きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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小田原・御幸が浜にて |
1979年 |
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2004.4.29(木)
みどりの日の休日。いただいた本を読んで、阪神・横浜戦をTVで観ながら一日を過しました。昨夜も阪神・横浜戦を観ていたのですが、ようやく貯金が1。2位に浮上ですからね、素直に喜びました。やっぱり佐々木が帰ってきた横浜は違います。一人の人間が与える影響の大きさを考えています。
今夜は結局、佐々木も出てきて4:1の勝ち。貯金も2に伸ばしてたぶん単独1位でしょう。うれしいですね。
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2004.5.20 |
東京都足立区 |
漉林書房刊 |
1500円+税 |
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時 代
ボクが生まれた時には
もうすでに戦争が始まっていた
勝てもしない戦争を
あたかも勝てるかのようにだまし続けた
でもボクは何も知らないでいた
身体が弱かったボクは
川崎の鋼管病院に入院した
それほど長く生きられるとは思われなかったらしい
ちちははとても高い薬を手に入れるために苦労したらしい
昭和二十年に川崎も空襲にあった
ボクはははの背におぶさって逃げたらしい
心の奥にあるボクの記憶には
火の中を逃げ惑う風景が刻印されている
時代はいつも国民をだまし続けるらしい
川崎から鶴見に引越しをした
その時の思いでは何一つとても覚えていない
その前に二階の階段から転がり落ちて大怪我をした記憶はある
その時の傷跡は今でもある
ボクはあいかわらず身体が弱く
小学校もろくにいかなかった
学校に行っても居眠りばかりしていた
だから成績はいつもビリであった
ははもちちもそのことに対して何も言わなかった
身体さえ丈夫になってくれさえすればいいと思っていたらしい
国民の生活は相変わらず厳しかった
ちちはいつも遅く帰ってきた
しかし生活は楽にならず
ははは相変わらず内職で忙しかった
あのころはまだ空は青かった
小学一年の秋に川崎の東門前町から
鶴見区東寺尾にある父の会社の寮に越してきた
戦地から帰ってきた人達が
私達にいろいろ悪い遊びを教えてくれた
赤犬を知らずに食べさせられたこともあった
そして芝浦のグラウンドで銀ヤンマを取って遊んだりもした
馬場町にはまだ田畑があって
小川でどじょうやメダカを取ったりもした
父はときどき花月園の競輪場へでかけていった
花月園はそのころ動物園でもあった
それから総持寺でパチンコや空気銃でも遊んだりもした
身体が弱かったのにいろいろな遊びをしていた
今から思うと不思議な世界であった
時代は子供達にとってはまるで止まっていたかのようだった
勉強もしないで元気なときは遊びまくっていたことで
何時の間にか身体も丈夫になっていった
そうそうまだ川崎にいた頃
産業道路を進駐軍の車が走っていった
近所の子供たちはその後を追いかけて
チョコレートを放り投げてもらっていた
B29の銀色に輝く胴体が頭上を低空で飛んでいた
日本鋼管の煙突の煙が次第に川崎の町の空気を汚し始めていた
川崎大師の境内で遊んでいた記憶もかすかに残っている
もっと小さい時
浅草の瓢箪池で遊んだ記憶もある
それは浅草に親戚があって
ときどき連れられて来たらしい
浅草の芝居小屋の風景も記憶にある
お化け屋敷や変わった小屋が建ち並んでいる風景の中を歩いている
エノケンの芝居をみたのも浅草の小屋であった
いま私が語りを始めたのも
この芝居小屋が原点にあるのかもしれない
いやその前に私が生まれた越後の地で
瞽女さんの声を聞いたような覚えもある
小さい時から言語障害であったボクの中には
芸人の血が自然に溶け込んできて
長い年月を得て詩語り芸人に変貌させてくれたのかもしれない
小学生時代それから社会にでて働き始めても
私が本当になにをやりたいのか解らずに過ごしてきた
鶴見時代は私にとってある意味では幸せな時代であった
(二〇〇三年八月三十日)
詩集のタイトルポエムです。著者の生きてきた「時代」がよく判ります。「時代は子供達にとってはまるで止まっていたかのようだった」というフレーズは、いつの時代でも共通なのかもしれませんが、特に著者の育った頃や、著者よりも7歳年下の私の子供時代までの特徴のように思います。今の子供には感じられないものかもしれません。
「瞽女さんの声を聞いたような覚えもある/小さい時から言語障害であったボクの中には/芸人の血が自然に溶け込んできて/長い年月を得て詩語り芸人に変貌させてくれたのかもしれない」というフレーズは、現在の著者を語る上では欠かせない視点ではないかと思います。
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2004.6.1 |
東京都足立区 |
漉林書房・田川紀久雄氏
発行 |
840円 |
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遠く忘れられた部屋 池山吉彬
遠く忘れられた部屋
について
きみは考えることがあるだろうか
ある とぼくは答える
そこでは
身寄りのない 盲目のおばあさんが
うつくしい花を育てている
「おはようございます」
共同の洗面所兼炊事場で
歯磨きの支度をしながら
ぼくは朝の挨拶をする
「ハイ おはようございます」
大根のミソ汁の
おいしい匂いがする
見えない眼で
おばあさんはまるで手品のように
家事をこなす
冬の朝 おばあさんは
おおぶりのシクラメンの鉢に
たっぷりと水を与え
たっぷりと陽差しを与え
肉厚な葉の一枚いちまいを
水を含んだ綿でていねいに拭く
ある日 ぼくらは花見をする
明日にも倒壊しそうな古アパートの一室で
着物姿のおばあさんが坐っている
向かい合ってぼくらが坐る
中央にある
つややかな くれないの花
それはうつくしい花であった
いや うつくしいだけではなかった
その花は うれしそうに
じつにうれしそうに咲いていたのであった
「明日にも倒壊しそうな古アパートの」「遠く忘れられた部屋」というのは記憶にありますね。そこには必ず「身寄りのない」「おばあさん」がいて、ひっそりと暮していました。そんな「おばあさん」が良く描かれた作品だと思います。最終連の「その花は うれしそうに/じつにうれしそうに咲いていたのであった」というフレーズが効いています。昭和30年代の、貧しかったけど精神的には豊かだった生活を思い出した作品です。
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新・世界現代詩文庫3 |
2004.4.30 |
東京都新宿区 |
土曜美術社出版販売刊 |
1400円+税 |
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春遊び
アスファルト道路から路地ヘ
リスのようにちょこちょこと
走り込んで行く
電信柱の脇の道から大通りへ
子猫のようにさっと
飛び出してくる
小さな自転車に一台ずつ乗って
自動車の間をすいすいと
縫うように往来し
ひやひやさせながらかくれんぼを繰り広げる
町内バス(1)を急停車させ
豆腐屋のオートバイともう少しで
正面衝突するところだった
顔を赤く上気させたちびっ子たち
どんな心配とも関係なく
大人たちの疲れた足取りの間を
風のようにすり抜けていく腕白たち
彼らは一カ所にとどまらない
振り返ったり前を見通したり
四方を見回したりしない
用心して生きる必要もなく彼らは
全身で遊んでいる春だ
(1)
町の中を走行するバス
著者は韓国の詩人で、1941年生まれ。ウィーン大学の客員教授などを勤めたドイツ文学者のようです。紹介した詩は1986年から1998年の間に発表されたもののようです。この訳詩集の中では系統が違った作品ですが「ちびっ子たち」への眼差しに共感して紹介してみました。今の日本では見られない光景ですし、仮に見られたとしても大人たちが寄ってたかって止めさせるでしょうね。もちろん「ちびっ子たち」の安全を考えてのことですけど、その底には子供を管理しようという意識がありそうです。そんなことを考えさせられます。
そんな世俗のことを除いて、純粋に作品として鑑賞すると、「ちびっ子たち」への全幅の愛情を感じます。子供を描いた作品は多いのですが、舞台と云い視線と云い、超一流の作品だと思います。詩の良さを味わった作品です。
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