きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.30(金)

 何となく慌しかった4月も今日でおしまいですね。今年は春の訪れが早かったせいか、4月末までが長かったような気がします。いつもなら4月10日頃に春を感じて、やっと今日で春になって2週間、という感覚なんですが、今年はもう1ヵ月以上の春を過しているようなものです。春は慌しい季節。その慌しさが1ヵ月以上続いた、という感じです。でも、悪い気はしません。何か得をした気です。春が長いのは地球温暖化の影響かもしれないので、そうそう喜んでばかりはいられないのですけど、温暖化の影響はこの先10年20年を見ないと結論づけられないとも思っています。



  詩誌『墓地』51号
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2004.5.1
栃木県宇都宮市
矢口氏方 山本十四尾氏 発行
非売品
 

    ガリバー    矢口志津江

   あやとり紐のように
   もつれながら延びている首都高速道
   折り紙の広さの校庭
   指で摘みあげられる東京タワー
   皇居は今 真っ青なブロッコリー
   52階 雲の上で
   私はガリバーになっている
   連れの人は すでに鳥になって
   神宮の森のほうへ飛んで行った

   満員電車 スクランブル交差点で
   人にもまれ ぶつかり
   思い込みだけで人を憎んだり
   小さなことに目くじらたてている
   ちっぽけなもう一人の私が
   あの地面に立っている

   日常を離れたところで思うことは
   細かなことなど気にしなくていいのだよ
   ではなく
   もっと気配りして もっと丁寧に生きてごらん
   ということ

   ガリバーのぬけがらを 展望台にそっと置いて
   地上に降りていく
   鳥になって帰ってきた人の顔も
   清々しく私に映る

 添えられた手紙には「六本木ヒルズのことを書いた」とありましたが、高所から下界を見ているのだと第1連ですぐに判りますね。六本木ヒルズは出張のたびに何度か行っていますが、道路横断のため止むを得ず通過するだけ。一度も「52階 雲の上」なんて行ったことはありませんけど、高所からの観察はよく理解できます。
 おもしろいのは第3連だと思います。「もっと気配りして もっと丁寧に生きてごらん」というのは、第2連を受けて、いい視点です。「連れの人」の登場のさせ方も心憎い作品だと思いました。



  詩誌『掌』128号
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2004.5.1
横浜市青葉区
掌詩人グループ・志崎 純氏 発行
非売品
 

    望    福原恒雄

   風に
   溶けそうな
   子が
   いる

   蹲る女の
   腕のなかで
   ひく
   ひくっ
   鼓動は
   モノクロの昼に

   名まえも
   ちぎれて
   戦いの欠片を
   見渡しても
   援護の取引は
   行方不明
   呼びたいひとは見えない

   幾千キロを
   越えて

   発酵する
   写真展に
   寄る
   但し書きのような
   おれに

   いっさいを
   亡くした
   可能の性が
   乾いた希望の輪郭を
   なぞって
   まだ
   風に

 おそらく「写真展」を観ての作品だと思います。「戦い」はアフダニスタンかイラクか判りませんが、日本から「幾千キロを/越え」た地帯と想像できます。「まだ/風に」「溶けそうな/子が/いる」現実の前に「但し書きのような/おれ」という認識は、詩人の深い精神性を表現していると云えましょう。「望」はあるのか無いのか。ここではある≠ニ読みたいものです。凝縮された詩句の中に「可能の性」を信じる詩人を見るのは、読者の勝手な深読みのように思いますが、そう読みたくなる世界情勢です。




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