きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.5.27(木)
営業からクレームの情報があって、現物が届きました。さっそく調べたところ異常がありません。さらに詳しく調べてみると製品の一部に亀裂がありました。もちろん出荷時には全数検査をしていて記録もありますから、そんな亀裂などあるはすがなく、お客様で使用しているうちに発生してものと推定されます。その亀裂を起こす取付け方が原因で見かけ上の性能不良が起きたと推定しました。データと写真を付けて、その旨を営業に回答して納得してもらいました。
クレーム対応というのは下手をすると会社の命取りになりますから、慎重の上にも慎重でなければならないのですが、製品に異常がない場合はそれをきちんと伝えなければならないと思っています。異常がないというデータとなぜその異常が発生したかの説明を、誠意をもって回答すれば納得していただけるだろうとも考えています。もちろんデータや原因を隠すなど論外で、今回の三菱自動車の姿勢はその意味でも信じられませんね。企業を守ることとお客様を守ることは本来同一だろうと思います。
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2004.5.15 |
大阪府堺市 |
横田英子氏 発行 |
500円 |
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なくす 正岡洋夫
仕事をなくした
それから気力をなくした
少しずつ生き甲斐をなくした
大丈夫だと家族に大声で言った
だがそんな声の張りをなくした
もがきながら滑り落ちて
すべてをなくした
妻をなくした
家族をなくした
子どもはなくしたような
なくしていないような関係である
老母だけは家にいて
一日中寝ているが
無理難題が山積していて
それだけはなくなりはしない
なくしたくないものから
順番になくした
まず友人をなくした
親友と言える友もいたが
こちらからなくしてしまった
なくしてもなくしても声をかけてくれる
心やさしい友人たちがいたが
それもやがてなくした
自信をなくした
誠実さをなくした
人の信頼もなくした
信用をすっかりなくしても
嫌な人間だけは近づいてくる
自分だけはなくすまいと思っていたが
私はもうどこにもいない
車をなくした
信用はなくしても
それなりに生きていける
そう思いながら人生をなくした
絶望感が襲ってきて虚無的になった
わざと倫理をはずれようとした
自己中心は今の流行りだが
中心にいるはずの自己をなくした
自己決定や自己責任ばかりの世の中だが
責任をとる自己などもういなくなった
わざと偽悪ぶって笑っているが
心の中でまだ涙が出たりする
人に迷惑をかけまいと思ったが
今はそんな恥ずかしさもなくした
夢などもちろんなくした
家をなくした
ローンは残っているが
貯金は全部誰かがもっていった
名前はとっくになくした
仮の名前はまだ使っているが
人生への未練もすっかりなくした
人の死にはもう心が動かなくなったのに
死への恐れだけはまだ残っていて
手術の時には恐怖を感じている
突然悲しくなることがある
今は死ばかりを待っているが
なくならない自分がどこかにいて
行くべき場所を探している
いのちはなくしたような
なくしていないような状態である
身につまされる作品ですね。「なくしたくないものから/順番になく」していく、「無理難題が山積していて/それだけはなくなりはしない」というのは人生の真実であるように私も思えてきています。「中心にいるはずの自己をなくし」て、「いのちはなくしたような/なくしていないような状態である」というのもよく判ります。そうやって老いていくのかなぁ。でも、そうやって開き直ったところから見えてくるものもあるような気がします。それが「いのちはなくしたような/なくしていないような状態である」という最終の詩句に現れているのかもしれません。考えさせられた作品です。
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2004.6.1 |
東京都小平市 |
路の会・石井真智子氏
発行 |
500円 |
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かくれんぼ 小林憲子
カードを入れて
改札口を出る
土曜日の午さがり
原宿駅は若者たちの渦
ひと
うしろにいる筈の夫に
話しかけようと
振り向く
いない――
背の高い
若者たちの間で
待つ時間の長いこと
つのってくる不安
バッグに入れてある
ワルシャワ・フィルハーモニーの
チケット二枚
一枚渡しておけばよかった
――人生に訣れるときも
かくれんぼをしながら
遠ざかってゆくのだろうか
そして 黄泉の国の四つ辻で
みィつけたァ=\―
表通りで沸きおこる
歓声と 拍手と 民族音楽と
そのとき ひと
照れくさそうに現れた夫
JRのカードと
私鉄のカードを
使いまちがえて
訂正してもらったという
黄落のみちを歩きはじめる
もう いいかィ
もう いいョ――
「ワルシャワ・フィルハーモニーの」コンサートに行ったときの出来事に触発された作品ですが、第5連と最終連がよく効いていると思います。一定の年月を過した夫婦ならではの意識がきれいに出ていると云えましょう。「人生に訣れるときも/かくれんぼをしながら/遠ざかってゆくのだろうか」と、本当は凄い悲しみを伴うものなのですが、それを淡々と書いているところに夫婦の普段の姿を垣間見ることができますね。一抹の淋しさと、それを乗り越えるあたたかさを感じさせてくれた作品です。
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