きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.6.2(水)
鮎漁解禁日に前後して、工場の廃水事故撲滅キャンペーンの一環で廃水事故訓練というのを毎年やっています。日勤職場が対象ですから、当然日中にやります。しかし工場は24時間操業ですから、夜間の廃水事故というのも在り得るわけですね。そこで今年は夜間の訓練をやってみることにしました。三交替者が対象ですが、私は環境推進委員ということでモニターとして参加しました。指揮者のもとに50名ほどが集まって、壮観でしたね。でも彼らが散るとまったく姿が見えません。外灯はあるんですが日中とは比べものにならないほど暗い、、、って、当り前か(^^;
訓練は30分ほどで予定通り終了しましたが、暗さや指揮伝達など若干の問題点もありました。夜間訓練はあと数回ありますから、次の訓練にはフィードバックしなければなりません。報告書を作成して伝えます。訓練というのは、やっぱりやってみる価値があると思いましたね。
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2004.5.15 |
岡山県浅口郡鴨方町 |
詩脈社・岡 隆夫氏
発行 |
300円 |
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草庵をあむ 岡 隆夫
草庵をあむ
コンパネの切れ端七枚重ねて柱とし はり
コンパネの切れ端七枚七枚交互にずらして梁となし
カラーコンパネの切れっ端を並べて壁となし
二九・九mの強風にも耐えられる草庵をあむ
保温のために花柄のペルシャ絨毯を吊るす
古机と樽のイス 鉛筆と紙片と達磨型薪ストーヴ
正午を指して止まっている木目の浮いた古時計
スペイン語のわたしの九行詩のスクリプト
それに古びたランプひとつ
達磨ストーヴはよく燃える
胴っ縁がはち切れんばかりに轟々と燃える
出光のナフサのごとく暴発しつつ燃えしきる
燃えすぎるので調節弁を四五箇所塞ぐと
マグマを抱え陰にこもったキラウェア火山だ
草庵をあむ
山裾のわたしの果樹園のさなか 王林・花梨・ドーフ
はくほう はやか
イン・デコポン ふじ・富有 巨峰・白鳳 早香・八
*
朔 ピオーネ・ボンカン 十三種類六十品種八五本
わたしの村が見下ろせる町境の峠の果樹園
訪ねるものは峠をわたる西風のみ
いや 夕陽が優美な手をさしのべる
また会えるかな Auf Wiedersehenと
青鷺が手前の青い池に帰ってくる
ガォーナイ と
それにしてもわたしの小腹の理不尽なる不燃物!
牛馬羊豚 猪犬スッポン ワイン 酒 魚貝鴨鹿
鶏兎禽鳥 焼酎 シェリー 紹輿酒 憎悪怨念
後悔悔恨 マッカリ 泡盛 ビールにバーボン
ウォッカに未練ウイスキー 辛酸千悔 遺憾千万
草庵をあむ
空と風でできたこの位相
在って無きがごときこの蒼穹
わたしの依って来たるところ
薪が燃える間のしばしの居場所
灰となって落ちるところ
すばる
北極星の彼方でも昂の彼方でもない
空と風とが織り成すこの位相
在って無きがごとき果樹園の
無きがごとく在る天中庵
銀河国は外延県太陽郡地球町大字火風空字地水
九番地の天中庵の扉を閉じて果樹園をあとにし
眼下にアムール川の蛇行する湿地帯を眺めつつ
わたしの麦畑をよぎり 家にはいると部屋中に
バグダッドの砂塵が舞い 煙硝のにおいが漂う
*果実十三種類六十品種八五本 二〇〇四年一月二八日現在
いちじく(七種七本) ドーフィン
いちょう(一種三本) 梅(四種六本)
柿(四種五本) 富有花梨(二種四本)
柑橘(十六種十八本) 早番 八朔 デコポン ポンカン
梨(一種一本) なつめ(二種四本)
びわ(一種一本) ブドウ(十四種二五本)巨峰 ピオーネ
桃(三種三本) 白鳳 ゆすらうめ(一種二本)
りんご(四種六本) ふじ 王林
「草庵をあむ」というのはいいですね。私もそれに近い家ですが、さすがに「コンパネの切れ端七枚重ねて柱とし」とまではいかず普通の家になってしまいました。裏に畑もありますが、それも「十三種類六十品種八五本」とはいかず、単なる野菜畑です。「古びたランプひとつ」もなく「達磨ストーヴはよく燃える」わけではありませんが、「ワイン 酒」「焼酎」「ビールにバーボン」ぐらいは追い着くかな? いかに理想的な生活が描かれているかが判りますね。
しかし、そんな理想的な生活の中でも「バグダッドの砂塵が舞い 煙硝のにおいが漂う」ことを忘れないのはさすがだと思います。ただの隠棲≠ナはなく、作者の意識的な生き方であると捉えることが可能でしょう。羨ましく思うと同時に、考えさせられる作品でした。
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2004.7 |
埼玉県所沢市 |
山本 萌氏 発行 |
200円 |
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赤木三郎
声の物質1
心のひだのあいだの声を
とりだす だけでは
みがかない鉱石 ききとれない低さ
だろう (おまえは
だれの記憶にものこらないだろう
自身の記憶も 無に むかうだろう)
声の物質2
焼かれて 消失した巨大な図書館のなかに
読みたくて読まなかったわたしの本は ある
二十億冊 アレクサンドリアに
コトバが ある
わたしの まだ知らない―――
密林に散在するマヤの書庫の棚に 腐って
声の物質3
自然とはいったいどういうものだろうか
わたしの体は生きながら塩漬けとなっている
傷だらけの わたしの脚
薊 薊 わたしの花よ
声の物質4
世界は 乾き
―――くちびるは 割れて
時間の影を
からだにあつめて 毎夜
うなされて 夢 みなければならず
山本萠さん撮影の4枚の写真に各々、山本さんの詩と赤木さんの「声の物質」1〜4が添えられいるのですが、ここでは原作をきちんと表現できなくて申し訳ありません。しかし抜き出した赤木さんの作品の素晴らしさは堪能していただけると思います。1の「心のひだのあいだの声を/とりだす だけでは/みがかない鉱石 ききとれない低さ/だろう」にまず敬服してしまいますね。いかに「心のひだのあいだの声」を取り出していないか、我が身を振り返ってしまいます。
2の「読みたくて読まなかったわたしの本」、3の「わたしの体は生きながら塩漬けとなっている」、4の「時間の影を/からだにあつめて」などの詩句もいいですね。「声の物質」という視点で考えさせられるものを感じます。できれば写真とともに読んでもらいたい作品です。
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2004.7 |
埼玉県所沢市 |
山本 萌氏 発行 |
500円 |
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「心」と書く 山本 萌
筆を手に、一呼吸で「心」と書く。
その単純明快な文字は、どう書いても赦されているようだ。
例えば「水」と書く。あるいは「月」と。そこには、水や月という存在へのイメージがまず先行する。
しかし「心」には、想像を寄せてゆく手懸りがない。これほどわかりやすく誰にでもあって、かつ捉えどころのないも
のは、他にはないのではないだろうか。
心の形? 心の場所? 心の機能? 心の営み?
心は、何を喜ぶのだろう。心から、出て行こうとするものは何か。心と心が出会えば、何が生まれるのか。
不可解と思いながら、ほんとうは誰でもそれを知っている。
現代人は沢山の情報やものに包囲されて、最も大切なものを忘れる。心は不在となり、文明の軋轢の中で病んでしまう
のである。 ヽ ヽ
欠けた心も痛んだ心も、自然に抱かれれば、深い安堵を得、健康をとり戻し、自由に羽搏くことができるだろう。
それは、私たちにのみ授けられた恵みではない。森羅万象の、数々のいのちにも等しくそなわっている。
心は弾み、心は翔び、心はあらゆるものを受容し、駈け巡る。
日々刻々覚醒され、再生を厭わない。
心とは、それはどに柔軟な器であり、核である。
この偉大なる永遠の抽象よ。
こちらは山本さんの一字書に赤木さんの詩、山本さんの言葉が載せられていました。「心」について書かれていますが、その書は上の表紙の一字です。写真でも「心」という字がお判りいただけると思います。
その字を見ながら山本さんのエッセイを読むと、内容をより理解してもらえるでしょう。自由奔放な字は、まさに「その単純明快な文字は、どう書いても赦されているよう」に思えます。そして「森羅万象の、数々のいのちにも等しくそなわっている」形と捉えられ、何と云っても「偉大なる永遠の抽象」に見えますね。書と言葉の見事な統合だと思います。
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