きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.11(火)

 昨日は日本ペンクラブの委員会に出席した後ちょっと呑んで、20時半頃に帰宅しました。呑んでいるときから調子が悪い気がしていたんですが、案の定、帰宅してそのまま寝てしまいました。途中で2度ほど携帯電話が鳴ったのですけど、出ないでそのまま寝てしまいました。電話くれた人、ゴメンナサイ。

 で、眼が覚めたら午前2時半。ぴったり6時間で目覚めたことになります。しばらく本を読んで、また寝ようと思ったのですけどね、読んだ本が悪かった。おもしろいから読んでみな、と貸してもらった『窓際OL トホホな朝 ウフフの夜』という斎藤由香さんの本でした。斎藤さんは斎藤茂吉の孫、北杜夫の娘、斎藤茂太さんの姪なんですね。そんな家族模様もおもしろかったけど、サントリーの女性社員として勃起不全・勃起障害を緩和する健康食品を売っているというのですから、とうとう朝まで読み通してしまいました。機会があったら読んでみるといいですよ。凝った頭にどうぞ、というところですね。
 そのまま起きていましたから、今日は眠い(^^;



  池山吉彬氏詩集『精霊たちの夜』
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2003.10.26
千葉県長生郡長生村
草原舎刊
2000円
 

    街角

   道を歩いていて
   不意に 悲しみのようなもので
   からだじゅう
   真っ青になることがある
   思わず立ち止まるが
   いつものありふれた
   街角である

   なんだろうか あれは
   なにかのはずみで こころの奥の
   悲しみの細胞がいっせいに
   整列するのだろうか
   呼び子ひとつで
   校庭にならぶ小学生みたいに

 詩集の中では最も短い部類の作品ですが、描かれているものは大きいと思います。「悲しみ」をこのような視点でとらえた作品には出会ったことがありません。「からだじゅう/真っ青になることがある」「悲しみの細胞がいっせいに/整列する」というフレーズは詩でしか描けないものでしょう。「呼び子ひとつで/校庭にならぶ小学生みたいに」は「整列する」の喩ですが、それ自身が哀しみの象徴であるとも云えましょう。「悲しみ」なんて詩語としては禁句なんですけど、ここでは「悲しみ」でなければならない必然も感じます。

 詩集には魅力的な作品が多く収められていました。長崎で原爆に被災した母子(おそらく実話で著者の母上と兄上)の姿を描いた「ヨード液色の夜」、ホルムアルデヒドを出す飾り棚に翻弄される家族を描いた「シックハウス」、ジェットコースターの搭乗者年齢を区分けするバーが、ナチスのガス室送りを区分けするバーと重ねた「遊園地にて」などは秀作だと思います。心地よい硬質な作品が溢れた詩集だと思いました。




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