きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.26(水)

 6月1日の鮎釣り解禁日に備えて排水事故訓練を行いました。この時期に訓練をやるのは恒例なんですが、今年は私の職場が発生源として指定され、かつ、この4月1日付で私が環境推進委員に任命されましたから、シナリオ作りをやるはめになってしまいました。でも、私の職場としては初めてですが部としては何度もやっていることですので、前回のシナリオをアレンジすることで対応できました。
 訓練には加わらないで、課員の動きのチェック、終ったあとの反省会の司会が主な仕事になりましたけど、みっちり1時間、ちょっと疲れましたね。しかし、問題点・改善点がいろいろ見えて良かったと思っています。

 一般河川に流れ込むまでには様々な機器でチェックしていて、河川を汚す怖れはほとんど無いとはいうものの、それでも訓練は必要です。計器だけに頼らず、土嚢を積むような原始的な汚水流出防止策が最後には効くんだとも思っています。そこは課員も判っていますから積極的に参加してくれて、まあ、安心かな。願わくば私の任期中に事故が無いことを祈っています。もちろん任期が終ったあとはどうでもいいというわけではなく、事が起きれば働かなくてはいけないのは一緒なんですけど、責任がね…。無事故・無違反、これが一番!



  季刊文芸同人誌『青娥』111号
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2004.5.25
大分県大分市
河野俊一氏 発行
500円
 

    その先に    河野俊一

   台風が
   行った

   マンションの脇腹の汚れ
   のようなものが
   模様だと分かった

   改築中のビルにかけられたネットが
   ゆらめいている

   波のように
   寄せては
   引いて
   孕んでは
   絞られて
   ビルも
   しだいにまどろむ

   夢の中で
   水の引いた沼から
   こどもの死体があがる
   町は
   午後からの新しさにも
   まだ無口だ

 今号の特集は「住む」。同人4人のほか同人外8人へもアンケートを求めて、現在の場所に住んでいることで作品にどのような啓示が与えられているか、などの質問への回答が載せられています。私も求められて回答しています。ありがとうございました。
 紹介した作品は特集の中の詩として載せられていました。「その先」に「住む」がある、と解釈しています。最終連が難しいのですが、現代≠象徴しているのかとも思います。あるいは「住む」とは所詮死≠フ上に成り立っていると考えることも可能でしょうか。それは措いても「町は/午後からの新しさにも/まだ無口だ」という詩句は魅力的です。どこかで使いたくなるフレーズですね。



  詩誌『コウホネ』15号
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2004.5.25
栃木県宇都宮市
<コウホネ>の会・高田太郎氏 発行
500円
 

    英 霊
     ――ペリリユー島にて    高田太郎

   生きたまま火葬となった洞窟陣地
   入口に一本のやさしい蝋燭の火がゆれている
   死者を起こさない気配りだ
   ほとばしる無数のナパーム弾を
   半世紀かけて食いつぶした樹木も
   小さな火ならゆるしてくれるだろう
   縦横に走るむき出しの巨根は
   なぜか入口には近づかない
   今でも出入りするものへの遠慮があるのか
   生きているものは入ってはいけない
   線香の煙と香りの行方を
   みんなじっと眺めていた

   ぼくはこの奥深く燃えつきた骨の中に
   珊瑚の海を見ていた
   念じていた
   海であればまた生命を生むからである
   ぼくは近くに転がっていた
   さびついた迫撃砲弾をそっと遠ざけ
   ひとり 本物の海に出て
   立ちすくんだ
   速射砲のコンクリート掩体にもたれて
   防暑帽をかぶった一人の兵士が
   銃を抱き海を見ていた
   「あのー すみませんが・・・」
   と声をかけると

 作者によるエッセイ「ペリリュー島巡拝記」で作品の背景を知ることが出来ます。昨年11月にパラオ諸島のペリリュー島に戦跡慰霊に出かけた、とありますから、そのときの作品だと思います。「縦横に走るむき出しの巨根は/なぜか入口には近づかない」というフレーズにも驚きますが、最終連がいいですね。「防暑帽をかぶった一人の兵士」に「声をかけると」で終っているところが「英霊」というタイトルと見事にマッチしていると思います。詩の創り方としても見習いたいところです。



  詩誌『杭』42号
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2004.5.20
さいたま市大宮区
杭詩文会・廣瀧 光氏 発行
500円
 

    釣り人    山丘桂子

   テトラポットに打ちつけ
   防波堤をぬらす波
   水たまりに
   うろこ雲が映っている

   足元に
   十センチに満たない ふぐ
   何匹もころがっている
   口をとがらせ
   瞼のない眼はかわいて

   人は釣りあげて
   舌打ちして放り出す
   いっそのこと 海にかえせばいいのに
   上空を舞う鳶も 知らん顔
    毒にやられてはたまりません

   夏の名残りの陽に干され
   海色の魚模様を描いている
   遠い国ではいまもなお
   子供たちのなきがらが熱い砂にまみれて
   私もやがて
   ひょいと向こう側へうつされるのか……

   無造作にわけている
   あの釣り人は いったい誰だろう

   日がかたむき
   海の上の雲から
   金色の梯子がおりてきた

 1連から3連とそれ以降とで分かれていますが、そこが魅力の一つになっている作品だと思います。前半は「舌打ちして放り出」された「十センチに満たない ふぐ」。後半はその生死を「無造作にわけている/あの釣り人は いったい誰だろう」という疑問から最終連の神≠ヨの暗示となっていて、絶妙なつながりと云えましょう。「私もやがて/ひょいと向こう側へうつされるのか……」というフレーズも活きていると思います。私は「釣り人」ではありませんが、考えさせられる作品です。




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