きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.6.1(火)
私の勤務する工場は神奈川県西部にあって、工場廃水の一部は最終的に近くの狩川に流れて行きます。全国的なことだとは思うのですが、今日から鮎漁が解禁されます。そんな日に廃水事故なんか起こしたら大変ですから、この日を中心に廃水事故撲滅のキャンペーンが工場で行われています。キャンペーンの一環として廃水設備の見学会がありましたので行ってみました。20年ほど前にも行ったことがあるんですが、今年は部の環境推進委員という役割も負うことになったので久しぶりに勉強してみようかという気になりました。
廃水処理は大きく分けて3通りあります。廃水中に含まれる貴金属を回収するライン、その他の化学物質を処理するラインがあって、これは基本的には閉回路で、上澄みが一般廃水に流れます。その上澄みと雨水やエアコンの冷却水を流す一般廃水は様々な処理のあとに貯水池に導入され、そこでは数万尾の錦鯉が飼われていて、その後で狩川に放流されます。その三つの処理設備を見学するのが主たるコースでしたが、金が掛っているなと改めて思いました。数10億の設備投資と年間数億の維持費が掛っています。人件費を入れたらもっとすごい金額になるんでしょうね。でも、どんなに金を掛けても廃水事故を起こしたら社会的な制裁を受けてしまいます。幸い、この数10年事故はありませんけど、そこに働く人たちの緊張感が伝わってくる見学会でした。
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2004.6.1 |
東京都大田区 |
ダニエル社 発行 |
300円 |
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馬 佐川亜紀(さがわ あき)
言葉の中に
馬が住んでいる*
土地から生え出た
たくさんの声の草を食べ
生まれた途端
あなたから あなたへ
時空と
わたしを巡って
走る定め
不毛の砂漠でも
文明の荷にあえぎながら
糞の言葉を
ぽろぽろ落とし
明日のこやしとする
暖かい沼の暗黒は
永遠の問いの眼差し
一瞬の栗毛のオーロラと
天へ差し伸べる枝先のような
細い脚が跳ね飛ばす
泥の跡だけ見える
たなびくたてがみが
流星のように速く
一頭だけのレース
言葉にありったけの
いっさいがっさいを賭ける
ちっぽけな夢心や下心
今日やら昨日やら明日やら
鍋やらやかんやらレンジやら
星やら未払い通知書やらラブレターやら
そうして
味わうのだ
とほうもないハズレの愉楽
とほうもない負け方の爽快
そのようにして詩のハズレ馬券を
内ポケットにためこむ
わずかな生の足跡を重ねて
*朝鮮語で言葉も馬も「マル」。
「言葉の中に/馬が住んでいる」というのはすごい言葉だなと思ったのですが、朝鮮語由来だったのですね。それに触発された作者の感性には脱帽です。「詩のハズレ馬券」というのもおもしろい詩句だと思いました。確かに、考えると「ハズレ馬券」ばっかりだったような気がします。私はギャンブルは大嫌いなんですが、「ハズレ馬券」を握り締めるギャンブラーを笑えないのだと気付かされました。かたや「馬」、かたや詩であっても、結局のところはハズレの人生。目糞鼻糞を笑うに過ぎないのかもしれません。言葉も馬の同じ言葉だという朝鮮語の意図するところを考えてしまった作品です。
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2004.5.22 |
長崎県諌早市 |
岡 耕秋氏 発行 |
500円 |
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干拓地 岡 耕秋
今日も
吉永開*の古い堤防にたった
そこは数年前まで潮が満ち寄せ
数万の渡り鳥の声を
遠い地球の歴史の声をきく場所だった
かつての日本一の干潟は
一面青々とした草地になって
ところどころ農地にかわっていた
数十年の時間しか生きられない人には
数十年を生きる知恵しか与えられない
時代を越えて生きることは許されない
干潟の価値は多くの人々に理解されなかった
干潟を失う決定を
多数決の原理にゆだねてよかったのだろうか
人は子孫を遺し
有形無形のものを
財産として王権として家柄として
法律や慣習として遺す
だが私たちはまだ
自然やより良い環境を遺す
法律や慣習を持っていない
一夜の悪夢のように消えてしまった日本最大の干潟
いつまでも立ち尽くしていてはいけない
数十年を生きるだけの知恵しか与えられていない
私の時間もまもなく尽きる
よしながびらき
*吉永開=諌早湾干拓の南側にあった旧干拓地の突端
「干拓地」とは註にもあるように「諫早湾干拓地」のことですが、この作品は現在の政治の本質に触れていると思います。「数十年の時間しか生きられない人には/数十年を生きる知恵しか与えられない」、「自然やより良い環境を遺す/法律や慣習を持っていない」我々が「多数決の原理にゆだねて」いいものだろうかと考えさせられます。現在のところ、人類が到達した最高の政治形態が民主主義と考えられていますが、それは本当だろうかという思想が根底にあるように思います。それは理論として散文化できるものですが、「私の時間もまもなく尽きる」とは書けない。それを書くの詩であるだろうと思います。詩として見事に理論と感情を両立させた作品と云えましょう。「遠い地球の歴史の声をきく」のが詩人の仕事でもあると感じた作品です。
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