きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.5.7(金)
GWが終って出勤して、2日行ったらもう休みです。慌しいけど嬉しい(^^;
でも、この日曜日は出勤かな? 月曜日までに仕上げておきたかった仕事があったんですけど、今日は早めに帰宅してしまいました。今夜遅くまで残っていたも良かったんですけどね、ちょっと疲れました。東京本社の営業担当者2名の訪問を受けて、2時間ほどの会議だったんですが疲れました。技術の話じゃなくて売上げの話ですからね、不得意なんです(^^; まあ、商売ですから、来週から、いや、日曜からかな? しっかり働きます!
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2004.5.5 |
東京都東村山市 |
書肆青樹社刊 |
2520円 |
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蝉時雨
蝉のけたたましさに頭の芯を刺激されている すでに遠
い過去となってしまったのに いまだに脳の襞によごれ
のようにこびりついている 見えないものが瞬時見えた
とき 見えていたものが見えなくなったときの驚愕のし
みが脳を腐食しているのか 時代の感覚がぼけてきてい
る 次から次となき続ける蝉にひと夏のいのちの伝言と
思いいたる 決して次の年には巡り合うことのない一期
一会を痛く感ずる いまを限りのいのちだからこそなく
ことができる
ラジオの音声がかすれている そのラジオを囲んで 暑
い夏の昼どき田舎の居間に家族のものが集まったことが
ある やはり蝉がはげしくないており 訴える音声には
悲壮感すらあった 半世紀ほど前のできごとなのに 脳
の襞にはうずきがあって蝉を聞くたびに鮮明によみがえ
る 蝉は地から蘇り繰り返し訴え続けている 戦に敗れ
ても蝉は繰り返しなきつづけている
ふと 耳鳴りのように遠くで半鐘を聞く はげしい音だ
外が騒がしく火事だと叫ぶ声がする 床を抜け出す病
床の父を背負い走りだす 老いて痩せてはいても肩に重
い 火の手が追ってくる 坂をのぼりかけたとき 父が
うめいた 熱いにちがいない 立ち止まり背負い直すと
ずるりと落ちそうになる 蝉がなき続けている 死者が
喚き続けているのか 内なる井戸をのぞくようだ 親を
殺した 耳の奥まで響く声がする 気狂いしそうだ 重
い荷物を落としたと納得する 奥からは喚きが聞こえる
重いものは引力で下に落ちる 落ちることは責められ
はしない 体力の限界なんだと説く声もする
今年なく蝉は何も知らないし語りもしない それでも蝉
に責められている
詩集のタイトルポエムです。「蝉時雨」と重なる思いが最終連で見事に表現されていると思います。「決して次の年には巡り合うことのない一期一会」というフレーズは、蝉だけでなく生物全体、そして人間に対する喩としても捉えるべきでしょう。「蝉は地から蘇り繰り返し訴え続けている 戦に敗れても蝉は繰り返しなきつづけている」という詩句もいいですね。「戦に敗れても」は歴史的な事実に立脚していて、作品へ深みを与えていると思います。第3連は転≠フ部分ですが、ここでの具体化も納得させられます。詩集全体に冠する詩として、ふさわしい作品だと思いました。
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2004.4.10 |
千葉県花見川区 |
回転木馬の会 発行 |
1200円 |
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かくれんぼ
人は大人になった今もかくれんぼをする
原稿用紙の枡目のなかに
悲しい 淋しい
虚しいと
わたしも ひとり
詩集のタイトルポエムで、巻頭作品でもあります。いい詩ですね。「人は大人になった今もかくれんぼをする」のは、何も作家や詩人に限ったことではなく、絵描きの絵であったり作曲家の音楽であっても良いのですが、ここはやはり「原稿用紙の枡目」が一番適切だと思います。絵や音楽では「悲しい 淋しい/虚しい」がどうしても表に出てしまい、本来の意味での「かくれんぼ」にはならないのではないか。理論できちんと説明できませんが、そんなふうに思います。「枡目」がキーワードでしょうね。それと「かくれんぼ」が妙にマッチしています。
第1詩集で、年齢も私と近いようですが、完成度の高い作品が多くて驚いています。「言葉」「季節(とき)」「キャベツ」などは秀作だと思いますし、このHPでも1999年に紹介したことのある「少し」は再読して記憶が蘇りました。新しい詩人の誕生を祝福します。
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