きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.25(火)

 東京本社の営業担当者の訪問を受けたのが16時半。たまには17時の定時で帰ろうかと思っていたんですけど、昨日約束したことをすっかり忘れていました。ちょっとあわててしまいました。予定表に入れてあると忘れないんですけど、書き入れておくのも忘れていました(^^; あとで書こうと思ったのが間違いですね。10秒も掛らないことですから、すぐにやらないといけないなと反省。
 打合せそのものは1時間ほどで終了。拡販が思った通りにいっていないので協力を約束しました。この約束は忘れないようにしよう(^^;;;



  周田幹雄氏詩集『老境』
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2004.5.15
東京都新宿区
文芸社刊
1200円+税
 

    骨塩量測定

     これが ナポレオン皇帝のご幼少の頃の頭蓋骨です
    フランスのある博物館で 威儀を正した案内人の説明に
    見物人たちの目は厚い硝子に覆われたケースの真ん中に据えられた
    小さな頭蓋骨に釘づけになった

   肩凝りで 病院へ行ったのに
    骨塩量を測定してみるか
   と医師が 気軽に言った
   看護師に促されて 新規購入したばかりの測定装置に片腕をのせると
   測定結果は すぐ出た
   同年代の 七十六パーセントの骨塩量しかない!
   体内で 骨が 砂のように崩れ落ちる微かな音がした
   医師が 皺
(しわ)だらけの私のカルテに 骨租軽症(こつそしょうしょう) と殴り書きした
    一週間に二回ずつ 計二十五回 肩にカルシウムの注射を打ちましょう
    カルシウムの同化を助けるビタミンDを毎日飲んでください
    食物でもカルシウムを多く摂取するように

   近くのスーパーヘ行くと
   乳脂肪分の含有をパーセントで表示した牛乳のパックが二種類あり
   低脂肪 無脂肪や カルシウム・鉄分を加えたのもある
   地名を冠したパックが多く 北海道 東北地方から
   地元の相模 湘南まである
   カルシウムの量が一・五倍の骨太というパックが置いてある
   骨太とは 高望みなので
   結局 普通の牛乳千ミリリットルのパックを手にした

   居間で 娘たちの会話が 五月の蝿のように飛び交っている
    若い頃から 骨っぽくはなかったけど
    誰かに骨抜きにされたのかなぁ
   未娘が 苺を頬張りながら首を傾
(かし)げた
    私たちもかなり脛
(すね)を齧ったから
    骨身を惜しまず 働いたんだよ
   上の娘から殊勝な発言があったが
    それはない ない
   未娘が 苺ごと手を横に振って
    心配することないよ
    烏賊
(イカ)だって 細い軟骨一本で 逞(たくま)しく生き抜いてるんだから
   遂に 軟体動物と同類項で括
(くく)られてしまった

    お父さんが死んだら
    骨壷は 子供用で間に合っちゃうね
   末娘が 私の方を窺
(うかが)いながら小声で言った そのとき
   あの ナポレオンの頭蓋骨の笑話が 蘇ってきたのだ

 著者には『照準』『猫舌の猫』『老人施設日録』『愛する素振り』『視力表』の既刊詩集があり、その中から同じテーマの作品を選出して本詩集としたそうです。出版社は売れると見込んで作ったようですから、そのうち評判の詩集ということになるかもしれませんね。このHPでも後者2冊の詩集と、詩誌『驅動』での作品を数編紹介していますので、お読みになった方はお判りと思いますがおもしろい作品ばかりです。

 その一端は紹介した上の作品でも伝わると思います。「ナポレオンの頭蓋骨の笑話」もおもしろいけど「上の娘」と「未娘」の会話もいいですね。人物がいきいきと描かれていると思います。「娘たちの会話が 五月の蝿のように飛び交っている」というフレーズにもマイッテいます。お若い人は知らない方がいるかもしれませんが「五月の蝿」は五月蝿い≠ニ書き、うるさい≠ニ読みます。この使い方は他にも応用でき、新しい分野を開拓したのではないかとも思っています。
 もう書店にも並んでいると思いますから、是非お買い求めください。現代詩の新しい可能性を感じさせる詩集です。



  福原恒雄氏詩集『跳ねる記憶』
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2004.5.20
茨城県龍ヶ崎市
ワニ・プロダクション刊
1000円+税
 

    オコメはどこ

   汽車の切符の発売枚数が限られていた
   あのときの
   六十歳の祖母は
   腰を曲げてはおれなかった道をガニ股で歩いたが
   まぎれもなく年寄りで
   朝早くマゴも交替で並んだ一枚を手に
   せっかく
   近郊農家を訪ね歩いて
   着物が化けたオコメを負って
   わが町の駅に戻ってきたのに
   構えていたひょろりとした巡査が
   ガニ股に
   かぶさり
   迎えの六人ものマゴの目のまえで
   その嘴のための万般の説明もなんのその
   オカミのキマリ
   オオカミのオキマリの
   理由で
   背中の丸こくてかるいオコメの包みは
   没収され
   背中はすずしくなり
   背すじが伸びた
   伸びた背すじをオカミの風は
   汗ばんでいた肌もろともつらぬく
   オコメは
   ひょろりの巡査を追いたてて
   オカミの倉庫に走ったか
   にこりともしないオオカミのクチを拭ってやったか
   口内が炎にならなかったか
   オカミの昔語りに咲くキン色の花々はしぼまなかろうが
   マゴたちのケツそろってしぼんだ
   あのとき
   おなじガニ股でふんばっていた隣のオカミさんは
   もういないんだよね

 この詩集の特徴を端的に物語っているのが「あとがき」だと思います。その冒頭には次のように書かれていました。

    退散しない記憶がある。追い出したい思いと、追って
   いきたい意思が鬩
(せめ)ぐ。からだ重くなって未来≠ニ唱え
   ると、まだ跳ねる。

 「退散しない記憶」とは戦後の焼け跡の記憶です。その記憶が詩集にはいっぱい詰まっていました。代表的な作品として上の詩を紹介してみました。「六人ものマゴ」のために「着物が化けたオコメを負って/わが町の駅に戻ってきたのに」待ち構えていた「ひょろりとした巡査」に「没収され」たことが書かれています。「オカミのキマリ」は「オオカミのオキマリ」ではないかという著者の思いは、実は現在でもそのまま通用するものです。年金法案の成立過程を見ていると特にそう感じますね。庶民の恨み、特に食い物の恨みはいつまでも尾を引きますよ、と「オカミ」に言ってやりたいものです。最後の2行には、そんな思いをしていた「隣のオカミさんは/もういないんだよね」と、作品を締めると同時に著者の人柄が現れていると思います。



  アンソロジー『風狂の詩人たち』
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2004.5.15
東京都三鷹市
風狂の会・齋藤氏 発行
1500円
 

   わが墓に入るをこばんで妻笑う     精一郎

   タッチミス新人ギャルを操作ミス    ちかえ
      
ぼつ
   あれも落選これもダメで又一年     陽一
       
イチロー
   受験生「一浪効果」と絵馬に書き    秀和

   漢字よりカタカナがよし虫の声     守

   礼状が途切れて詩集埋もれ去る     四郎

   一戸建て建ててみれば草ばかり     芳子

   酒飲みて器の古きスピーチす      章内
            
いちご
   いっき飲み いっき一期の一里塚    まもる

 会の代表格の齋藤さんを中心にした集りは1986年まで遡るようです。会の名称やメンバーはいろいろ変ったようですが「風狂の会」として発足したのは1994年4月のことで、今年はちょうど10年目。それを記念したアンソロジーですが、1編の詩もなくエッセイと川柳のみが載っていました。「風狂の会」と云えば川柳、と私などは思ってしまうのですけど、それもそのはず、発足当初からやっていたんですね。紹介した川柳は最初の忘年会で入選した記念すべき作品です。10年前という時代は感じさせるものの、10年経っても古びていないのはさすがですね。益々のご盛会をお祈りしています。




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