きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.20(木)

 月曜、火曜は珍しく1冊も本が送られてこなかった日で、あれあれ、皆さんどうしちゃったんだろう(^^; と心配していたら、昨日はドサッと6冊もまとまって来ました。本当は毎日2冊、3冊とコンスタントに来ると楽なんですけど、そんなこと望むべくもありません。昨日は、これまた珍しく20時過ぎまで仕事をしていましたから、その日のうちに6冊全てを読むことも出来ず、昨日の分、今日の分と半分ずつに分けた次第です。そんなわけで紹介も遅くなって、礼状もちょっと遅くなると思いますがご容赦ください。



  杉 裕子氏エッセイ集『歌舞伎と私』
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2004.4.20
千葉市花見川区
回転木馬刊
1200円
 

    初めて歌舞伎というものに触れたのは、十八才を迎えた春のことであった。
    昭和二十年代後半、国中がまだ敗戦の苦しさから抜けられない時期、まして、父親を戦
   争で亡くしたわが家で娘の進学など無茶なことを十分に承知していながら、私は母親に泣
   きついて許しを得、兄の下宿から大学を受けに行くことになっていた。一つ目がまず終わ
   り、次の大学までの間 田舎に戻る予定でいた私を、 兄が歌舞伎に連れて行ってくれたの
   だった。見るからにみすぼらしい、貧しい女子高生の妹が、ろくな参考書もなくての受験
   勉強では合格もおぼつかなかろう、それだったら、せめて、大学受験の記念と疲れやすめ
   にでもと計らってくれたのではないかと、今になって思う。

 エッセイの冒頭「その一 歌舞伎との出会い」の、出だしの部分です。歌舞伎という伝統芸能を今だに鑑賞していない私には、他人はどうやって出会うのだろうと不思議だったのですが、こんな幸運な出会いもあるのかとうらやましく思いました。私のまわりにも歌舞伎好きな人は何人かいます。例えば日本ペンクラブで私が所属している委員会の委員長・秦恒平氏や、副委員長の大原雄氏は歌舞伎の本も出しているほどの作家ですから、彼らに何度か勧められたことがあります。しかしその時はすでに五十路に近くなっていましたから、とても「十八才を迎えた春」のような初々しい気持ではなくて、曖昧にしてしまった覚えがあります。

 でも、本書を拝読して少し気持が変ってきましたね。まったく知らない私でも胸を躍らせて読んでいることにふと気付きました。「宙乗り」「早替り」や「さしがね」などは歌舞伎ファンにはお馴染みなんでしょうが、文章からそのおもしろ味が伝わってきてしまいました。以前、日本詩人クラブの四国大会の折に、建物見学だけでしたが金丸座を訪れたこともあって、書かれている「こんぴら歌舞伎」の雰囲気はよく判りました。これもたまに外側だけを見る東京・歌舞伎座も、エッセイと照合して想像力を膨らませています。
 歌舞伎に接するのに年齢は関係ないようです。かなり奥が深いようですので一度や二度観ただけでは判らないでしょうが、本書を片手に観てみようかという気になっています。そんな私程度の素人を含めて、やさしい解説書としての価値もあると思います。気取らない文章で歌舞伎の楽しみを教えてくれる好著だと思いました。



  会誌『透谷祭十年のあゆみ』
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2004.5.16
神奈川県小田原市
透谷祭実行委員会 発行
非売品
 

 小田原の生んだ詩人・北村透谷の没後100年を記念して結成された実行委員会の、1994年から2003年までの「十年のあゆみ」をまとめたものです。小田原地方に在住しながら意外と地元には縁の無かった私は、残念ながら一度も出席していません。この10年の参加者名簿も載せられていて、その数およそ350人。その中で知っている人は小田原市長を含めて10人ほどで、しかもその半数が東京・横浜在住ですから、いかに地元に接していないかが判り、反省しきりです。

 毎回の出席者数があり、これはちょっと興味をそそられました。第1回の118名が最高で、その後104名、69名と落ちていき最低は2000年の64名。しかしその後は75名ほどで推移しています。これはすごいことですね。毎年70名を超える人たちが北村透谷の名で集まるというのですから、透谷人気いまだ衰えずということでしょうか。単に名前だけでなく「蓬莱曲」などの名作を遺した詩人であるからこそでしょう。機会があれば私も参加してみたいものです。



  中 正敏氏詩集『なぜ』
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2004.5.3
東京都豊島区
詩人会議出版刊
2000円
 

    単線

   山あいをゆく在来線の単線
   四人掛けの座席に
   うつむき加減に黙ったまま
   向き合う若い男と女の
   二人づれ

   窓ガラスのそばに
   唐くさの風呂敷の包みをたてかけ
   時折り眼ざしをちらっと
   そのほうに向けるものの
   どちらも口を開けない

   ふる里を離れて何年になるのだろう
   包みのなかは子の位牌か
   それとも父か母への土産
(みやげ)
   あるいは別の……と思いをめぐらせて
   まどろんだようだ
   連結器の軋みに
   気づくと男も女も風呂敷包みも
   視界から消えている

   消えたさきにどんな山川が待っているか
   無人駅の枕木の柵をへだてて
   す枯れた芒の穂が
   初冬の陽をうけ風にゆられているあたり
   小さな虫の群れが
   いのちの限りに銀になって舞い狂っている

   雪虫だろう
   国連を無視して大国が劣化ウラン弾で
   イラクの民家を襲ったとき
   多くのいのちが奪われた
   両腕を切断され灯りもともらず
   生き残されたアッパース少年はどうなった

   しょせん人は雪虫
   とりとめもなくそんな思いを
   消えた二人づれの包みが喚起する

   わたしも このくにも
   単線をどこへ行くのだろう
   死への乗り換え駅へか

 第4連から5連への転換が見事な作品だと思いました。「向き合う若い男と女の/二人づれ」から「アッパース少年」へのつながりが、力でねじ伏せるのではなく、無理なくつながっていて、まさに詩の言葉、詩の力を感じます。「包みのなかは子の位牌か」「気づくと男も女も風呂敷包みも/視界から消えている」というフレーズが伏線になって、最終連へと進むところもストンと胸に落ちて納得できます。「単線」という「在来線」を舞台に、人生と世界を描ききった秀作だと思いました。

 詩集は3部に分かれていて、ここでは紹介できませんでしたが「3」は「壁」という詩が1編だけ載せられていました。この作品は30頁に渡る長編です。人間の前に立ちはだかる壁をテーマにした作品で、人生論・政治論・宗教論、あるいは詩論・戦争論の集大成と云えるかもしれません。分量と深さに圧倒されました。格調は高いが決して孤高ではない、著者の真骨頂とも言うべき作品だと思います。




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