きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.6.22(火)

 朝から四つの会議をこなして、合間に机に戻って、気が付いたら定時を過ぎていました。ちょっと机に戻って、もうちょっと仕事をしようかなと思ったら18時。会社には何時までいても、場合によっては徹夜しても構わないんですけど、毎日のことですからね、そうそう無理はできません。さっさと帰ってきました(^^;

 帰ってきて、いただいた本を読むというのがもうひとつの私の仕事だと思っています。本を読むのが大好き。本だったら化学でも物理でも何でも来い!(理解できているわけではありませんが)。音楽や園芸の本、なんてのはちょっと戸惑いますけど詩集ならね、望むところなんです。だって、書くよりやさしい(^^;
 で、この思考回路というのは、実は会社の仕事にも役立っていると自負しています。本業は化学工学ですけど、この関係だけでは視野が狭くなると思っています。まったく正反対(でもないんですが、実は)の詩は、回路を切替えるのに最適と云えましょう。
 だから、いつまで経っても出世しません(^^;;;



  季刊・俳句と批評誌『船団』61号
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2004.6.1
大阪府箕面市
船団の会・坪内稔典氏 発行
1500円+税
 

    俳句50句 夏の椅子    山本純子

   冬の夜も虎はバターになりやすく
   つまりまあ木の役なんだ聖夜劇
   元日はソフトクリームのてっペん
   凧揚げる神さま用事ありますか
   肘でなら触れられるおしくらまんじゅう
   雪だるまでいた一日缶コーヒー
   新聞紙まめにまとめて風邪で寝る
   雪おんな防犯カメラ作動中
   いてまえの気分葛湯を飲んでいる
   雲になりたいセーターを投げ上げる

   手袋でうさぎ作って一人旅
   戻る千円札春の券売機
   三月のマスターキーをさがさなきゃ
   髪なびく春の航海フェルマータ
   若葉風こんなところにエコマーク
   ジャムよりもバターは無口青葉風
   友だちの恋を参照して雲雀
   かたつむり持つ指かげん友に会う
   まず単語そして文法です穀雨
   映画館から現代へ出て雷雨

   マグネット天道虫が飛ぶなんて
   天牛をつかみおまるにまたがって
   出かけるというよりふらり蟹穴へ
   砂の城浮き輪とならばどこまでも
   カヌー干すカレーは次の日もうまい
   鬼アザミ牛は鳴きたいときに鳴く
   ふと歌が生まれることも未草
   生き方をときどき変える貸ボート
   川花火すきまに座るまた座る
   「本日は」以下省略の大キャンプ

   灯取り虫フォークダンスはひさしぶり
   二人なら錦秋へバンジージャンプ
   それぞれの思いで生きる草紅葉
   つり革に高低がありキリン草
   行きつけの店がそこにも木の実降る
   団子虫どこもかしこも工事中
   辻辻に野球部走る初御空
   誕生日空気はっとする臘梅
   ふと消える鳥の足あと冬の波
   水墨画は降りつづいて雪下ろし

   雪の果て夜明けに風呂を使う人
   浮き立つ職員検診葉桜に
   五月闇イソジン垂らす二三滴
   公文書冷やし中華はじめました
   電線が増えていくようで蝙蝠
   バオパブの木を回りたい月天心
   信仰が支えクリオネ透きとおる
   晩春を砂から伸びるチンアナゴ
   オカピには木のふりをする夕焼けて
   地上絵を見下ろす夏の椅子にいて

 珍しく俳句誌をいただきました。俳句はまったくの門外漢ですが、山頭火や放哉の自由律の系統なのかなと思います。便宜的に10ずつのブロックに分けましたけど、これも正しいことなのかどうか判りません。

 門外漢ながら「凧揚げる神さま用事ありますか」は判りますし「雪だるまでいた一日缶コーヒー」はスキー場で待っていた光景? 「新聞紙まめにまとめて風邪で寝る」は夢中で片付けたあとのことかなと思います。「マグネット天道虫が飛ぶなんて」は冷蔵庫のマグネット、「カヌー干すカレーは次の日もうまい」はカヌーで遊んだ次の日、前日のカレーを食べている風景。「生き方をときどき変える貸ボート」は思い出がありますし「団子虫どこもかしこも工事中」はいつも経験していること。「公文書冷やし中華はじめました」は、公文書に紛れ込んだお店のチラシか、チラシが公文書として扱われていることを示していると思います。
 詩とは違いますが、こういう思考・頭の使い方もおもしろいと感じましたね。でも、私には無理だろうなぁ。



  詩誌SPACE56号
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2004.7.1
高知県高知市
ふたば工房 発行
非売品
 

    水とアルコール    吉田義昭

    水とアルコールの違いが分かりません。液体は液体、匂い、密度、
   沸点など、その物理的な性質の違いは理解できますが、私の体が、
   水とアルコールのどちらに依存しているのか、その違いが分からな
   いのです。急激に体の中に液体が欲しくなり、水を欲している時に、
   アルコールを入れてしまうと、異物反応が起こり、すべて吐き出し
   てしまい、その逆の時は、水を飲んだだけで酔って気分が悪くなっ
   てしまいます。

    私は昨日、ある観察をしました。二つずつ、フラスコと試験管、
   そして電子顕微鏡を用意したのです。ここにあるのは純粋な私の血
   液です。その血液から、多量の水とアルコールを含んだものに分け
   てみたのです。そして、私の血液が、水とアルコールのどちらと融
   合しやすいか、また、反撥しやすいかを、血液が凝固するまでのわ
   ずかな時間で調べたかったのです。

    私の血縁を辿ってみると、水依存症と、アルコール依存症のどち
   らかの体質になったものばかりです。それなのに、不幸にも私はそ
   の両方の形質を受け継いだらしく、液体に対しての依存症になって
   しまったようです。一日中、私の体は液体を欲しています。液体を
   体内に入れて過ごしていなければ、体が機能しなくなっていたのに、
   水とアルコールのどちらも異物として吸収してしまうのです。

    どんな時に水を、どんな時にアルコールを、私の体が欲しがって
   いるのかの判断は困難でした。ですから、生物学的に自分の血液に
   濃度の異質な液体を入れて、顕微鏡を覗き、私の精神病理、あるい
   は人格までも探ってみたいと思ったのです。ストレスで私がこのよ
   うな体質になったとは思えません。しかし、血液の中で水とアルコ
   ールのどちらが活発に分子運動をしているのかさえ確認できません
   でした。

    環境のせいで私が水とアルコールの両方の依存症になったとは思
   えませんが、液体に依存して生きることは正しいことのように思え
   てならないのです。特に、私の場合は、ある程度は理性もあり、人
   格も整っているので、アルコールをきちんと水で薄める体質に変化
   したと思われます。私の血液を調べていて、液体に依存している原
   因は発見できませんでしたが、確かに、私のものではない、水かア
   ルコールを拒絶すると予想される遺伝子を見つけました。それでも
   まだ、血液中の水とアルコールの違いがよくわかりません。

 身につまされる作品です(^^; 私の場合「水とアルコールの違い」はすぐに判り、「水とアルコールのどちらに依存しているのか」は即座に判断できて「異物反応」は起きませんけど、「ある程度は理性もあり、人/格も整っている」かどうかは疑問ですけどね。

 作者は確か化学者だったと思います。化学者なら「電子顕微鏡」で「精神病理、あるい/は人格までも探」ることをできないのは当然知っているわけで、それをあえて書くにはそれなりの理由があるはずです。それは最後の「それでも/まだ、血液中の水とアルコールの違いがよくわかりません。」という詩句に現れているのかなと思います。つまり、判らないのは当り前、実はそれらは混然一体となって初めて酔い≠ニなる、ということを謂おうとしているように思えてなりません。まあ、作者の意図と外れたトンデモナイ読みですが、そんな勝手な解釈をしてみました。おもしろい作品です。

 ところで、この作品、「水とアルコールのどちらに依存している」ときのものなのかなぁ(^^;




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