きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.3(月)

 昨日から始まった、たった4日の私のGWはもう半分を過ぎてしまいました。昨日は嫁さんの同僚家族が遊びに来て、庭でバーベキューパーティーをやって過しましたけど、例によって呑み過ぎてしまい、夕方から今朝まで寝てしまいました。自宅で呑むと安心するのか、どうしても過ぎてしまいますね。まあ、高速道路で渋滞に巻き込まれるよりはマシかなと思っています(^^;
 明日は出勤。6日に大事な会議があるので、その準備をします。私の職場では何人かが交代で出勤していますから、休日出勤に抵抗はありませんけど、4日連続で朝寝をしようと目論んでいたのが崩れて残念。まあ、そういうGWの過し方もあるということで…。



  月刊詩誌『現代詩図鑑』第2巻5号
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2004.5.1
東京都大田区
ダニエル社 発行
300円
 

    同時に    高木 護 (たかぎ まもる)

   昼の日中から
   とろとろとしていたら
   おい! 怠け者
   甲斐性なし
   腑ぬけ
   負け犬め、という声がした
   そうだろうなとがってんしていたら
   あくびが出てきた
   こら! 罵られて悔しくないのか
   ナニクソとは思わないのか
   という声もして
   相手もあああ……と
   あくびをしているようだった
   同時に処置なしと
   お互いにいい合っていた

 作中人物と「相手」の掛け合いがおもしろい作品ですね。「そうだろうなとがってんしていたら」というフレーズには思わず笑ってしまいました。これだけ達観できたらうらやましいですね。「同時に処置なしと/お互いにいい合っていた」という締めの部分も、変な言い方ですがいずれ同じ穴の狢という感じで好感が持てます。人生の機微が伝わってくる作品だと思いました。



  個人詩誌Quake7号
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2004.5.15
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    道の終わりになにがある

   風がゆらす
   風が乱す
   木々を
   空の色を
   水面を
   わたしの心を
   風がかき乱す
   そのとき
   時が生まれる
   まっすぐに 一つの方向をめざして
   生き物たちは走り出す
   くずれながら
   からまり もつれあいながら
   みんな みんな
   死に向かって
   コトバも通じないのに
   目の前の子イヌと目があう
   庭のパンジーとも目があう
   遠くに見える木々が微笑んでくる
   みんな同じところまで
   少しずつ
   崩れながら
   むかってゆく
   その親しい共感
   目くばせする共犯者みたいな
   ああ また
   時がすぎてしまった
   そのほろ苦い
   砂をかんだような違和感
   わたしは確かにここにいるのに
   体中の細胞が
   わたしを置き去りにして
   勝手にちぎれて
   四方八方に飛び散ってしまいそうな衝動!
   だから 子イヌはとつぜん
   気が狂ったように 走り出すのか
   だから セミは
   体が破れそうな声で鳴きつづけるのか
   そして わたしは
   手足をふり回し
   声を限りに歌いたくなるのか
   やがては みんな
   静かになる
   動かなくなる
   先に進むことは
   ホント 怖いね
   だけど 行こう
   いっしょに 行こうよ
   子イヌがわたしを見上げている
   こんなに 小さいのにもう
   怖いものがたくさんあるのだ
   恐怖という名の絆で
   わたしたちは かたく結ばれて
   いつもの公園に駆けてゆく
   お互いの細胞たちを引き連れて
   地球の表を動いている
   道の終わりになにがある
   細胞たちがつぶやいている

 「まっすぐに 一つの方向をめざして」いる「生き物たち」を描いていて、その「道の終わりになにがある」を暗示させる作品ですが、「死に向かって」いく過程での思考に特徴があると思います。「目くばせする共犯者みたいな」、「体中の細胞が/わたしを置き去りにして」、「先に進むことは/ホント 怖いね」などのフレーズにそれを感じます。そんな思考の原点は「恐怖という名の絆で/わたしたちは かたく結ばれて」いるという認識なのかもしれません。硬質な中にも「子イヌ」の存在が柔らかさを出していて、それがこの作品の魅力にもなっていると思いました。




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