きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
「クモガクレ」 | ||||
Calumia godeffroyi | ||||
カワアナゴ科 | ||||
2004.5.8(土)
1996年に解散したSKD(松竹歌劇団)の後継団とも云うべき「薔薇笑亭(バラエティ)SKD」の公演に、銀座「博品館劇場」まで行ってきました。昨年秋にも銀座ガスホールに観に行ったのですが、その続きというところですね。昨年から新SKDに出演している金丸麻子さんの誘いに依ります。昨年の金丸さんは研修生として出演していましたけど、今回はレギュラーというところでしょうか、昨年に比べて大幅に出演回数が増えていました。少しぎこちなかったところも取れて、堂々としたものでしたね。
例によって写真撮影は禁止でしたので、ここではパンフレットの写真を紹介しましょう。舞台に映えるためでしょうが凄い化粧で、ライブ時の彼女を知っている私としては驚きです。今回もレビューを観ていて思ったのですが、観客として彼女のキャラクターを考えると、現在の立場は不満です。全体の中の一部ということもあって、彼女の良さが生かされていないように見えます。主役を取るようになれば、その私の不満も解消されるでしょうけどね。今のところ新SKDよりライブの方が合っているなと思います。今度会ったとき、おぢさんとしてはそんなことを思っているよと、話をしようと考えています。
○個人詩誌『粋青』37号 |
2004.5 | ||||
大阪府岸和田市 | ||||
後山光行氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
ひいらぎなんてん
風がわずかに暖かくなった早春の季節に 小指の先ほど
の黄色のちいさな花をつける 独特な形の葉を風に揺ら
せながら いちばん上のところで花が揺れている まる
で性格の悪い人のようで好きになろうとして躊躇する
でも どことなく花のつながりが可愛くて 外見や形に
惑わされない美しさが愛しくもある 異なるふたつの植
物の名前を戴いた潅木が 現代的な存在を示している
「詩絵・花」
「まるで性格の悪い人のようで好きになろうとして躊躇する」という詩句に惹かれて、どんな花なのかインターネットで検索してみました。やはり「小指の先ほどの黄色のちいさな花をつけ」ていて、柊と同じような「独特な形の葉」をした植物のようです。私は植物に疎いのですが、こうやって少しずつ教えてもらえると覚えられるのかもしれません。それにしても「まるで性格の悪い人のよう」だというのは言い得て妙ですね。
「異なるふたつの植物の名前を戴いた潅木が 現代的な存在を示している」という詩句も見逃せません。植物を通してさえ人間を見ている作者の姿勢に敬服しています。小作品ながら内容の濃い詩篇だと思いました。
○詩誌『弦』29号 |
2004.5.1 | ||||
札幌市白石区 | ||||
渡辺宗子氏 発行 | ||||
非売品 | ||||
北の境界 佐藤道子
飢える虎の咆哮
二月の狂気が放浪う
懸命な猫は
真夏の夢の
舞台稽古
吹雪の戸外は
小枝に乗る
魔女たちの疾走
視界ゼロ地点
縦縞が際立つ爪を
真紅に染め直し
猫が身繕い
北の境界
「飢える虎の咆哮」のような鳴き声を出して、来るべき「真夏の夢の/舞台稽古」に「懸命な猫は」、いま現在は「吹雪」いて「視界ゼロ」の「二月」であるが、「縦縞が際立つ爪を/真紅に染め直し」て「身繕い」している、と極めて散文的に解釈してみました。主語はあくまでも「猫」であると思います。しかし「北の境界」を主語とすると、もっと別に見方ができるかもしれませんね。その場合は「吹雪の戸外は/小枝に乗る/魔女たちの疾走」という、雪を連想させ、その「吹雪」が「飢える虎の咆哮」をしていると読むべきなのかもしれません。
前者はちょっと甘い感じがしますから、作者の意図は後者に近いのかもしれません。あるいは両者を意図していると見ることもできるでしょう。短い詩行の中にさまざまなものが凝縮された作品だと思いました。
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