きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.15(土)

 今日は土曜日ですが部下の女性に出勤してもらい、私は自宅待機(^^; 先ほど電話で試験結果を聞き、帰宅してもらいました。ご苦労さまです。いつもは私が休日出勤しても彼女は出てこない、平日は彼女より私の方が遅く帰る、というのが当り前の姿ですけど、半年に一度ぐらいは逆のケースがあります。今日はたまたまそんな日だったわけです。相手が男だったらまったく気にせず「しっかり働けよ」でオシマイなんですけど、女性ではそうはいきませんね。平日で遅く帰ってもらう日は、同僚に帰宅を確認してもらったり、休日は電話で帰宅を確認したりしています。男女平等とは云っても、そういう気遣いは必要なことだと思いますね。

 さて、気がかりな女性がもう一匹。うちの飼い犬の調子が悪いのです。昨夜から塞ぎ込んでいて、まったく覇気がありません。この2年ほど時々そういうことが起きて、どうも精神的なストレスではないかと思っています。生まれつきの室内犬で、日頃は一切外に出しませんから、それが祟っているのだと考えています。で、庭に出してみました。案の定よろこび勇んで駆け回っていました。そのうち姿が見えなくなって、近くの蜜柑畑に這入りこんでいたようです、ドロだらけで帰って来ました。それで少しは気が晴れたようで、元気を取り戻してくれました。やれやれ、女性には気を遣いますね(^^;



  個人誌『気圧配置』18号
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2004.5.20
福岡市中央区
古賀博文氏 発行
500円
 

    水っぽい時間

   戸外ではまた雨がはげしく降りだした
   板塀に棲みついたアマカエルが
   まるで誘導尋問をうけるようにつられて鳴きだす
   「クゥーン」タバコ屋の犬シロも鳴きだした
   きっと狭い小屋のなかでは自分の体臭が饐えてしかたないのだ
   「雨、イイカゲンニシロ!」(シロより)
   空のダムにはあとどれくらい貯水量があるのか?
   もう一週間も雨がふりっぱなし
   「こんど晴れたらおもいっきり布団乾したいね」
   食べ残しの粥がはいった椀をあらいながら妻がいう

   ひたいに台所の水圧がつたわってくる
   部屋中に非ピリン系のにおいが充満している
   梅雨冷のために全身の汗腺が半開のまま立往生している
   ときどき前線の気圧をうけて部屋がぐらっと揺れる
   まるで方舟のようだ
   しかしぐらっと揺れるのは方舟ではなく じつは
   発熱にうなされている自分の脳髄の方である

   「あぁ、この風邪が治ったらね」
   かなりおくれて答えながらわたしは水っぽい
   鼻腔にも涙腺にも唾液腺にも水分がいっぱい
   しめりがちな寝具のプールのなかでいっぱい上腕をのばす
   手探りでターンする背泳のように……
   たちまち筋肉を金縛りにする悪寒
   鳥肌が総立つ
   試合ではないのに背後に滝のように流れおちる時間がわかる
   フィニッシュ
   しかし奪取するものは記録ではなくティッシュ

   おそらく風邪をひくということは溺水の一種だ
   水面に漂う流木のように
   吃水が低いわたしを叱咤しながら
   またにがいアンプルを飲む時間が
   むこうぎしから漂着してくる

「風邪」に罹ったときの状況がおもしろい視点で書かれている作品だと思います。確かに「水っぽい時間」ではありますね。それも「もう一週間も雨がふりっぱなし」という時期と重ねていますから、「わたし」の「おそらく風邪をひくということは溺水の一種だ」という気持がよく伝わってきます。でも、作品にはジメッとしたものは感じられません。むしろ、どこか明るい。「フィニッシュ」と「ティッシュ」という駄洒落が奏功しているのかもしれませんね。



  詩誌『海嶺』22号
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2004.5.10
埼玉県さいたま市
海嶺の会・杜みち子氏 発行
非売品
 

    おやま社宅    杜みち子

   妹が病気で死んで
   私は再び一人っ子になった

   小学校から帰ると
   一人でおはじきをしたり
   塗り絵をしたり
   座敷に転がったり
   生垣のむこうの往来で
   近所の友達が大勢で
   縄跳びや陣取り鬼をして
   遊んでいても
   「いーれて」と出て行けなかった

   ときどき母は私を外に追い出した
   それでも「いーれて」が言えなくて
   コールタールの匂いがする電信柱の陰に
   陽が沈むまで立っていた
   家に帰ろうと振り返ると
   一本むこうの電信柱の陰に母が立って
   じっとこっちを見ていた

   母が死んでから六年目の冬
   夕方 買い物に
   門を出ると むこうの
   鉄筋コンクリートの電柱の陰に
   立っているのがわかるのだ

 「小学」生の「私」を「じっとこっちを見ていた」「母」の愛情は誰にでも身に覚えのあることです。それは「コールタールの匂いがする電信柱」が「鉄筋コンクリートの電柱」に代った今でも同じだとする作者の思いも判りますね。そんな思いは生涯変わらないものなのかもしれません。「『いーれて』が言えな」かった気の弱い娘を母親はいつまでも見守ってくれるのでしょう。タイトルの「おやま社宅」とともに一つの時代を背景にした佳品だと思いました。



  機関誌『未知と無知のあいだ』20号
    michi to muchi no aida 20.JPG    
 
 
 
 
2004.6.1
東京都調布市
方向感覚出版・遠丸 立氏 発行
250円(〒共)
 

    この小宇宙、人間、の智恵は、
   人殺し兵器開発だけに使われるわ
   けじゃない。医術、薬剤の向上へ、
   つまり生命延命の方向へも、向け
   られている。 何十年か前まで 死
   病・不治の病だった患いの治癒率
   が、驚ろく程向上している。しか
   し、しかしですよ、現代医学とい
   えども全能とは程遠いわけで……。
   不備の亀裂はあちらこちらに目に
   付くんです。医者の説明・診断を
   鵜呑みにしないはうがいい。
    MRI、CT、ME、腹腔鏡、
   内視鏡、血球分析装置……その他
   その他の医療機器を駆使する医療
   の生神さま!三種の神器を捧げ持
   つ白衣の天孫みたいな表情で、心
   臆した患者の患いを測定する医者
   の、あるいは手術に立ち向う医者
   の、説明を金科玉条視しないこと
   だ!最良の医師は、そう、最も信
   頼すべきなのは、患者本人なんだ、
   患者こそ自分のからだの最良の医
   師なんですぞ。<今日の体調>が伝
   える、からだが送信する、日々の
   指針を尊重せねばならんのです。
   夢の送信の重要性はむろんのこと
   ……。

 遠丸立氏の連載「野川物語」の一場面です。擬人化された川「野川」と、人間である無師野氏との対話の中の、無師野氏の発言の一部です。長々とした独白のあと、野川に「冗漫なんぢゃよ、内容空疎、迫力も新鮮味も無し。失礼ぢゃが……」と揶揄されますが、なかなかいい視点ではないかと思います。「最良の医師は、そう、最も信頼すべきなのは、患者本人なんだ、患者こそ自分のからだの最良の医師なんですぞ」、「からだが送信する、日々の指針を尊重せねばならん」とは私も常々考えていることです。しかし「夢の送信の重要性」にまでは思い至りませんでした。フロイトへの反発もあって、意識して無視した感もありますので、ここは素直に「無師野氏」の考えに同調してもよいのではないかと考え直しています。その補助として「現代医学」があっても良いのではないか、そんなことを考えさせられた一文です。




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