きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.23(金)

 今日も呑み会(^^; でも、仕事上で。
 営業担当者が関連商社の新入社員を連れてきたので、仕事が終ったら一緒に呑みに連れて行かないか、と誘ってくれました。その商社は私の製品を扱ってくれていますし、断る理由がないのでつき合いました。
 新入社員って、やっぱりいいですね。ハキハキしているし、顔つきがいい。男の私が見てもいい顔をしていますから、呑んだ勢いで「その顔を大事にしろ! 顔も武器だ」と言ってしまいました。おまけに「オレもこの顔で売ってきた」なんて言ってしまって、反省しています(^^;
 まあ、そんなことはどうでもいいけど、元気をもらった気がします。人当りはいいし、頭も良さそうですから、きっと大成するでしょう。大成して、私の製品をどんどん売ってもらいたいですね。



  月刊詩誌『柵』209号
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2004.4.20
大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏 発行
600円
 

    未来    肌勢とみ子

   わたしは今どの辺にいるのだろうか
   遠い日に幼い目で夢見た
   未来の道の

   おそらく
   そのどこにもいないだろう
   未来は未来のままで
   決して現在にはならない

   未来の道はいつまでも明るく輝き
   今より若いわたしが幸福を携えて
   過去のわたしを待っている

   今歩いているこの道に未来はない
   霧に巻かれた断崖絶壁を
   前に向かって歩くしかないのだ
   重い過去を引きずりながら

 「過去」と「未来」の捉え方がおもしろいと思いました。「未来は未来のままで/決して現在にはならない」というのは、ちょっと考えれば誰でも思うことですが、「今より若いわたしが幸福を携えて/過去のわたしを待っている」とはなかなか発想できないのではないかと思います。
 そこは「いつまでも明るく輝」いているのです。しかし、現実は第4連の通りだと言い切るあたり、この作品の真骨頂を見る思いがします。一見、それまでの連と矛盾しているようですが、実は通底していると見るべきでしょう。構造上もおもしろい作品だと思います。



  季刊個人詩誌『天山牧歌』63号
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2004.4.1
北九州市八幡西区
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏 発行
非売品
 

    みみずく
    木莵の鳴き声    秋吉久紀夫

   ポーポー、ボーポーと、深夜、
   窓の外の異様な音で目を覚まされた。
   まぎれもない、木莵
(みみずく)の鳴き声である。
   タリム盆地の西の果ての町カシュガルで、
   夜の猛禽と恐れられているあの鳥に。

   ガラス越しに眼を凝らして、
   正体を把えようといくら暗中模索しても、
   周りは天を突き刺すポプラの樹林。
   あの鳥のねぐらは樹幹の洞穴のはずだが、
   到底、そんな住家は見当たらない。

   ほら、また無気味な声がする。
   人間をこれほどまでに恐怖に陥れる魔力。
   天女のごとくに羽音も立てず
   飛翔できるあの鳥の鳴き声こそは、
   きっと餌食の小動物には鋭利な刃物。

   昼間、身動き一つしないで、
   耐えた桎梏
(しっこく)を撥ね返すかのように、
   暗黒の到来とともに光る三次元的視力と、
   地底に潜むミミズの巣窟みたいな
   羽毛
(うもう)の蔭にかくれたあの鳥の鋭い聴覚。

   いくら巧妙に擬態をつくろっても、
   この身はすでに的確に捕捉されている。
   今はただかの秘術を如何に会得するかだ。
   世の喧騒に心乱されることなく、
   泰然と更けゆく闇夜を過ごさねば。
                     2003・5・4

 新疆ウイグル自治区を旅したときの作品と思われます。現在の日本では「異様な音」「無気味な声」の「木莵の鳴き声」を聞くことはないでしょうが、かの地ではさもあらんと思いますね。私も実際に聞いたことはありませんが「人間をこれほどまでに恐怖に陥れる魔力」というフレーズで想像できます。そんな「木莵」に「この身はすでに的確に捕捉されている」というのは、現代という時代に捕捉されている私たちの喩だと思います。それを超える「かの秘術を如何に会得するか」、そんなテーマも内在している大きな作品だと思いました。




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