きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.6.4(金)
金曜日ですから、仕事が終ったら当然のように呑みに行きました(^^;
今日は初めての店で、私と同年代かちょっと上の女性がやっている店に行ってみました。前から気になっていたのですが、外見から家庭的な雰囲気が感じられましたので大丈夫だと思ったら、やっぱり大丈夫(^^;
飲み始めてしばらくして手伝いに来たらしい女性も同年輩のようで、ますます安心しましたね。お酒はそれほど良いものは置いてなかったんですが、それでも八海山程度はあって、まあまあかな?
新しい店を開拓するのは楽しいものです、、、って、すっかり呑ん兵衛だなぁ。
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2004.5.25 |
和歌山県和歌山市 |
出発社・岡崎 葉氏
発行 |
年間購読料1000円 |
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体温 岡崎 葉
―――森常治氏より贈られたコーラス詩「夢の部屋」に触発されて―――
知らなかった
世界中がしんと静まる夜があること
深まっていく時間をさえぎれば
もとには戻らないこと
愛のために用意された
幾つかの日々には
迷わずに立ち向かうこと
知っていたのは
一行のフレーズよりも短い
互いの名と沈黙と
早春のひなたのような温もり
おそらくあの日が
東京で過ごした一番寒い夜だった
ウイスキーの空き瓶に
マッチの火を投げ入れて
ふたりで笑った
ほんとうのことは今も知らない
離れていく気持ちの不思議さ
温め合うものが身体であるという幻想
そうして同じ体温にたどりつくまでの術を
「森常治氏より贈られたコーラス詩」というのがどういうものであるか判りませんが、それを離れてもこの作品は理解しやすいと思います。「世界中がしんと静まる夜があること」「一行のフレーズよりも短い/互いの名と沈黙」などのフレーズは、過ぎ去った日々を思い出させてくれました。
第3連以外の「知らなかった」「知っていたのは」「ほんとうのことは今も知らない」という各連の第1行が詩にアクセントを与えていて、この構造もおもしろいですね。「体温」というタイトルともうまくマッチしている作品だと思いました。
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2004.6.1 |
大阪府豊中市 |
上杉輝子氏方・ガイア発行所 |
500円 |
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パルティータ にいみたかし
歳とれば誰だって感性の働きが鈍くなる…
なのに、右脳だけで活躍できる人や
分別を突き抜けた若手の作品に触れると
老人は左脳が痺れてしまう
*
のんびりしている午後があって
詩が書けないということは
青い蝉が啼いていて
書けない詩を書こうとしているから
*
眼の前の世界に
有り得ない風景が現れたとき
身体の真ん中を太いガラスの骨が貫通していて
向こう側が透けて見えているのではないかと思う
*
魚は水を見ない
鳥は風を見ない
人は時を見ない
だが、それが流れて行く音は聞こえている
*
繰り返し称讃される「内省」という行為は
内なる自分という−自分−が死んでいて
なかへ入りこもうとする−自分−は生きていて
逆でもいいが、厚化粧で飾り立てられている
*
後から追ってくる者に道をゆずり
往来では誰もいなくなるまで待つ
猫のように
人間と距離を置いてみる
*
中学生の卒業旅行を
刑務所の見学にすればきっと学習されるだろう
完璧な成功は成し遂げようとしても出来ないが
完璧な失敗はやろうと思えば出来ると
*
つじつまの合わないいろんな考えを
尤もらしい言い訳で関係づけようとしても
この世には
到底引き受けかねる役割というものがあるのだ
*
羊が笑っているような歌を聞いたら
左の耳を三回洗おう
うっかり右の耳を洗うと
馬が哄っているような嘶きが響く
*
対立している主観と客観は
会話によって互いの存在を確かめ合っているが
どこかの深奥から黄色い電波が侵入すると
単語や成句の間に思いがけない亀裂が生ずる
*
みんなが見ている
みんなに見られている
こんな自意識は遥か彼方へ追い払おう
望遠鏡を反対から覗きこむように
*
空が曇る、屋根が、窓が曇っている
壁が、家具が、床が、私が
立体的に住んでいるから陰陽に迷う
上下左右を捨ててしまえば影など付きまとわない
*
今日のような一時間でも
普段どおり過ごさねばならない
狎れているはずだが本当は気味が悪い
雲が全部雨になって降り早くしてしまった日
「パルティータ」という言葉は浅学にして知りませんでした。辞書によると組曲。17〜18世紀の変奏曲。バッハが組曲の意で用いた≠ニあります。なるほど。それでは1編1編を単独で読んでいい、ということになりますね。
最初は「中学生の卒業旅行を」という連に惹きつけられました。「完璧な成功は成し遂げようとしても出来ないが/完璧な失敗はやろうと思えば出来る」というのは真実でしょうね。こんな簡単なことも読むまでは気付かなかったのかと、己の浅慮を知った次第です。
それが取っ掛かりになって読み直してみると、「人は時を見ない/だが、それが流れて行く音は聞こえている」「猫のように/人間と距離を置いてみる」「上下左右を捨ててしまえば影など付きまとわない」など含蓄のある行が並んでいると改めて思いました。固い頭を柔らかくしてくれる詩篇と云えましょう。
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