きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.6.20(日)

 市内一斉の美化作業の日で、善良な市民のひとりとして(^^; 参加しました。午前8時から11時までみっちり、と言いたいところですが実際は8時半頃から1時間ほどで終ってしまい、他の分担地域に遠慮して10時過ぎまでは居残っていました。1時間ほどは地域の人たちと他愛ない話をして過しましたけど、これがいいんですね。年に2回のボランティアは地域交流の格好の場です。

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 写真は私たちが割り当てられた場所の一場面で、この路は私の家のすぐそばにあります。でも、ほとんど利用されていないなぁ。畑に行く人が数人、犬の散歩で朝夕に数人と数頭。私もこんなときに行くだけです。でも、綺麗にしておくのは賛成。ゴミひとつ落ちていない路というのは見ているだけで気持がいいもんですからね。



  会報『千葉県詩人クラブ会報』186号
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2004.6.15
千葉市花見川区
中谷順子氏 発行
非売品
 

     いま
    現代おぼろ    乾 亮

   学園闘争は 昭和最後の青春の
   発奮だった
   そのあとまもなく神が水平線の上で
   脱糞したものだから
   地上経済が
   あっぷあっぷ
   これを見た天が
   ゲップをしたら
   あぶくが破れてしまった

   携帯とPCが結婚した頃
   島国には団塊老人の群れが蠢いて
   夕日は懐メロ
   嵐はドラマー
   川の流れのような人生でもゴールは一緒
   と
   枯れ枝のカラスが唄う

   ロックの響きとともに
   信仰が再び戦を呼び
   教義に反する行いも許される言の葉一枚
   あわれ
   森が消え
   湖が干上がり
   大河は消滅した
   立ち尽くす偶像どもの夢の中

   唖
   宇宙が寝返りを打った
   夜が明ける

    いま
   現代おぼろ

 会員作品の中の一作です。おそらく私と同年代の詩人と思われます。ともに「団塊老人」になる人かもしれませんね。同じ時代を見、同じような思いをしたであろうと感じられます。「現代」を「いま」と読ませることにも違和感はありません。「おぼろ」になって行く「島国」の中で「川の流れのような人生でもゴールは一緒」とうたう詩人の空しい感覚がよく表現されていると思います。でも、パワーを感じる作品だと思いました。



  詩誌『梢』35号
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2004.6.20
東京都西東京市
井上賢治氏 発行
300円
 

    ざっぱ    日高のぼる

   北海道ではいさばやと呼ばれる魚屋を生業としていた
   魚だけでなく日用品や野菜なども売っていた
   いまでいうコンビニエンスストアーのような店だった
   肥育して売るために豚を飼っていた
   お得意さんへのサービスと豚のご飯のために
   ざっぱ集めをしていた
   ざっぱとは魚のアラなどの生ゴミだった

   学校から帰ると ざっぱ集めしてと声がかかる
   リヤカーにブリキ缶を積んで店のお得意先である製鉄会社の社宅をまわる
   勝手口にバケツなどに入って置いてあるざっぱを
   移し替える それでなくても臭いのが
   夏はさらに臭くて息を止めながら空ける
   汁が飛んで服にも手にも顔にもかかる
   冬はにおいは弱いのだが凍れていて空けるのが大変だった

   同級生と顔を合わせるのがいやだった
   リヤカーを引っ張っていると
   そばを通る人は顔をしかめて避けるようにして通っていく
   住んでいた集落は端からは「国際部落」と揶揄されていた
   アイヌ、チョーセン、マザリ―米軍人との間にできた子ども―
   それとシャモ リヤカーを曳きながらちじこまっていた

   持ち帰ったざっぱは家の裏にある大きな釜に空け
   野菜屑なども入れ薪で炊きあげる それは父の仕事で火の番は
   豚の世話をしている祖母がしていた
   ある日祖母はその中にじゃが芋を入れ
   箸でとりだし皮をむいて食べさせてくれた
   それはうまかった
   もう四〇年以上も前のことになるがあの味は忘れない

   南向きの豚小屋からは海が見えた
   豚は毎日太平洋をみながら暮らしていた

 記憶は薄れていますが、たしかに「リヤカーにブリキ缶を積んで」「豚のご飯」を集めていた人がいたと思います。生地の北海道でだったか、父親の実家がある常磐炭田か、その後住み着いた静岡市だったかはっきりしませんが子供心に覚えています。そのまま豚にあげると思っていましたけど「大きな釜に空け/野菜屑なども入れ薪で炊きあげ」ていたんですね。これは雑菌を殺す意味もあって、考えたものだなと思います。

 大変なご苦労をされていたと思うのですが、作品は飄々としていて、むしろ楽しささえ感じられます。最終連が奏功しているのでしょう。「豚は毎日太平洋をみながら暮らしていた」という大らかさ。それを表現し切る作者に敬服しました。




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