きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科
 

2004.6.23(水)

 今日はほとんど机にかじりついて書類の作成にあたりました。品質に関するもの、他社との書面など四つばかり。A4で10枚に満たない数なんですけどね、目いっぱいかかってしまいました。誤字脱字が無いか、は勿論ですが、考え方の矛盾や出来そうもないことを書いていないかなど、チェックする視点は意外と多岐に渡ります。間違えたら訂正すればいいんですけど、みっともないですからね、かなり慎重になります。今後、なんら訂正が無く、5年でも10年でも使える書面が理想です。さて、そうなったかどうか、5年後10年後が楽しみですけど、その頃は定年退職しているなぁ(^^;



  詩歌とエッセイGANYMEDE臨時増刊號
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2004.7.1
東京都練馬区
銅林社 発行
2625円
 

    切符    小林尹夫

   予期せずこの世に飛び出してきた
   予期せず人の姿をしたのが運のつき

   予期せぬこの世は光の世か闇の世か
   予期せぬ姿を鏡に写せば
   生き物死に物行ったり来たり曲がったり

   気が付けばどこに行っても引っかかる
   蜘蛛の巣にかかって驚きあわてふためき
   もがけばもがくほど身動き取れぬ蝶のよう蝉のよう
   路上に路地に階上に階下に机上に
   まことしやかな言葉が文字が張りめぐらされてひっかかる
   見えない言葉にひっかかる

   蜘蛛は言う
   「人の姿をした虫が一番おいしい」と
   「一番おいしい魂は一番最後に食べるのがいい」と

   ある日の蜘蛛は妻の顔をして「働け働け」とせっつく
   またある日の蜘蛛は税務署員の顔をしている
   またある日は郵便局員の顔をしている
   ある日は警察官の顔をしている
   ある日は電車の車掌の顔をしている
   社長の顔をしている
   市長の顔をしている
   ついには内閣総理大臣の顔をしてテレビに出ている

   蜘蛛たちが尋ねる
   住所氏名職業年齢性別電話番号出身家族
   収入支出趣味特技資格賞罰身長体重病歴…
   私はたまらず列車に飛び乗った

   私の切符を見た車掌が笑いながら冷たくにらんだ
   「お客さんどこへ行くつもりですか」
   「いっ出雲まで」
   車掌は今にも蜘蛛の糸で私をぐるぐる巻きにしそうだった

   どこまで行ってもつきまとう蜘蛛の糸
   窓の外には通信線の修理に忙しい蜘蛛たちのけなげな姿

   ああああなんだかおかしい
   手足がだんだんひからびていく
   魂がだんだんかすんでくる
   神の杜まで辿り着けないなら私はもう
   私はもう鬼になるしかない

   「車掌さん。あの世の入口まで」
   「わかりました。夜見
(よみ)まで一枚ですね。
   黄泉平坂
(よもつひらさか)には止まりませんから夜見で降りてください」

 比喩としての「蜘蛛」がおもしろいと思いました。それが「妻」「税務署員」「郵便局員」「警察官」「電車の車掌」「社長」「市長」「内閣総理大臣」の顔となると、ほとんど全てということになりますね。さらにおもしろいのは、出てくる人に公務員が多いということです。そういう世の中なんだと改めて感じます。
 「夜見」は作者の造語のようですが、雰囲気はよく伝わってきます。それにしても、作者も私もそろそろ「私の切符」を渡す年代に近づいたのかなと思った作品です。



  詩と評論・隔月刊誌『漉林』120号
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2004.8.1
東京都足立区
漉林書房・田川紀久雄氏 発行
800円+税
 

    ただ黙っていろと言うのか    田川紀久雄

   名もない虫たちは殺されても
   いつも黙っていなくてはならないのか?
   虫は無視という名の生きものなのか
   この世には何一つとて無駄なものなどありゃしないのに
   天空に輝く星座は名もなくても
   美しく夜空に輝いている
   秋の夜に鳴く虫たちも
   名が知られなくても美しい鳴き声で
   人の心を癒してくれる
   空の星と少しも変らない
   ただ見えるものと
   聞えてくるかすかな美しい鳴き声の違いだけだ

   智恵遅れの施設が今日もまた一つ解体されて行く
   親と子
   兄と妹の関係が
   後見人制度によって
   他人になっていく
   施設からグループ・ホームに制度が移行していく
   もう大きな施設は無用というわけ
   外国では失敗した制度を無理やりに押しつけようとする
   確かに大きな施設は不用かも知れないが
   施設そのものを解体しようとする方向には疑問がのこる
   よりよい施設を考える機会もなく
   ただ施設は不用という発想にはふに落ちないものがある
   妹のことで離婚し
   妹の面倒を見るために職につけず
   詩人として生きてきた
   生活不能者の私は
   これから先どうして生きていけばいいのだろうか
   後見人制度によって無駄な費用がかかる
   認定してもらうのに約十万近くかかる
   先日家庭裁判所に呼び出され
   妹のお金のことであれこれいわれる
   妹を迎えるのに長い間アパートを借りてきた
   その費用のことでも追求される
   制度というものは
   人の感情を無視して事が運ばれていく
   妹と私の辛い日々の思い出は
   制度と言う名の下では無価値な想い出にしかすぎない
   私は虫のような生きものかもしれないが
   思い出まで無視されて
   あれこれ追求されるのはたまらない

   虫は鳴くものなのです
   私も悲しくてなくしかありません
   「漉林」の発行もどうなるのか先が見えません
   弱気になってはだめだと自分に言い聞かせるだけです
   もっともっと真剣に詩語りに打ち込んで
   誰もが到達できなかった世界に至り着きたいと願うだけ
   これから妹と私がどうなっていくのかわからない
   施設の解体の響きが足許まで聞えてきている
   その前になんとかして詩語りをもう少し上達させていきたい
   また眠れぬ日々が続きそうだ

   名もない虫たちは殺されても
   いつも黙っていなくてはならないのだろうか
   沈黙させられた多くの無言の声を詩語りで演じたい
   そのことができるまで私を生かしておいてください
                          (二〇〇四年四月二十六日)

 「後記」にもありましたが「兄と妹の関係が/後見人制度によって/他人になっていく」ようです。これまでの作品からも「智恵遅れ」の「妹」さんのためにずいぶんご苦労なさったようですが、それに輪を掛けた状態になるようです。本当に「制度というものは/人の感情を無視して事が運ばれていく」ものだと思います。
 そんな境遇の中でも「この世には何一つとて無駄なものなどありゃしないのに」と考えることは、詩人の鑑と云えましょう。私などはこのHPで『漉林』を紹介するぐらいのことしか出来ませんが、陰ながら応援しています。これからも「沈黙させられた多くの無言の声を詩語りで演じ」ていただきたいものです。




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