかまっていた
光のかけら
集積した命の
耳慣れない声
雪祭りの 饗宴
リュウジンサマニサケヲササゲ
リュウジンサマニウタヲササゲ
・・・・・・・・・・
ドゴモガシコモアホバガリ
ワゲモノノメツキワルグナルバガリ
ヨグノネッコ ハエダトショリバガリ
ドサドサ フエデ
アクダイカンニ
イイヨニチョサレ
リュウジンサマ
リュウジンサマ
ユギッコフラセデ
ナンモカンモ ユギコデイッペニシテ
ニッポンジンノアダマ
シャッコクシテクダセ
二月の雪山は
あってない
なくてある
世界に充ちている
掘って
また 掘って
真っ青な空が
見えてくる
第4連のカタカナがおもしろい作品で、方言も良く効いていると思います。「ゆきまつり」の本来の意味はよく知りませんが「ナンモカンモ ユギコデイッペニシテ/ニッポンジンノアダマ/シャッコクシテクダセ」という祈りだとしたら、これは相当におもしろい祭だということになりますね。実際は別としても「ゆきまつり」をそういう「かすかな/雪の精の/ささやき」として解釈する作者に脱帽です。「幾層もの雪の精に囲まれて/不思議な世界に/温まっていく」というフレーズも明るくて好ましく思います。「掘って/また 掘って/真っ青な空が/見えてくる」も同様に不屈な精神を感じます。札幌の「ゆきまつり」は有名ですけど、そのここに描かれた祭にも魅了されました。
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