きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
】
|
|
|
|
|
|
|
|
「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
|
2004.6.24(木)
来週末、山形県の会社へ出張しますので、その資料を作って郵送しました。正式書面は押印して郵送ですが、押印していない同一内容の書面はEメールで送信しています。一年に一度義務付けられている、委託業務の監査がありますので、事前のその内容を通知しようというものです。もちろん抜き打ち監査なんて、やったことがありません。
監査、監査と偉そうなことを言っていますけど、実態は無理にお願いしているような業務です。もちろん、それ相応の利益は確保してもらっています。でも、こんな仕事は嫌だ、と言われてしまうとこっちが困っちゃう(^^;
そうは云っても決まりは決まりですので監査≠ヘしなければならないのです。本当にいろいろな仕事があるものですね。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2004..6.20 |
大阪府豊能郡能勢町 |
詩画工房・志賀英夫氏
発行 |
600円 |
|
オランダ
和蘭物語 5 上野 潤
やがて私は父の徒弟となり
船大工の修業をした
父は仕事場でも寡黙だった
船大工としての腕を私に教える際にも
口先だけでガミガミ言ったり、
仕事上の失敗に対し
大声で怒鳴ったことは
ついに一度もなかった
父は常に仕事を始める前に祈り
そして仕事を終える時にも祈った
父は実に忙しく働いた
神と共に仕事をしているという確信と
父祖から引き継いだ船大工の血がそうさせるのだろう、
仕事場の父の姿は いつも自信にあふれていた
従って当然の如く
父は仲間達からも一目置かれ
多くの手下がいた
父は彼等にも大変寛容だった
我々徒弟達が失敗を犯した時、
父はその失敗を黙って、時には微笑みさえ浮べて、
見事な手さばきで直してくれた
我々は、何一つ語らない父の
その見事な、自信に満ちた腕を見て
千万言の言葉以上の教えを受けたものだ
私はいつか父に
何故怒らないのか
尋ねたことがある
父の答はこうだった
「人の誤りを指摘して
それを怒ることはたやすい
しかし我々は時に
他人が自分に対して犯した誤り以上の誤りを
逆に他人に対して行っていることには
ほとんど気づいていないだろう?
他人の誤りを怒る以前に
自分の不完全さを認識出来ないようでは
とても一人前にはなれない
そして自分の不足さを知り
自分に厳しくなればなる程
他人には優しくなれるものだよ」
連載の一場面ですが、「父の答」は耳が痛いですね。「人の誤りを指摘して/それを怒ることはたやすい」ことだと私も思いますし、ついついやり勝ちです。怒ることで、何だか自分が偉くなったような錯覚さえ起こしてしまいます。「他人の誤りを怒る以前に/自分の不完全さを認識出来ないようでは/とても一人前にはなれない」という指摘もその通りで、教えられることの多い作品でした。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
2004.6.25 |
横浜市港南区 |
「象」詩人クラブ・篠原あや氏
発行 |
500円 |
|
祈り 長谷川昭子
くり返されるテロ
大地を染める赤い血
親を 家を
目を 足を 失くした人び
増えつづける死者の数
今日も誰かが どこか
報復者のリストを作っている
「いのち 捧げます」
次々と名乗りをあげる若者
危険とひきかえの鉄くずを拾う
走りたい 跳びたい
「先生になりたいの」
夢を語る子どもたち
砂塵が舞う国にも
風がおさまれば
春はくるでしょう
けれど
女たちの涙で
花は咲かない
涙の雨では
花はしぼむばかり
そ ら
果てしない宇宙に浮かぶ
わたしたちの地球
そのなかのわたしの国から
少し遠い国
でも もうこれ以上
遠い国にはならないで
漣のような
レースの縁かがりのような
やさしい文字の国よ
イラクでの「くり返されるテロ」には先の見えないもどかしさがありますが、作者は他所事とせず「わたしたちの地球」に起きた出来事と位置づけており、そこに作者の広い視野を感じます。そして「漣のような/レースの縁かがりのような/やさしい文字の国よ」と書くことで、作者の詩人として文字をどのように見ているかが判り、敬服しました。たしかにアラビア文字は「漣のような/レースの縁かがりのような」文字ですね。それを「やさしい」と形容しているところに感じるものがあった作品です。
(6月の部屋へ戻る)