きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.25(日)

 土日で京都に行ってきました。都をどりの鑑賞に誘われたものです。初めて観ましたが、いいものですね。芸姑も良かったけど三味線や笛・鼓を楽しみました。歌舞練場の案内の女性の態度がいかにも京都らしくて(^^; 気に入らなかったけど、芸はたいしたものです。
 空いた時間で今回は有名な処を見物してみました。三十三間堂、清水寺、高台寺、金閣寺、竜安寺、妙心寺と高校の修学旅行以来の場所ばかりです。

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 写真は再建なった金閣寺。現物より水面に映った絵がおもしろかったです。ちょっと寒い日でしたが、その分空気が澄んでいたようです。
 今回呑んだ酒は「土佐鶴」「越後鶴亀」、そして伏見の「桃の滴」。やっぱり伏見の酒はイマイチでした。でも文化遺産があるからいいかぁ、関係ないけど(^^;



  飯島章氏詩集夢はそのさきにはもうゆかない
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2004.4.5
東京都板橋区
ミッドナイト・プレス刊
2000円+税
 

    高橋さーん

   驚きました

   あなたが旅芸人として
   活躍しているなんて

   眼鏡をはずし
   (わたしもそんな歳です)
   新聞の写真をみつめると
   その荒い粒子で勢ぞろいした
   一座のなかに
   股旅姿で あなたがほほえんでいる
   (これってすごいトラヴァーユ)
   右手に
   幟などはためかせて
   日本晴れ!

   (借金なんか忘れちゃうよね)
   「気持ち。気持ちだよ、いいじまくーん」
   「きみー、まだ飲みがたりないぞー」

   そういえば
   酔ってあなたがうたった
   花街の母
   その思い入れたっぷりのセリフ
   あなたが見せてくれた大人の芸を
   思い出し
   ああそうだったのかと
   (気持ち。そんな気持ち)

   「歳をとるのも芸のうちだ。そうは思わないか?」
   寒い朝の方へ 寝返りをうつと
   そんな声がきこえます

   あなたがすでに死者であることに
   やがて気づくまで
   冬の青空をはしる足はやい雲を追うように
   旅芸人の一座を
   わたしは追っているのでした
   冬の青空をあなたのだみ声が駆けていく
   (わたしもきょうにもくたばりそうで)

   にぎやかな一座の声に
   耳を澄ませると
   すがたをかえて旅をする月のように
   ときにうっすらと
   ときにくっきりと
   わたしも青空に
   浮かんでいるのでした

     *「歳をとるのも……」パブロ・カザルス

 2連、3連と、「あなた」という人間が巧みに描かれていて、おもしろい作品だなと思いながら読み進めて、7連目で「驚きました」。「あなたがすでに死者であること」で作品の性質がガラリと変って、この構成は見事です。最終連も象徴的で、いい連だと思います。渋い、と言ったらいいのでしょうか。年齢を重ねてきて、粋も辛いも判ってきたところで書ける作品のように思います。
 そういう意味では、第5冊目のこの詩集は全体に大人の雰囲気を感じます。「金や銀を」「草が」「わたしの栗色の馬」「昭和、みどりの」、そしてタイトルポエムの「
夢は そのさきには もうゆかない」などにも魅了された詩集です。



  季刊詩誌『詩と創造』47号
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2004.4.20
東京都東村山市
書肆青樹社・丸地 守氏 発行
788円
 

    涎掛け    岡崎 純

   庭の隅の小さな地蔵さまは
   幼くして逝った娘のもの

   老婆が地蔵さまの
   小さな赤い涎掛けを縫っている
   そのむかし 子どもたちの
   涎掛けを縫ったように

   次々と生まれた子どもたちは
   やがて 次々と村を去り
   連添いもまたそのうちに旅立って
   地蔵さまと猫だけになり
   家は広くなり一人ぼっちだが

   子どもたちの息災を念じながら
   一針ひとはり涎掛けを縫っている
   老婆のかたわらで
   老いた猫が居眠っている
   わが仔たちの夢を見ながら

   間もなく彼岸である

 「家は広くなり一人ぼっち」の「老婆」が「子どもたちの息災を念じ」、「老婆のかたわらで」「老いた猫」も「わが仔たちの夢を見」ているという、ある種の安らぎを感じさせる作品です。そこにはもちろん寂寥がありますけど、生物としての任務を果たした満足感をも感じさせてくれます。「間もなく彼岸である」という最終連1行は効果的であると同時に、やがて訪れる死を意味していますが、そこには怖れも淋しさも感じられません。「幼くして逝った娘」、「旅立っ」た「連添い」へと近づく「老婆」の精神が読み取れます。人間が到達する精神の深さを感じさせる作品だと思いました。




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