きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia godeffroyi |
カワアナゴ科 |
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2004.6.25(金)
東京本社の営業担当者2名が訪れて来て、17時から打合せをしました。終ったのが18時。それから小田原まで呑みに出かけて、帰宅したのは22時頃だったでしょうか、比較的早かったと思います。
小田原では、もうひとりが合流して4人で呑みました。珍しく鹿児島の麦焼酎「神の河(かんのこ)」があって、それを2本頼んだのですが、呑み切れなかったようです。半分ほど空いたボトルが何故か私の鞄に入っていました(^^;
ここのところ毎週金曜日が呑み会になっていて、今日は予定がなかったものですから、珍しく呑まないで帰れるなと思っていたのですけど、やっぱり呑み会になってしまいましたね。でも、好きですから望むところです。それに地元で呑むのは早く帰れるのがいいな。東京で呑むとどうしても午前様になってしまいます。家に着く頃には酔いもすっかり醒めていますしね。ま、呑めるうちが華と思って、誘いは極力断らないようにしています(^^;
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2004.6 |
東京都品川区 |
原詩人社・井之川巨氏
発行 |
200円 |
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神様 野口清子
国中が神様でいっぱいだ
学校のふるぼけた講堂も
軍神の写真でいっぱい
隣りの息子も靖国神社
神様になって帰ってきた
新聞にのる現人神は
そまつにしてはもったいないから
切りぬいて神棚へ
神風特別攻撃隊出撃
神様の行列が続く
人間が上へ上へのぼって
神様の数で
天が暗くなる
戦争が負けて終った時、私は
飢えた胃袋をかかえ
毎日毎日眼をみはった
あぶら虫みたいに落ちてくる神様のむれ
とりかえしのつかない青春
かけがえのない ひとり息子
一家の働き手の父親
すくわれない たくさんの命よ
ふんぞりかえって号令した
神様たちは 犯罪人だった
神様たちが落ちた天に
青い空がもどってきた
何回も何回も敗戦の日がきて
赤ん坊が青年になり少女の私が母親になった
雑炊をすする飢えと
切断された愛の苦しみを
中国侵略から初まり
あらゆる人間の歌声を抹殺した
戦争の暗黒を知らない
若者たちがはばたき初めた此の頃
「海軍」とか「陸軍」とかいう映画が
さっそうとあらわれ
神様の話が
あちらこちらでささやかれ
戦争のおはなしがはやり
犠牲者たちを神様にしようと
敗戦の日
たくさんの舌がうごき
言葉がふりまかれた
侵略戦争へかりたてた戦犯も
学校の講堂にかざられていた写真や
沖縄で死んだ隣りの息子まで
風船のようにゆらりゆらり
風にゆられ初めた
(「人民の力」786号より)
井之川巨氏によるエッセイ「反戦詩の系譜(32)」の中の作品です。「人民の力」786号はいつ頃の発行か判りませんが、初出は1955年刊行の第一詩集『花市場』のようです。60年前になろうとしている「敗戦の日」前後の日本の状況が余すところなく伝えられている作品だと思います。それが現代の日本に通じてしまうのが怖いところですね。「若者たちがはばたき初めた此の頃/「海軍」とか「陸軍」とかいう映画が/さっそうとあらわれ/神様の話が/あちらこちらでささやかれ/戦争のおはなしがはやり/犠牲者たちを神様にしようと」しているのは、まさに21世紀の日本そのものです。詩人の予知能力とも云えるでしょう。怖い作品です。
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2004.6.10 |
岩手県盛岡市 |
「火山彈」の会・内川吉男氏
発行 |
700円 |
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語録 長尾 登
どんな平凡な人間も
生涯に 一つや二つ
せいぜい 身内の胸に残る程度のものにしろ
味な言葉を吐くものだ。
じごぐ じごぐ
――――「ああ 地獄だ この世の地獄だ」
とは
古風で シャイで 我慢強くて
己れの裡(うち)を節度無く曝したり
泣きごとなど洩らすことの無かった親父の
死のベッドでの呻(うめ)き。
延命治療の装具で
がんじがらめにされた生が
余程苦しかったのだろう。
入れ歯を外された上に
意識が混濁し始めていたので
すこぶる聞き取りにくい だみ声の
呪文のような お経のような告白だった。
――――「一服 盛られだべがな・・・」
これは
腸閉塞症であっけなく死んだ 母方の祖父が
枕元に集まった家族の愁眉を
少しでも開かせようとして
激痛を堪(こら)えながら巧んだ 冗句。
県都の病院に運ばれて
とりあえずの薬を飲まされた途端に
苦しみ出したとか・・・。
虫けらのように扱われた 貧しい津軽の水呑み百姓の
今はの際(きわ)のブラックユーモアと
言えなくもない。
子供は子供で
どきっとするような警句を
プレゼントしてくれる。
人生初めての運動会の 障害物競走で
びりっけつをとった 幼稚園の息子の
あまりもの不甲斐無さに 激怒したところ
返って来た言葉が
――――「だって こむんだもの」
の ひと言。
そうか 婆(ばば)っ子の愚息には
あの一団のレースが
割り込む余地が無く(途方も無く)
○ ○ ○
まさに 混んで見えたのだろう。
不肖の父親は
妙に感動して 絶句――――。
同じく 愚息の小学校に入った頃の語録。
学校で一番楽しいのは?
――――「おべんとう の じかん」
次に楽しいのは?
――――「『せんせい さようなら』・『みな
さん さようなら』を いうとき」
あっぱれ――――と言う外無い天真爛漫さ。
抜け駆けの不得手だった その子供は
今 地球の裏側の
南米ボリビアの四千米の高原で
古生代の地層を撫で回している。
それなりの 競争社会を生き抜いて。
「せいぜい 身内の胸に残る程度のもの」である「語録」が集められていますが、やはり「人生初めての運動会の 障害物競走で/びりっけつをとった 幼稚園の息子」の言葉がおもしろいですね。おもしろいと同時にひとつの生き方を示しているようにも思います。「だって こむんだもの」、一番を盗ろうとすると。「だって こむんだもの」、出世しようとすると。何でも応用できる言葉で、これからの私たちが目指さないといけないものかもしれません。
その息子さんも「それなりの 競争社会を生き抜いて」「南米ボリビアの四千米の高原で/古生代の地層を撫で回している」とか。それに向けられた「不肖の父親」のあたたかい眼差しも感じられる作品でした。
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