きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.5.28(金)

 工場恒例の駅伝大会の日です。以前は私も走っていたんですけどね、今はそんな元気はありません。職場の人たちが走るのを応援して、そのあとは呑み会に行くのを楽しみにしているだけです(^^; 今回の呑み仲間は、以前の職場で懇親会幹事をやった連中です。幹事の役目はもう4年も前に終っているんですけど、呑み会だけは今でも続いているというヘンな仲間です。

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 左のおじさんは私と同年代ですが女性は若いです。この連中にさらに女性二人、男一人が加わって、午前2時頃まで呑んでしまいました。珍しいところでは「兼八」という焼酎を呑みました。どこの酒だったかなぁ? すっかり忘れています。まあ、味はしっかり覚えているからいいかな。金曜の夜に気の合った仲間と呑む酒は、本当に旨いですね。



  山口惣司氏詩集『天の花』
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2004.5.12
東京都千代田区
角川書店刊
1905円+税
 

    

   赤子を背負って俯く少年のこめかみは
   ビクビクと痙攣した
   そして大粒の涙が幾筋も流れた

   四月の校庭は寒かったはずだが
   赤子を背負った少年は裸足のままだった
   自尊心など無かったなどと思うのは
   貧しさを笑うぼくらの思い上がりで
   その少年のこめかみの震えと涙は
   悔しさを必死にこらえる姿そのものだった

   少年は三年生だったが
   新入生のぼくらの教室の窓下で
   背中の子を揺すりながら
   授業をじっと見詰めていたのだ

   黒板の文字を鞭で指しながら
   ぼくらの女先生は
   昨年まで担任だった窓下の少年に
   「読んでごらん」と声をかけられたのだった

   突然のことに少年は戸惑った筈だ
   でも上級生だというプライドで
   声高らかに朗唱した
   サイク サイク サタラガ サイク
   と

   教室が笑で弾けた
   ぼくらの女先生は
   予想だにしなかったこの事態に動転した
   少年の狼狽と哀しげな眼差し
   そして溢れる大粒の涙に
   居ても立っても居られぬ思いだったろう

   それでも女先生は
   髪の毛をかき上げながら居住まいをただし
   「なぜそう読んだのか考えてごらん」
   とぼくらに静かに問いかけられるのだった

   「ク」と「タ」を逆に覚えてしまったのだ
   窓から覗くだけの
   しかも子守しながらの
   二年間の学習では
   正しくは覚えられなかったのだ
   そう気付いてぼくらはシーンとなった

   国威発揚のカラ元気と      
こだくさん
   「産めよ増やせよ」の国策から来る子沢山
   その切ないほどの貧しさを
   ぼくらはぼくらなりに
   おぼろげに感じ始めていた
        
はやぶさ
   <同期の桜> <隼 戦闘隊の歌> などを
   音楽の時間にまで歌わされた
   昭和二十年 五年生になったぼくらは
   「勝利!」「大勝利!」ばかりを繰り返す
   大本営発表にも訝しさを覚え始めていた
    (いやそれは大人たちの
    白けから来る厭戦気分に
    同化させられてのことだろうが)

   肌に馴染まなかった国民学校の
   多くの思い出だが
   あの「サタラ」少年の悔しさと
   しばらくは続いたであろう鬱屈………
   少年の元担任だった女先生の
   複雑な心境と物静かな問いかけ………

   貧しさの中にも
   辛うじて保たれる衿侍………
   それらは六十年経った今でも
   記憶の澱として
   ぼくの胸底に沈んでじんわりと重い

 舞台となった時代は昭和15年、戦争前年のことと読み取れます。「四月の校庭」に「上級生だというプライド」を持った「赤子を背負った少年」が「裸足のまま」「授業をじっと見詰めていた」というのは、「六十年経った今」から見れば信じられない光景でしょう。しかし、私には判ります。時代は下って昭和34年、小学校3年生の私は「少年」と近い境遇にありました。
 その年の6月に母を亡くし、下の妹4歳を連れて学校に行っていました。教室の自分の机の横で妹を遊ばせて授業を受けていたのです。戦前のように学校を辞めることなく妹連れでも登校できたのは、いま思うと幸いでした。

 どちらも今では信じられないことですが、日本という国がこの50年、60年を過してきた一面なのです。たった半世紀でそんな底辺の人々がいたことを忘れてしまう国民というのが、逆に信じられない思いをしています。歴史から何も学ばない国民性に常々不安を感じていましたけど、著者は最終連で「それらは六十年経った今でも/記憶の澱として/ぼくの胸底に沈んでじんわりと重い」と書いています。こういう先輩がいることを誇りに思います。いい詩集でした。



  詩誌『驅動』42号
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2004.5.31
東京都大田区
驅動社・飯島幸子氏 発行
350円
 

    明日はないこととして    中込英次

   振り返ってみると嘘ばかりついて歩いた人生だ
   今度やる次にやる明日やるいつかやる今年こそ
   その時そのつもりを全て先送りして
   まったくやらずじまいの何もない人生
   そんなこんなでも月日は流れ馬齢だけ重ねた
   ミラボー橋の詩人は橋上で絶唱を創り上げ
   ランボーは二十歳でさっさと詩作を断ってしまったのに
   わが来し方は痛風と過敏性腸症候群と資金づくりに
   苦しめられ悩まされまとわりつかれているというのに
   他人には虚勢はりカッコつけムダ金遣い
   赤貧暮らしを半世紀以上もつづけ
   ある夜突然貧血にみまわれ失神し
   プラットフォームにしたたか顔を打ち付け
   救急車で病院にかつぎ込まれる始末
   運よく歯医者通いの健康保険証があったので
   誰にも知られず済ますことができた
   倒れたのが駅でなく人通りのない夜道だったら
   確実に死は免れなかっただろうと
   以来明日はないものとして
   全てをその場その場で処理することとした
   自閉症で脳神経科医のオリバー・サックスの
   『火星の人類学者』に描かれている
   トウレット症候群の外科医や仝色盲の絵かきのように
   不幸の中にある幸福な人生を目指して
   いま静かに燃えている

 身につまされる作品ですね。「今度やる次にやる明日やるいつかやる今年こそ」というフレーズには思わず笑ってしまいましたが、次には冷や汗を感じていました。「他人には虚勢はりカッコつけムダ金遣い」というのも身に覚えがあります。身に覚えがある、どころか今でもまったく反省の様子がありません。
 「不幸の中にある幸福な人生」というのは、いい詩句だと思います。作者の高潔な思想を感じます。おもしろいけど、ウッと考えさせられる作品だと思いました。




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